2014 日本への挽歌


 2014年という年もおしせまった11月、日本人として、俳優という枠を超えて、海外の人々にも愛され、尊敬された高倉健、そして菅原文太といった昭和の気骨ある俳優が相次いで他界し、いよいよこの国は殺風景になった
 晩年、講演の場で、菅原文太は一言一言、噛みしめるようにこう言った
「この国は今…明らかに病(やまい)ですね」
「3.11の震災、福島の原発事故という未曾有の事態が起きて、これでこの国は大きく変わるきっかけになるかもしれないと思った しかし、結局、何も変わらなかった…」

 それでも彼は、病をおしてまで最後まで声を上げ、闘っていた
 11月の沖縄知事選、翁長雄志氏の応援演説に立ち、こう語った
「沖縄の風土も本土の風土も、全て国家のものではありません そこに住んでいる人たちのものです―」

 文太兄貴よ、まさに然りなのだ その行動の勇気と熱い思いに敬意を表すると共に、現世からの旅立ちに合掌したい

              *

 2014年12月末、例によって年末時を狙った、安倍の安倍による安倍のためのやっつけ総選挙を経て、低投票率も極まった国民のシラケにより与党はめでたく快勝し、今も総理大臣として、この国の権力を握るのは、暗愚の男人形(パペット)、安倍晋三
 アメリカの事実上の統治国である旧日本国の、歴代の権力の最後を飾るにふさわしい、戦後、最低最悪のウルトラ保守政権
 私の半生の記憶でも、これほど見る度に言いようのない嫌悪を覚え、言うこと、為すことに怒りを感じる総理大臣というのは見たことがない
 語るに落ちるとは、まさにこの男のこと 戦後日本の政治と権力の堕落は、遂にどん底まできた
 2年前の総選挙で、ゾンビのように安倍政権が復活した時からずっと、世の中が暗黒のトンネルに入ったようで、この事態はいったい何なのかと問う、悪夢を見ているような日々が続いている 

 家柄が名門というだけが取り柄の、知性も教養もない甘ったれたガキが、その権力の相伴にあやかりたい連中にチヤホヤされて、好き勝手放題に振る舞っている
 憲法も国会審議も無視し、閣議決定で秘密保護法も集団的自衛権の行使も勝手に決めてしまった
「最高責任者は私だ」と、いきり立って答弁するこの男は、主権者は国民であることをご存じないようだ
 まるで毅然とした“日本の首相”を演じる自分に酔いしれているかのような口ぶり、振る舞い
 この男は、権力を自分のおもちゃにしている 日本人は、最も首相にしてはならない、権力を委ねてはならない人間を、一度ならず二度までも首相にしてしまった
 これは後々まで取り返しのつかないほどの大きな過ちだった

 さらに呆れるのは、大手メディアの幹部連中は安倍と会食を繰り返し、ヨイショ報道しかしない広報機関と成り果てているのだから救いがない
 この国の政治もメディアも、いよいよ末期症状を呈している証左の一つだ

 安倍晋三という政治家が、どういう思想を持ち、どんな国を目指しているかということは、以前に政権に就いた時から多くの国民にも分かっていたはずだ
 それでも選挙で再び安倍政権を誕生させ、あまつさえ現在も50%近くもの国民が支持しているという事実は
 多くの日本人の心性は安倍の思想や、その目指すものに共鳴し、同化しつつあるということを示しているのではないか
 つまり、日本人の多くが安倍晋三化している―!

 中国や朝鮮、韓国を蔑視、敵視し、日本という国と日本人の優越性、優秀性を常に強調する 人権とか立憲主義の憲法とか、そんなものは知らない
 すなわち、個人の権利や人間の尊厳などはどうでもよくて、アベノミクスで、とりあえず景気が良くなれば、それでいい
 金さえあればいいということに行き着く それが今の日本人のぶっちゃけた本音ではないのか
 面倒な民主主義とか、個人の権利や自由よりも、お上が全てを決めて、それに従ってやる方が、責任を負わなくていいし、楽でいい
 そう考えているのではないか 日本人の多くは、実は自由なんて嫌いなのだ 日本人は、本当は民主主義なんて捨てたいと思っているのではないか

 テレビの番組でも、出版物でも「日本は素晴らしい」「日本はすごい」と自画自賛するものが大流行り
 政府もメディアも国民も、内向きのガラパゴス化状態
「日本」という国の中にしか存在理由、アイデンティティを見い出せない人たちが増えてきている
 これでは、それこそ井の中の蛙のまま、それも死ぬまで逃げようとしない茹で蛙だ

 今の安倍自民党とは、対米従属と帝国主義の両立を図り
 下々に戦争をやらせて、自分たちは高みにいて、それを采配し楽しみ儲け、支配欲を満足させたくてたまらない変質者の集団だ
 彼らはしかし、初めからそのような人々だった。
 歴史的なファシズムの中には、ある種のグロテスクがある
 ナチスドイツがその典型を見せてくれたが、安倍の靖国や天皇制に対する執着には、やはりファシズムの原型としてのオカルティズムとグロテスクがある
 論理的には体をなさないのだが、情緒と気分に訴えるそれが、逆に大衆受けする

 無知は罪なり だが、この国ではそれが転倒して、無知は力なりとされてしまっている
 無知で何が悪いと開き直り、それを何とも思わない人間がやたらと増えた いわば反知性主義 政治家もメディアも国民も、今やそれが主流である
 ワールド杯のスポーツ報道に見られるように、論理や事実を重視するよりも、気合とノリで何とかなるべという空疎に前向きな精神主義が暗黙の空気となっていて
 国民全体が、まるでヤンキー化しているようだ

 スマホのアプリは日常動作のように見るが、普段から新聞も雑誌も本も、活字の文章を読まない そのせいか歴史も政治も、学校で学んだはずの最低限の基本的知識を驚くほど知らない人が増えている
 人々は考える力、想像力を奪われてきている スマホの画面とばかり首っ引きでいるうちに、自分の頭でものを考えられなくなってきている
 こうして日本人は、学校でも社会でも、ネット世界でも、群れてばかりいるから、すっかり個人が弱くなってしまった
 人は弱いから群れるのではなく、群れるから弱いのだ
 人は、日本はどうなってしまったのか 互いに侮辱し、罵倒し合い、荒みゆく心 このままではここには、希望も夢も未来もない

             *

―「そろそろ反撃よ。全艦載機、発進!」
 旧日本海軍の空母「蒼龍」を称するミニスカートの美少女が、攻撃開始を告げた―。
 軍艦を美少女に擬人化して戦わせるオンライン・ゲーム「艦隊これくしょん」
 ゲーム登録者は昨春のサービス開始から半年で100万人に達し、今では200万人を超す
 そのゲームに熱中する日中戦争や太平洋戦争の実態もろくに知らないワカモノが、バーチャルな世界のノリそのままに「丸腰では平和が守れない、抑止力が必要」などと口にする
 戦うのは、自分ではなく、ゲームの中の美少女
 他人に守られたい気分が、勇ましい政策への漠然とした支持に流れている
 戦うのは、あくまでも他人で、自分は安全地帯にいて、守られる側でいるつもりだ
 そのトップが安倍晋三であり、それを支持するネトウヨや、急増する愛国を叫ぶワカモノたちだ

 しかし私たちに、他国の人間と戦う―殺し合う理由などあるのか?
 国のため? 大義のため?
 しかし、そんなもののために、私たちは銃で人を狙えるのか
 人々の上に爆弾やミサイルを落とせるのか
 今の日本人は、戦争に向いていない 世界史上例のない69年も平和が続いた稀なる国に生まれたのだから
 誰も戦場のリアルや悲惨を知らないのだ
 平和ボケでけっこう 平和こそが我々の故郷であり、生活であり、存在理由なのだ

 国のために兵隊となって、武器を取って戦うなど真っ平ごめんだ
 それは人殺しになることなのだ
 自らの命と愛する者たちの身を、不当な暴力や攻撃から守るために抵抗するという最後の局面でも、武器は手にしたくない
 ワカモノよ、よもやとは思うが、新たな召集令状が届いたら、破り捨てよ
 君が戦地に行かねばならない理由など、一つもない
 国賊だの非国民だのと叩かれても、何とでも言わしておけ
 卑怯者? 弱虫? そうかもしれない
 しかし、弱くあることこそ、最も勇気のいることなのだ

 私は両親から、戦争と戦時下の悲惨と残酷、愚劣と不条理の数々を直接、聞いた 召集令状や軍隊生活の話も生々しかった
 戦争を生き延びた両親が結婚したのは終戦から7年後で、自分たちの人生とこの国を揺るがした大東亜戦争は、つい昨日の出来事だったのだ
 今のワカモノの中には、国を守るため、愛する人を守るためなら兵隊となって、戦地に赴くのも仕方がない、という思いを募らせている向きも多いかもしれないが
 そうやって、君が死ぬかもしれないことが、本当に国を守るとか、愛する人を守ることになるのか、もう一度考えてみてほしい

 再び、いつの間にか、巨大な歯車がグラッと回り始めるかもしれない いや、今まさに目の前でそれが堂々と回り始めようとしているのかもしれない
 回り始めたら最後、誰も彼もその中に巻き込まれる
 いやおうなく巻き込まれる
 戦争体制というのは、その国の全ての人間、社会、経済を圧迫し、苦しめる
 いつの間にか、「ウソだろ」と思うような戦時体制が、ある日気づいてみれば、当たり前の日常になっていたという時が来るかもしれない
 この社会の空気は、隣近所監視し合い、国に逆らうような住民を見つけると国賊とか非国民と指弾した70年前に、アッという間に戻ってしまいそうで、危なくて仕方がない

 もう一度言おう どんな時代になろうと私たち一人一人の命よりも大切なものはない
 国家が勝手に戦争をやらかそうと、私たちは私たちの生活を生き抜かねばならない
 それで死んではならない が、殺してもいけない
 だから、もっともか弱きものとして、泣きながら、そして歌いながら抵抗を続けよう
 泣くことと抵抗を一生やめてはならない
 愛と平和、そして自由のために――!


 

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