秘密結社ヴリルとナチスUFOの謎

(その二)


 

ヴリル・ヤとヒトラー

 ヒトラーには謎が多いが、彼が伝令兵の頃、至近弾の炸裂で負傷して、一時的に視力を失ったことがある。その戦場で、幾度も得体の知れない存在から憑依されたことがあったという。その事件は、ヒトラーの自伝『我が闘争』にも記されている。
 さらなる謎は、ヒトラーが政権を握るやいなや、敗戦でどん底だったドイツ軍が40年先の技術と兵器を手に入れたことだ。現代兵器もナチス発祥が殆どを占め、21世紀における軍事を支配し、宇宙探査の要にもなっている。
 ジェット戦闘機、ロケット戦闘機、軍用ヘリ、Uボート―攻撃型潜水艦、V2型ロケット―戦略攻撃ミサイル等々。中でもハウニヴーに代表される電磁気浮揚兵器は、現代では空飛ぶ円盤―UFOと呼ばれ、当時の世界には存在しないスーパーテクノロジーだった。
 ナチスは、それら最新技術をどこから手に入れたのだろうか。今の核ミサイルへとつながるV型ロケットシリーズが本当は「VRIL」の頭文字であり、ハウニヴーも同様だ。
 そのヴリル・パワーをナチスに伝授した存在がいた。その窓口になったのが「ヴリル協会」であり、ナチスがチベットの地下洞窟から連れてきたという2人の女霊媒師は、そのパワーと闇の力と交信するチャンネルの役割を果していたという。

 飛鳥昭雄氏が得た元KGB職員の情報によると、ソ連時代からKGBはペンタゴンの地下2階しかない構造に強い疑念を抱いてきた。そしてペンタゴン建設当時まで遡って徹底調査を行った結果、水爆攻撃に全く不適格な構造物だと判明した。さらにアメリカ政府はペンタゴン建設前から地下に深い構造を造り上げており、その上にペンタゴンを置いたことが分かった(1943年1月に完成)。問題はそうまでして、ペンタゴンの地下に何を置いたかだった。そして、スターリンが死ぬまで疑っていた通り、ヒトラーはアメリカ政府によって庇護され、大西洋を渡っていたことが分かった。ヒトラーはペンタゴンの地下にいて、KGBがこの秘密を知った時はすでに遅く、ソ連は崩壊してしまった。

 さらに―とっくに死んでもおかしくないヒトラーが、ペンタゴンの地下深くで今も生き続けている。それも、かのヴリル・ヤの2人の女霊媒師の超寿命遺伝子を移植されて。
 しかし、それは両刀の剣だった。その超寿命遺伝子は、他の部位にとって致命傷になった。ヒトラーは遺伝子操作によって、今も肉体を持ったまま生かされている。しかし、その体は人の姿を失った醜悪な肉塊と化してしまっている。
 分からないのは、ヒトラーを庇護した連中が、なぜ彼を死なせたくなかったということだった―。

 にわかには信じがたい、おぞましくもグロテスクな話である。はたして万に一つでもそんなことがあり得るのだろうか。私は、何も直接的な証拠や証明を持っているわけではないが、その可能性は認める。そして、仮にそれが事実だったとしても、今は人間の形を失った醜悪な肉塊、生きる屍と化した存在に、何の意味や脅威があるだろうか。悪魔に魂を渡した人間の哀れな末路、悲惨の極みと憐れむことこそあれ、今や恐れるに足らない。たとえそれが生きているにしても、もう忘れていい問題だ。
 真に重要なことはヒトラーの生存の可否ではない。ヒトラーと共にペンタゴンの深地下に匿われたというヴリル・ヤの2人の女霊媒師が、今もそこにいて、闇の力を呼び出す儀式を執り行っているらしいということだ。その甲斐あってを示すように、第2次大戦後もずっと一貫して、アメリカは一時も休まず、世界各地で戦争、侵略、殺戮を続けてきた。
 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン、イラク戦争…枚挙にいとまがない。アメリカ軍の中心頭脳であるペンタゴンが、その奥底で、そのような闇の力(フォース)の支配を受けているとしたら、当然納得できる“仕事”の数々である。

 ペンタゴンの深地下に、ナチスがチベットの地下洞窟から連れてきた2人の超寿命の女霊媒師がいる―。読者は笑ってしまうかもしれない。よくぞこんなバカげたトンデモ話を作り上げたものだ。いくら何でもそれはありえないと。私もそう思う。まるでマンガだと。しかし、一見バカげていて、常識、良識のある人なら誰も信じないようなことだからこそ、その裏をかいて行われていることが、実は存在するのではないか。

 この情報に接した時、奇妙な感覚と共に日本の地方の伝説、民話に出てくる鬼婆伝説を思い出した。―旅人が道に迷い、一夜の宿にと頼った山中の一軒家。そこには老婆がいて、夕餉をいただいて、寝床に就いて、ふと目を覚ますと、老婆が大きな包丁を研いでいるのを見てしまう。老婆は人肉を食らうことで不老長寿を保っている―という話だ。
 かの女霊媒師も超寿命で、しかも人肉を食らうという。これは日本の鬼婆そのものだ。
 鬼婆伝説というのは、かつて古代から中世の頃までは、日本各地に我々とは異なる人種―肌の色が赤とか青(緑)色の“鬼”と呼ばれた種族が存在していたことの名残りではないだろうか。そこに思い至った。
 偽史とされる「竹内文書」にも記され、また先述の「緑龍会」でも、太古の地上には赤、青(緑)、白、黄、黒の五色人がいたとされ、その一つ、青人をナチスが捕らえた可能性が高い。そして、最終的にアメリカがそれを得た。
 日本では緑人を青鬼として恐れて退治したり、時には家来にしたという伝説がある。
 有名なのが『記紀』に登場する孝霊天皇(実際は欠史八代の神武天皇)が戦った青鬼族の伝承で、古代出雲の地「日野川流域伝説」として語り継がれている。

 ナチスがチベットの地下洞窟から連れてきた2人の女霊媒師―青(緑)人とは、何者か? 彼女らこそ、地底世界シャンバラから追放された“闇のヴリル・ヤ”の種族だった。

ペーパークリップ・プロジェクト

 第2次大戦中、及び戦後、ナチス・ドイツの科学者が敵国である連合国に亡命したケースは少なくない。イギリスはもちろん、最も多くを受け入れたのは、ほかならぬアメリカだった。アメリカは参戦する前から、多くの移民を受け入れてきた。特にナチス・ドイツの下で迫害、弾圧されたユダヤ人が多かった。その中には高度の知識を要求される学者や医者、技術者、芸術家等が多く、当時の最先端の物理学においては、そのほとんどがユダヤ人だった。アメリカに亡命した科学者といえば、アインシュタインをはじめ、ロバート・オッペンハイマー、エドワード・テラー、フォン・ノイマンなど、後に原爆開発計画・マンハッタン・プロジェクトの中枢はユダヤ人で占められていたと言っても過言ではない。
 その一方で、アメリカは戦後、ユダヤ人にとって宿敵であるはずのナチス・ドイツの科学者も多数、受け入れた。目的はほかでもない。進んだナチスの科学技術である。
 アメリカはこれを国策として定め、「ペーパークリップ作戦」というコードネームで呼んでいたことが分かっている。
 アメリカはV2号ロケットを開発したフォン・ブラウン、ジェットエンジンを開発したハンス・フォン・オハイン、垂直離着陸機を開発したアレクサンダー・リビッシュ、全翼機を開発したヴァルター・ホルテンらを破格の待遇で亡命させ、秘密兵器の開発に従事させた。
 アメリカが月面探査を成功させ、大陸間弾道ミサイルを世界に先駆けて開発できたのは、まさにフォン・ブラウンがいたからであり、典型的な全翼機B―2ステルス爆撃機が誕生したのも、ホルテン兄弟の思想と技術があったからだった。これだけではない。核兵器から潜水艦、戦車など、その全てのバックボーンは、ナチスの科学技術なのである。
 したがって、アメリカ軍が秘かに開発を続けてきた地球製UFOに関しても、そこには当然ながらナチスの遺伝子が受け継がれている。

フーファイターとナチスの空飛ぶ円盤

 第2次大戦中、連合軍のパイロットの間で奇妙な噂が流れた。見たこともない飛行物体が現れて攻撃してくるというのだ。形は様々だが、いずれも飛行機の形態をしておらず、まるで幽霊のようだったことから「フーファイター」と呼ばれるようになる。
 フーファイターの最初の公式記録は1944年11月24日、アメリカ陸軍航空隊USAAFの第415野戦戦闘隊の報告にある。それによると、爆撃機が編隊を組んでライン川を越えたあたりで、突然、光る球体群が現れた。いずれも、意志を持っているかのように、光球は編隊を組みながら飛行し、戦闘機につきまとった。そのうちの一つは、1機のB―17爆撃機の上部ハッチからコクピット内に部に侵入。驚くパイロットたちの目の前を乱舞したあげく、侵入した時と同じように出ていったという。
 当初、連合軍の幹部たちは、ストレスによる幻覚を見たのではないかと考えたが、同様の報告が一ヵ月も続き、方針を転換。危険な飛行物体として警戒するよう、指令を出している。

 はたして、フーファイターの正体とは何だったのか。科学が発達した今日、正体は球電の一種ではないかと考えられている。球電とは大気が不安定な状態の時に発生する雷の一形態で、物理的にはプラズマであることが分かっている。
 しかし、フーファイターの全てがプラズマなのかといえば、そうではない。明らかにプラズマではない物体もまた、当時、ドイツの上空を飛行し、連合軍の戦闘機に攻撃を仕掛けていた。典型的なのが「青い煙」事件である。
 1945年3月、アメリカ軍の爆撃機が立て続けに撃墜された。その数12機。いずれもドイツの上空で、得体の知れない小型の飛行物体が接近し、青い色をした煙を吹きつけられた。その直後、エンジンから突如、炎が噴き出したという。謎の小型飛行物体は、形状から「空飛ぶ亀」と呼ばれた。状況から考えて、ドイツが開発した小型無人機だったと推測されている。実は空飛ぶ亀に限らず、フーファイターの正体については、当初からドイツの秘密兵器ではないかという噂はあった。

 自然現象としての球電プラズマは別として、フーファイターと呼ばれた飛行物体には、実はナチスが開発した秘密兵器が含まれている。空飛ぶ亀のような無人機のほかに、まさに「空飛ぶ円盤」というべき航空機が実際に存在した。これが伝説のナチスUFO、世にいう「V―7」計画である。

ナチスの空飛ぶ円盤

 フリートヘルム・メックリンガー。彼はヒトラー政権下のナチス・ドイツで、極秘の兵器開発に携わった科学者の一人。かつて、ナチス占領下のチェコスロバキアのビルゼンに作られた地下施設で、既成の航空機の概念を超えた特殊な航空機、端的に言えば「空飛ぶ円盤」を開発していた。
 ヒトラーが自殺して間もない1945年5月、ここで悲劇が起こる。口封じのため、現場の科学者が銃殺され、工場施設が破壊されたのだ。分かっているだけでも、この時殺された科学者は64人にも上るという。メックリンガーもまた、その命を狙われた一人だったが、たまたまヒトラーの側近に親戚がいて、いち早く彼は情報を知った。命が惜しければ、急いでビルゼンを出て、スイス経由でイギリスに渡れという助言に従い、難を逃れる。
 かくしてメックリンガーは表向き消息不明とされ、裏ではイギリスに亡命。自ら持っていたナチスUFOの極秘情報と引換えに、身の安全を確保。秘かにイギリス軍、さらに同盟国であるアメリカ軍の庇護の下、ナチスUFOの開発を続けることになる。

 ナチスにおける空飛ぶ円盤開発は最高機密であった。実際にそれを豊富な資金と人材の下に行わせたところが、ナチス・ドイツの恐ろしいところである。ここに既成の概念を打ち破る革新的な技術の進歩があったのは事実であり、戦後、隠され続けてきた空飛ぶ円盤開発の核心がある。
 これを一手に担っていたのがハンス・カムラーである。彼こそ、ナチスにおける空飛ぶ円盤開発の総責任者であり、全てを知りうる立場にあった。ナチス親衛隊SSの大将にまで登り詰めた彼が、ビルゼンの地下施設で開発を続けていたのが「ベル型円盤」である。
 情報によれば、そのボディは陶器でできており、内部に中心となる主軸が1本あり、これを取り巻くようにして二つのシリンダーがある。ここに高圧電流を流すと二つのシリンダーは、それぞれ逆方向に回転し、一種の電流の渦を発生させ、これが周囲の空気を吸い込み、最終的に機体を浮揚させるという。
 ベル型円盤の存在が明らかになったのは、ここ最近のことである。2000年、ポーランドのジャーナリスト、イゴール・ウィトコフスキーが著書『ドイツ驚異の超兵器の真実』で暴露し、これに触発されたイギリス人作家ニック・クックが『ゼロポイントの探求』で紹介したことで知られるようになった。

 メックリンガーによれば、ベル型円盤の技術はナチス最高機密であり、その全てはハンス・カムラーが握っていたという。戦況が不利になった際、メックリンガーを除いて、現場の科学者の多くが暗殺されたが、カムラーは身の保全のために、ナチス・ドイツを裏切った。最高機密である空飛ぶ円盤の機密情報を全て携え、アメリカに亡命したのだ。
 ペーパークリップ作戦の典型的な成功例である。
 アメリカ軍はベル型円盤の情報に興味を示し、これを本格的に研究・開発することにした。ナチス・ドイツの最高機密であったベル型円盤開発計画は、アメリカ軍によって継承され、ついには実験機を飛行させるところまで至ったのだ。

 アメリカ、テキサス州フォートプリスにウィリアム・ボーモント陸軍医療センターという病院がある。ここの特別邸宅で、1991年6月、一人のアメリカ人が死亡した。
 享年90歳。アーリントン墓地の墓標に刻まれた名はロバート・スミスだったが、それは本名ではない。彼の前半生はドイツ人であり、元ナチスの将軍だった。当時、彼はハンス・カムラーと呼ばれていた。
 ポーランド出身のカムラーは、成長して軍人を目指し、1932年3月にナチスに入党。翌年の5月には親衛隊SSに入隊し、やがて強制収容所の建設を担当するC局、すなわち絶滅収容所の局長となる。その後、工科大学の出身でもあったことから、V―2ロケットなどの兵器開発に携わる。1945年に入ると、全ミサイル生産の監督を任され、全航空機生産の全権を掌握。兵器開発の実績を買われたカムラーは、全く新しい航空機、つまり、空飛ぶ円盤を開発する施設をチェコスロバキアのビルゼンに建設する。
 だが、戦況は悪化し、4月30日にヒトラーが自殺すると、ナチス・ドイツの敗戦は決定的となる。その直前、アメリカと和平交渉を探っていたハインリッヒ・ヒムラーは、カムラーに対して、秘密兵器に関する資料をまとめてナチス親衛隊本部に出頭するように命令したが、彼はこれを拒否。己の保身のため、秘密兵器開発に携わっていた科学者たちを銃殺した上、工場を破壊。空飛ぶ円盤に関する極秘資料と共に逃亡を図った。

 以後、カムラーの足取りはつかめず、行方不明となる。公式には1945年5月に服毒自殺したとされるが、実際に確かめられたわけではない。
 ために、カムラーはナチスが極秘に開発していた空飛ぶ円盤の情報と引換えに、連合国側に亡命したのではないかという噂が立った。事実、これを裏付けるように、1981年になって、ナチスの元軍需大臣アルベルト・シュペーアは、消息を絶つ直前、カムラーはアメリカへの情報提供を画策していたと証言している。
 さらに、戦後のニューデンベルグ軍師裁判で、なぜかカムラーは訴追を免れているのだ。生死も判明していない段階での無罪である。ほかの親衛隊幹部は不在でも、全て有罪とされているのに関わらずに、だ。戦勝国が敗戦国の人間を裁く場において、不可解な判決がなされる時には、必ず裏がある。司法取引だ。被告を無罪とする代わりに、それに見合う情報や利権を原告が手に入れる。
 カムラーもしかり。卑劣にも配下の科学者たちを犠牲にし、ナチスを裏切った彼は、身の安全保障と引換えに、空飛ぶ円盤開発に関わるデータを全てアメリカに渡した。

 亡命後、ハンス・カムラーは、アメリカ人ロバート・スミスとして生きることになる。
 アメリカ軍は、彼を将校という破格の扱いで、カリフォルニア州にある後のエドワーズ空軍基地に招く。もちろん、任務は秘密兵器、空飛ぶ円盤の開発である。これが後に、地球製UFOの礎となるのだ。エドワーズ空軍基地といえば、航空機開発の中心地で、数多くの航空機のテストフライトが行われてきた。しかも、そこはモハーベ砂漠の真ん中にある。ジョージ・アダムスキーが最初にUFOとコンタクトしたデザートセンターは、エドワーズ空軍基地のすぐそばなのである―。

 

*画像は『ナチスUFOの謎』飛鳥昭雄/学研、『ムー』2011年2月号、同2012年〜13年の別冊付録他より転載



 

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