〜詩 篇〜
破 局 は 目 前


 北朝鮮からミサイルが飛んでくると、政府が、メディアが、北朝鮮「専門家」が、日本中がまるで喜劇のように騒いでいる
 毎度お馴染み、来るぞ、来るぞ、怖いぞ、怖いぞの、かの国の暴発を煽り立てるかのような“北朝鮮祭り”
 巷では、露骨な差別主義団体が、「殺せ朝鮮人」、「朝鮮人首吊レ、毒飲メ、飛ビ下リロ」などと、聞くに堪えない罵詈雑言のデモを繰り広げる
 言っていいことと悪いことの分別もつかぬ、これほど幼稚で愚劣な連中が、大手を振ってデモを繰り広げたことは、かつて一度もなかった
 吐き気がするような、かような暴言をまき散らすこの集団を警察は取り締まるでもなく、ただ傍観している
 この前代未聞の醜悪な“街の光景”は、いったい何なのだ?

 時の政権は、原発再稼動は元より、憲法改正、核武装を公言し、大昔に終わったはずの戦前の「日本」を取り戻すという世界が驚く超アナクロ路線を突っ走る
 選挙自体が無効の違憲政権が、憲法改正を唱え、法律や予算を決めていくという異常と無法のバカらしさ
 こんな政権が支持率70%とは、日本人は、思考も矜持も自ら捨てたことを証明した これでいい、面倒なことは考えたくないと
 そこへもって使い古された金融バブル政策の“アベノミクス”で、景気が良くなるとスチャラカドンドン
「難しいこと考えないで踊ろうよ、ホラ、みんなも踊っている 君も踊らにゃソンソン」と
 メディアによって守られ、そやされる異例の政権と安倍“ゾンビ”首相は、ドヤ顔で春の陽の下でアイドルの女の子たちと喜色満面、
「日本を世界の真ん中で咲かせる」と、我が世を謳歌する
 鳴呼、美しい国、ニッポンよ!

「憲法改正」でスチャラカドンドン、「主権回復の日」でスチャラカドンドン お笑いだ
 主権を回復したはずの国が、何から何までアメリカの言いなりで、沖縄のみならず、本土上空をオスプレイが我が物顔で飛び回っても、文句の一つも言えないそんな主権国家が、世界のどこにある?
 誰が見てもアメリカの奴隷でしかないくせに、政府もメディアも国民も、それを認めず、日米「同盟」などという虚構を掲げて平然としている

 国の主権も文化も産業も、丸ごと外国企業に売り渡す「TPP」参加でスチャラカドンドン
 オリンピック招致で、みんなで感動して元気になろうとスチャラカドンドン
「3.11」も「フクシマ」事故もなかったかのように、壮大な夢物語に突っ走る、我が国ニッポン
 どこまで行っても学ばない、何も変えようとしないこの有様は、滅亡を前にした、うたかたの最後の宴
 人々の精神が、取り返しのつかない根腐れを起こしている
 ここまで来たら、破局に至るしか途はない

 2011年3月11日以降、全人類は福島第一原発事故の影響下にある いつ訪れてもおかしくはない次の破局は、事が極東はおろか北半球全体の存亡に関わる
 にもかかわらず、この国を浸すあたかも何事もなかったような空気の異様さは何なのか?
「原発反対」「放射能は危険」と、当たり前のことを言っただけで、国策に異議を唱える者は“放射脳”、サヨク、非国民と揶揄され、過激派扱いされる
 被曝を分かち合うのが“絆”という狂った政府と、それに寄り添うメディアが統治するこの国

 この空気に馴らされた日本人が、常に習い性として好み、流されるのは、けっして個としてたたかうということのない、群れと絆、あるいは斉唱と涙、メディアが生産する「感動」の消費
 それらを美とし、和の精神と言い、日本人らしさとうそぶく
 そこにあるのは、真実に目を瞑った上で成り立つ、豊かで皆が仲良いという幻想の国 そんなものは、元からどこにもありはしない

 1995年に作られたカードゲーム「イルミナティ・カード」には、その絵柄に「9.11」や「3.11」の有様も描かれていたと言われる そしてそこには、東京を思わせる街が崩壊して、炎に包まれている「複合災害」のカードがある
 都市伝説の類と一蹴して済ませられるかは、今は未知数
 私の拙き直観でも、避けられぬ破局と大変化の足音が聞こえてくる その業(カルマ)と必然の帰結として、「幻想の国」が否応なく終わるのは、もう時間の問題だ



 

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