“プロジェクト・ペガサス”と火星秘密基地 (その1)

 

 アメリカ軍産学複合体が秘かに進めてきたとされるタイムトラベル/火星テレポーテーション計画、“プロジェクト・ペガサス”―。このSFもぶっ飛ぶような信じがたい極秘計画は、ある内部告発者によって暴露された。驚くことに青年時代のオバマ大統領は、テレポーテーション要員だったというのだ。あまりにも壮大で信じがたく、全米を当惑させた驚愕プロジェクトの真相は何だったのか―。

全米を驚愕させた奇想天外な内部告発

「現役大統領バラク・オバマは、20歳前後の学生時代、DARPA(国防高等研究計画局)とCIAの極秘タイムトラベル/テレポーテーション計画、“プロジェクト・ペガサス”の実験要員に密かに選抜され、火星上に建設されたアメリカの秘密基地に2度以上、テレポートした! 同プロジェクトに関わった複数の元要員が国家陰謀の〈内部告発者〉として名乗り出て、〈火星で若き日のオバマに会い、話も交わした〉と暴露証言している―」
 今年の正月早々、季節外れのエイプリル・フールのような、奇想天外過ぎるニュースが流れて、アメリカ中を沸かせた。インターネット上では昨年の夏頃から話題になっていたトンデモ話のネタで、当初は黙殺しようとしていたホワイトハウスも、マスコミにつつかれて当惑し、1月10日、国家安全保障会議のスポークスマン、トミー・ヴィーター氏が、ジョークに紛らせながら、“大統領の火星旅行”を真っ向から否定するマスコミ向けの公式声明を発表した。
「オバマ大統領は、絶対に火星になど行ってません。『火星人マーヴィン』がお気に入りでよく見ていることが、火星旅行を意味するわけではないとすればの話ですが…」

 しかし、メディアをさらに唖然とさせたのは、このトンデモ体験告白に踏み切った内部告発者たちの中心的存在が、ただの変人ではなく、複数の一流大学で複数の学位を修め、在学中から環境生態学者として多数の論文を発表し、現在は環境保護の弁護士として活動する、社会的信用も高い知識人だったことだ。
 その人物の名はアンドルー・バシアゴ。今年50歳。社会的地位も高い知識人のバシアゴが、己の地位と名誉を台無しにしかねない危険を恐れずに、声を大にして内部告発する理由はただ一つ。
「アメリカの政府・軍・情報機関・軍需産業・軍事科学者が一体となった、いわゆる軍産学複合体は、宇宙と人類の歴史に関する真実の情報を徹底的に隠蔽し、自国民はもちろん、世界中の人民を完全に騙している!!」
 もっと具体的には―
「アメリカはすでに1960〜70年代に、極秘のタイムトラベル実験に成功した」
「アメリカは同じ技術を転用して、月や火星に瞬間移動できるテレポーテーション実験にもすでに成功済みだ」
「アメリカはこのタイムトラベル/テレポーテーション技術を駆使して、すでに火星上に秘密基地を建設している」
「火星には生命が存在し、地球生物に似た高等生物もいる。また、レプティリアン型文明人がいて、今も地下都市に大挙居住している」

 バシアゴをはじめとする内部告発者たちは、自分たちが“生身で見聞きした”という実体験を直接証拠に、「アポロ宇宙船やスペースシャトル、国際宇宙ステーションなどは、世界を騙す見せかけの宇宙開発計画に過ぎない」と口を揃える。
 あまりにも一般常識からかけ離れて見える、にわかには信じがたい体験告白だが、はたして彼らの主張はどこまで真実なのか? あるいはひょっとして、全てが新手の謀略情報工作の一環なのか? そこに真実のかけらがあるのか、一つ一つ追ってみよう―。

                   *

 一枚のピンボケ気味の古いモノクロ写真がある。写真のちょうど中央には、髪の毛が現代風に長めの、どことなく場違いな感じの少年が写っている。ぽつねんと両手をポケットに突っ込んだまま、左の方に視線を向けている。
 少年の向こうには長いスカートの女性が佇み、銃や軍旗を巻いた旗竿らしいものを抱えた兵士たちが整列し、さらにその向こう、画面いちばん奥の右から左までいっぱいに、沢山の群衆が何重にも立っていて、どうやら演壇とおぼしきものを取り囲んでいるようだ。
 これはいったい何の場面の写真なのか? 米国のCIAとDARPA(国防高等研究計画局)の極秘タイムトラベル/テレポーテーション計画“プロジェクト・ペガサス”の中心的内部告発者バシアコ弁護士によれば、画面中央の少年こそ、「11歳のアンドルー・バシアゴ少年が、1863年へとタイムトラベルした時の姿」なのだという。
 それもリンカーン大統領が奴隷解放を旗印に戦った南北戦争さ中の1893年11月19日、同大統領が行った後世名演説として有名になる、あのゲティスバーグ演説の現場を見届ける任務を与えられ、直前の時間帯をターゲットに、1972年のアメリカから時空トラベル装置で送り込まれたというのだ。

 バシアゴ弁護士によれば、自分が写り込んだこの写真を古雑誌の中に発見したのは2003年のことで、全くの偶然だったという。リンカーンを待ち構えていた自分が、まさか誰かに写真を撮られたとは思ってもいなかったので、ひどく驚いたという。
 この軍と情報機関の時空トラベル実験は、トップシークレットだから、たとえ関連する映像データは存在するとしても、故意のリーク以外には外部に漏れることは絶対にありえない。1863年の時点では、写真技術が発明されてから30年以上経っていて、ネガポジ式も開発されていたから、おそらく当時の新聞記者が何枚か撮影した中の1枚だった可能性が最も高い。

 バシアゴの証言によると、1972年のゲティスバーグ行き時空トラベルの出発地点は、ニュージャージー州イーストハノーバーのとある軍事科学施設内の時空実験室(後年“ジャンプルーム”と呼ばれるようになる)だった。
 詳細は明らかにしていないが、バシアゴが“量子置換”法と呼ぶ時空トラベル方式による時空移動の体験は、ひどく激烈なものだったという。バシアゴのフェイスブックから、該当部分をそのまま引用すると―「私は、量子密閉高圧空間のコハク色の深淵内で枝分かれする一連のワームホールの中を、猛烈な勢いでなだれ落ち続けた。途中で私の靴はもぎ取られ、私はほとんど方向感覚を失って、異常な興奮状態に陥ったまま、ゲティスバーグ北西の道路際に突然ポンと飛び出した…」
 なお、バシアゴはあの写真の中で立っていた数分後、「自分を過去に送り込んだ“プラズマ密閉室”の“量子場効果”が切れて、気がついたら“ジャンプルーム”に戻っていた」と説明している。

 バシアゴ弁護士の主張するところでは、2008年にまずインターネット上でカミングアウトしてマスコミの注目を浴び、内部告発に踏み切ったDARPAとCIA共同の極秘時空トラベル計画“プロジェクト・ペガサス”では、実は1968年までにすでに数通りの時空トラベル方法が実験段階に達していたという。
 バシアゴがカミングアウトするまでの約10年間、その下準備としてペガサス計画について調べられるだけ調べたところでは、全ての時空トラベル技術開発の原点は、天才発明家ニコラ・テスラの最晩年の時空研究に遡ったという。
 テスラは米海軍極秘の軍艦不可視化計画「フィラデルフィア実験」に協力したが、実験当年の1943年1月、ニューヨーカーホテルで孤独死した。直後に国防総省とFBIが部屋から貴重な研究実験データを洗いざらい持ち去ったとされている。

 バシアゴは、“量子置換”法をはじめとした“テスラ技術”に基づく様々な時空トラベルの方法に関する技術を、総合的に“ジャンプルーム・テクノロジー”と名づけている。
 同じペガサス計画だが、別進行の“仮想時空トラベル”方式とでも呼ぶべき“時間透視機探査プログラム”も実施され、1970年代初頭に一応の成果を見たという。一方では1960年代後半、ペガサス計画は密かに選抜した年少の子どもたちを過去に送り込んで情報収集に当たらせる実験をスタートさせていた。
 バシアゴがそうとは知らぬまま、この計画に初めて参加させられたのは、1967年。
 当時まだわずか6歳の時で、後述するように父親の仕事関係の縁で選ばれたようだ。

 ここでDARPA(国防高等研究計画局)について説明すると、これは形式上は国防総省に属するが、他の部局からは完全に独立していて、CIA同様、合衆国大統領に直に報告義務を課された直轄機関である。インターネットの軍事用原型やGPS(全地球測位システム)を開発したことで知られるように、もっぱら最先端テクノロジーに基づく軍事用新技術の研究開発を行う専門組織だ。開発アイディアは全て一般公募のため、全研究目的が公開される建前なので、極秘研究などはないとされているが、バシアゴに言わせれば、職員数も含めてそれはあくまでも表向きに過ぎない。
 当初は軍事用目的で開発されたインターネットの原型がそうだったように、実際にはその裏でたくさんの秘密プロジェクトが進行しているという。ペガサス計画もその一つに過ぎなかったのだ。

“ペガサス計画実験要員”を担ったのは少年少女だった

 6歳のアンドルー・バシアゴがその計画に初めて徴用された1967年当時、父親のレイモンド・F・バシアゴは、政府契約企業で土木建設業界の最大手、ラルフ・M・パーソンズ社の上級プロジェクトエンジニアで、しかもテスラ応用技術に関するパーソンズ社とCIAとの主任技術連絡員だったという。
 その日、父親のレイモンドは幼いアンドルーを車に乗せて、ニュージャージー州ウッドリッジのカーティスライト飛行機エンジン社の製造施設に連れていった。
 バシアゴ父子は第68号棟に入った。そこには、とても奇妙な形状の装置があった。高さ約2.5メートルのバーレン(丸かっこ)形で、外側に湾曲した金属柱が2本、3メートルの間隔で向かい合っていた。実は、これこそが時空トラベルの入口だった。
 父子はその奇妙な装置の手前に立った。操作系の技術者がスイッチを入れると、2本の柱の間にまばゆい放電のカーテンが出現し、まるできらめく光の瀑布のようにゆらめいた。
 次の瞬間、父親はアンドルーの手を引っ張ると、2人でその光のカーテンめがけて飛び込んだ―。
 すると、目の前に光のトンネルがあった。このあと出口まで数秒かかって通り抜ける間、周囲で他の人々や出来事が、ものすごいスピードでめまぐるしく現れたり消えたりするのが見えたという。トンネルを抜け出た次の瞬間、出口は背後で閉じて消え、2人は見知らぬ丘陵の中腹に立っていた。当時は幼いアンドルーは知る由もなかったが、後日、その場所はニューメキシコ州サンタフェの州議会議事堂のすぐ近くと分かったという。
 これがペガサス計画におけるバシアゴの最初の時空トラベル体験となる。ただしこの時点では、場所から場所へ空間移動(つまりテレポート)しただけなのか、それとも過去か未来かに時間も移動(タイムトラベル)したのかは、幼いバシアゴは知らなかった。

 バシアゴ自身の証言によれば、自分に課された任務をはっきりと自覚してペガサス計画に積極的に参加するようになったのは、1970年の夏、8歳から9歳になる頃だった。
 当時は他にも実験要員に選抜された同じ年頃の少年少女が多数いて、バシアゴは彼らとチームを組まされて、国防総省がバックアップする高等学習プログラムを受けることになる。チームの各メンバーは、実験と訓練を兼ねて、カーティスライト・テレポートからニューメキシコ州サンタフェまで、定期的に時空トラベル体験を積まされた。
 サンタフェは、同じ州内にひしめく多数の国防総省関連施設、たとえばロスアラモス国立研究所、ホロマン空軍基地、サンディア国立研究所などへの連絡地点として好都合だったのだ。サンタフェからの帰りの旅には、いつもサンディア研究所内のジャンプルーム、“サンディア・テレポート”が使われたという。

 しかし、初期の時空トラベル実験には色々な問題点があり、悲惨な事故もしばしば発生した。あるケースでは、少年が目的地に到着する際、体の一部がほんの一瞬だけ遅れたために、両足がちぎれてしまった。子どもが時空トラベルの最中に失踪したきり、帰ってこなかったケースも何件かあったと、バシアゴは回想する。
「あらためて振り返ると、成人してからテレポートスパイ活動に携わるために必要な訓練だったとはいえ、我々は皆、哀れな実験用モルモットに過ぎなかった」
 バシアゴは2009年11月、超常現象テーマ中心の人気ラジオトーク番組「コースト・トゥ・コースト」での長時間インタビューで、そう述懐している。

 初期のペガサス計画のような危険と不可測性に満ちた実験プロジェクトで、当事者のCIAやDARPAがなぜ子どもたちを被験者に選んだのか、5つの理由が推測できるとバシアゴは言う。
 ?国防総省としては、時空トラベル体験が子どもに及ぼす精神的・肉体的影響をテストしたかった。
 ?別進行の時間透視機探査プログラムでも、成人が中に立つと形成されたホログラムが崩れるので、子どもがどうしても必要だった。
 ?子どもの心は未経験の白紙状態なので、成人が見落とすものも見落とさない。
 ?子どもの訓練生が成人すれば、表向きのNASAの宇宙計画と同時進行するDARPAの裏の時空計画に適応しやすい。
 ?異なる時間線移動が原因で、成人は時に精神異常をきたすこともあるが、幼少期から訓練された成人は、時空トラベルの精神障害に対処できる優秀な時空トラベル要員になれる。
 カーティスライト・テレポートの時空トラベル装置は、テレポートだけでなく、限定的ながらタイムトラベルも可能だった。バシアゴによれば、“ダイアル”の調整次第で過去・未来いずれの方向へも、2年前後のタイムトラベルができたという。
 ペガサス計画では色々なタイプの時空トラベル手段が研究開発されていた。その中には伝統的なタイムマシン方式もあった。1972年の夏、バシアゴが連れていかれたのは、ニューメキシコ州セリロスの旧レクリエーション施設内のバスケットボールコートに設置されていた、いかにもタイムマシンといった風情の機械装置だった。
 ただし、時間線を自由に行き来できるわけではなく、このマシンは近未来の2045年を定置点として、そこまで飛んでは帰ってくる方式のようだった。

“スターゲイト”と命名されたそのマシンは、巨大な金敷台のような形状をした金属構造物で、底面近くに開いた出入口から青い光が出ていた。一段高いその出入口には、短い金属タラップが床面から出ていたという。
 バシアゴたち時間飛行士たちは、それぞれの視点から入手した未来70年間の情報を携えて、1972年に帰還した。バシアゴが見た2045年の世界は、もしそれまでにあったとしても、大災厄の痕跡は少しもない平和で静穏な、高度に進歩した社会だったという。
 ちなみに大ヒットしたSF映画「スターゲイト」とそのテレビシリーズのタイトルもアイデアも、「けっして偶然ではなく、おそらくペガサス計画からのリーク情報がヒントになったに違いない」とバシアゴは断言している―。




*写真は『ムー』2012年8月号より転載

 

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