〈エッセイ〉 タブーを超えて語り出せ


 原発と核廃棄物というマスコミタブーは、「フクシマ」事故で図らずもその一端が崩れ、深刻な実態が世に知れ渡り、大きく世論を揺るがした。
 そしてさらに日本には、マスコミがけっして触れたがらない巨大なタブーが残っている。その一つが、全マスコミが礼賛報道しかしない皇室―天皇制という日本独特、独自の、ある意味最強の意識支配システムだ。
 最近では、「3.11」発生後の天皇メッセージ、天皇・皇后夫妻の被災地慰問、私的生活では雅子妃のメンタル問題、娘の愛子内親王の不登校問題―といったことがあったことは、日本国民は誰もが何となく知っている。
 誰もが思う素朴な疑問―天皇や皇室の人々は、なぜ我々一般国民と違って「尊い」のか? 日本国の“象徴”って何ですか?
なぜ我々は、皇室の人たちを「さま」付けで呼んで、敬わなければならないのか?
 我々国民は、国やマスコミや識者からも、そして宮内庁からも納得できる説明を聞いたことがない。
 日本国憲法第一条に、「象徴としての天皇の存在は、国民の総意に基づく」とあるが、我々国民は戦後60数年間、これまで一度もその総意を問われた覚えはない。

そして我々日本人とは、大多数の人々が天皇という神のような最高権威、慈愛の象徴のような存在を必要としているのだろうか。
 皇室の人々に対する他意はない。むしろあのような立場から解放してやりたいと思う。
 こういった権威を崇め、有り難がることを暗黙の空気として強いる世の中である限り、天皇制は国民に対して意識支配の強力な装置として在り続けている。

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天皇とは、国家にとっては国民を統治・管理するためのタブーで囲った最高権威の象徴であり、もう一つの顔が、日本神道―伊勢神宮の最高神官に位置するのが天皇という存在なのだ。その日本神道において、古来から神事において重用され、深い関わりを有しているのが大麻である。
 しめ縄も御弊も大麻で作られ、日本神道において大麻は罪穢れを祓うものとされ、神聖さを象徴するものだった。そして、天皇の即位式の「大嘗祭」においては、天皇霊を宿す儀式で新天皇は「あらた衣」という麻で作られた純白の衣裳に身を包む。

 神道においても、それほど重要で神聖なものだったはずの大麻が、現代ニッポンでは違法薬物呼ばわり一辺倒で、触れてはならないタブーのようになって、日本人自身がつい60年前まで全国で産業作物として当たり前に栽培、生産していたことさえ忘れてしまっている。それを「マリファナ」という麻薬だとして、「大麻取締法」を押しつけて根絶やしにしようとしたのが、戦後のGHQ―アメリカだ。
 日本は元々、古事記の時代から麻の国だった それは日本人の先祖代々、生活や日常の用品、神事に用いられ、麻は日本の文化、心そのものでもあった。
 マスコミや有識者も含めて、多くの人は大麻の真実を知らない。その実物を見たことも、触ったこともない人たちが、それを恐怖し、頭から否定し、その通念が常識となっている。その要因の一つには、これまで政府や行政、マスコミや産業界も加担して、事実を隠してきたからだ。

 大麻の栽培・所持は、被害者がいないのに、強盗致傷罪と同等に罪を重く問われる。それによって身柄拘束を受ける、刑務所に行かされるというのだから、最大の人権侵害であり、憲法違反の疑いが大だ。
 そして、それをよく読めば、大麻取締法は実は、大麻を吸うことを規制している法律ではなくて、大麻という植物自体を規制している法律だということが分かる。それは大麻製品規制法と言ってもいい。
 さらにそれには立法目的が明記されていない。よってこれは、形式上も欠陥法であって、憲法上無効といってもいい法律なのだ。

 それは戦後の混乱期、形式上、国会を通過して制定されたが、それっきり政治家もメディアも国民も、大麻取締法自体を問うことを一切しないまま、ここまで来てしまった。そして今も思考停止を続けている。
 法律の成立時からして、大麻が社会問題になっていたわけでも、被害の実態があったわけでもなく、GHQから「規制しろ」と命令されたから仕方なく法律を作っただけで、その後も、大麻にどのような毒性があるのか、長期使用によって人体にどのような影響を及ぼすのか、暴力や犯罪との結びつきはあるのかといったことを、厚労省や警察が調査したことは一度もない。つまり、被害の実態があるのかないのか、分からないまま規制していることになる。

 もう既に世界中で大麻を危険な薬物として規制を強化していこうとしているのは、日本だけと言っていい。1993年にイギリスで栽培が解禁されると、オランダ、ドイツ、オーストリア、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが解禁に踏み切った。また、フランスやロシア、中国など元々栽培を禁止していなかった国を含め、OECD30カ国のうち、栽培をしていない国は5カ国、許可制などにより栽培を抑制していく方向にあるのは日本とアメリカ(連邦政府)の2カ国だけ。
 先進国G8の中では、日本とアメリカを除く6カ国では、少量の所持や個人の使用は罪に問わないとする「非犯罪化」という処置が取られている。
 また、アラスカ州では個人の栽培は自由になり、カリフォルニア州では2012年10月に、大麻の嗜好品としての使用を合法化する住民投票が行われるなど、大きな流れとして規制緩和に向かっている。

「ダメ、ゼッタイ!」を、メディアと共同で説いてやまない規制当局は、大麻を一旦、使い始めると、依存症状の果てに最後は廃人になってしまうなどと、覚醒剤と同様の麻薬のように騙って脅しているが、これはアメリカが世界に麻薬禁止のロビー活動をしていた頃に宣伝された古い情報に基づくものだ。はっきり言ってしまえば、そこで言われている“毒性”は、でっち上げた作り話だ。
 実際には、この問題は既に決着していると言っていい。というのは、既に大麻がある程度、合法化され、使用が一般化している諸外国でも、大麻を使用している人たちに、何ら重篤な症例も問題の発生も見られないからである。
 また、日本では今でも年間2000人ほどが、大麻取締法で逮捕されている。その2000人について、医師による診察を行い、身体や精神に何らかの異常が見られるかを調べることは簡単なはずだ。しかし、そうした調査を厚労省も警察もかつて実施したことはなく、今後もする予定はないとしている。これでは、調査をすれば、大麻に大した毒性はないし、犯罪とも結びつかないという事実が明らかになってしまうからだと勘繰りたくなる。

 現在の社会で、アルコールやタバコが一定の規制を受けながらも、禁止ではないなら、大麻を禁止する理由はない。ある程度の規制や制限を設けながらも、個人が私的空間で嗜む程度なら、禁止も罰則を課す理由もないはずだ。
 癒しの時間の大切さ、意識を深化、拡大することの素晴らしさ。大麻を使用することは、そういう根源的欲求の象徴の一つであり、人類の歴史においても、古代から精神、物質面でも常にその伴侶として存在していた。

 今の日本は、戦後に作られたいわゆる一般の感覚と、マスコミの影響、検察と警察による取締りの感覚で日常―世の中の倫理観が作られているようだ。そこには、世界の状況を見れば当然湧くべき疑問や働きかけが生まれる雰囲気もない。しかし、少なくとも日本の60〜70年代はそうではなかった。大麻とは何か、大麻取締法とはどのような法律なのか、そこで犯罪とされるのはどういうことなのか。その事を見つめると、現代の日本社会の大麻への見解がいかに間違っているか、どれほど強い偏見なのが見えてくる。

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 大麻産業は、「金の卵」だ。上手に運用すれば、日本だけで10〜30兆円も経済効果を上げられる可能性を秘めている。
 大麻は病害虫に強く、農薬いらずで、硝酸質の土壌を改善し、土地を肥やしてくれる。
 種子から採れるヘンプオイルは、石油燃料の代替にもなり、しかも毎年、採れるので、尽きることがない。ヘンプオイルは、そのまま食用になり、種子はそのままで栄養価の高い食用となる。茎は衣料や縄、紙の原料、建築用材の原料、ヘンプ製のプラスチック等々、環境にも優しい循環型の有望な資源として、様々な分野での利用が見込まれている。

 さらに医療用として、花穂や樹脂、そのエキスは、疼痛、緑内障、ガンの術後やエイズ治療による消耗症候群、てんかんの治療に有効とされ、また多発性硬化症、筋萎縮側索硬化症(ALS)などに大きな治療効果を上げている。
 現状では、これらの症状は医療大麻以外の有効な治療法はないとされている。
 アメリカではカリフォルニア州をはじめ、13州で医療大麻が合法となり、医療大麻による治療を受けていることを証明するカードを、州が運営している配給所に行けば、適量を処方してくれる。
 2000年代には、カナダ、オランダ、ベルギー、ドイツ、イスラエル、スペイン、イギリスで次々と医療大麻が解禁された。こういう諸外国の実情も、一切伝えようとしないのが日本のメディアだ。
 日本では、大麻取締法のために、製薬会社が研究活動さえできないという、海外に大きく遅れをとるという鎖国状態が続いている。

 医療大麻がなぜ様々な薬理効果を発揮するのか。そこに大きく関係しているのは、人間の体内、特に脳をはじめとする神経系と、脾臓や扁桃腺に多い免疫系に、それぞれCB1とCB2という大麻成分のTHC(デルタ9・テトラヒドロカンナビノール)の受容体があるからだ。それはTHCと分子組成が酷似している神経伝達物質で、内因性カンナビノイド、別名脳内マリファナと呼ばれる。この物質は、たとえば痛みや不快感、心的外傷を受けた時などに放出され、身体の痛みを忘れさせ、多幸感をもたらす。
 それに外部からの同類の物質が加わると、合体することによって、両者の相乗でさらに著しい効果をもたらすということだ。

 多くの国民は自分は大麻など吸わないし、関わりたくないから、そんな法律のことなど関係ないと思っているが、大麻取締法は、実は日本の文化の真髄にあるものと、歴史に裏打ちされた産業の可能性を押さえつけ、さらには国民に恐怖を与えて支配、コントロールするのに大きな力を発揮している。
 権力にとっては手放したくない、国民管理には格好の便利なアイテムなのだ。

 ポスト原発社会の真打ちの資源、未来の作物ともいうべき大麻に、“恐ろしい麻薬”、“違法薬物”というレッテルを貼り、一切使わせないどころか、その真実を国民から遠ざけている大麻取締法という前世紀の遺物というべき法律は、適正に改正し、できれば廃止する必要があると私は思っている。この法律があるために、大麻の産業用、医療用への使用が著しく制限され、また、罪の重さに相対して、過剰な刑罰と社会的制裁を受ける人が毎年、多数に上っている。そして実は、大麻を禁じることによって、かえって“脱法ハーブ”などの、より危険な薬物が蔓延する状況を招いているのだ。

 嗜好品としての大麻は合法化は別にしても、先ずは産業・資源用、医療用大麻の解禁に向けて、現在の大麻取締法を改定する論議を始めることを提唱したいと思う。
 嗜好品としての大麻は、この植物の持つ多様性の一つに過ぎない。むしろ重要なのは、産業・資源用途だ。

 天皇、日本神道、大麻―。マスコミでも世論でも、未だ大きなタブーのままの日本人なら誰でも知っているそのことを、原発のタブーが破られたように、その真実について明かされ、語られるようになることが、日本人自身が自分たちの本質を知り、本来の魂を取り戻す術(すべ)となる。
 それこそが自由への門だ。それを知りたいのなら、立ち上がり、声を上げるしかない。
 タブーについてはっきりと言葉にして問わねばならない。
 大丈夫、その時は原発問題がそうだったように、大勢で一斉に声を上げればいい。
 こうして日本というものを形成するマトリックスが明らかとなり、そこから新しい世界が始まる。
 古いシステムをこれまで通り続けるのか、その真髄を残しながら新しい日本という国を作っていくか。
 その時こそ日本人自身だけでなく、世界中がアッと驚いて日本に注目する歴史の真実が明かされる時かもしれない。


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