あ る 朝 、目 覚 め る と


どの時点から、こっちの世界線に入ったのだろうか
アイアム・ザ・ワールドである僕自身、そして、このニッポンが福島原発の破局的事態の瀬戸際にあった2011年3月11日からの1週間
 3つの原子炉がメルトダウンし、使用済み核燃料が過熱に至ったものの、ギリギリの一線で水蒸気爆発、放射能の大放出というデッドエンドに至らなかったのは、確率的にもほとんどありえないような奇跡
 日本を守る神様からの、三行半は何とか免れたのか
毎朝、目覚める度、まだ大丈夫、末期的事態には至っていないことが不思議だった 本当はもうそれは起こっていて、目覚めているつもりの僕は、夢を見ているのではないかと

 まさにそういう事態に至ったという世界線―パラレルワールドも同時にあるのだろう たまたまこの世界線は、ほんのわずかズレて、最悪の事態の未来を免れた
 あるいは僕自身が、ある朝、目覚めると、こっちの世界線に移行してしまったのか

 最悪の事態というのは、チェルノブイリをも上回る地球規模の放射能汚染であり、原発周辺地域は元より、国土の広範囲に渡って放射能による大量死をもたらす、まるで黙示録そのものの世界だ
 それが現実に紙一重のところまで来ていることを知った時、僕は目が眩みそうだった 戦慄と共に体が震えた
 もしかして、これで日本という国と民族は滅ぶのか それは想像の域を超えていた 今、世界が破滅するなんて嘘だろ、まさか嘘だろと
 あの時、核によるアセンションという言葉が浮かんだ
それは核―放射能による死の覚悟という意味である
もし、そういう最悪の事態に至ったとしても、いっそそれこそが日本人にふさわしい ふと、そう閃いたのは不埒なことか

 日本人は既に何十年も前から、核の使用を選択した
これまで全国各地に54基もの原発の稼働を認め、問題にも注意を払ってこなかった
 今回、たまたま、その最大のリスクが降りかかってきたとしても、起こりうることの一つが起きているだけ 想定外とか、何も知らなかったという言い訳は通らない

 あの時、原発の最悪事態をくい止めた現場の作業員たちが、自分の命が大事と全員が撤退していたとしても、国民は彼らを責めるべきではない
 我々は彼らに、我々の生命とこの国を守るため、犠牲になってくれ、死んでくれと言える資格があるのか?
 彼らに犠牲を強いて、口を拭って生き延びるより、我々は誰も分け隔てなく、潔く原発による災禍を、放射能を浴びる覚悟を持とうではないか
 いっそここで、是非に及ばずと、死ぬ覚悟を決めようではないか
それこそ武士道精神、和の精神ではないのか
 ここで死ぬことが、そんなに怖いか? いっそいち早く自由な次元へ行けるチャンス、これもアセンションの一つ そう考えてみてはどうだろう
 日本と日本人は、核によるカタストロフィーによって滅亡した―アセンションした、という現実が起きても何の不思議もないところに来ていた 今は無事に見えても、それはただ少し先延ばしされて
いるだけ、時間がかかっているだけなのかもしれない

 ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸、そして福島
核による大きな放射能災害は、なぜ日本でばかり起きるのか
日本は核の使用に執着してやまない人類の業の生贄となったのか
そう、世界全体のそれの身代わりを引き受けているように

 核兵器と原発を世界で最初に開発し、それを世界中にばらまいた張本人のアメリカ、日本に2発の原爆を投下し、実戦で初めて核による無差別殺戮を行ったその国が、その業にふさわしい報いを未だ受けていないのは、甚だ理不尽、許されざることと思うのは、お門違いの逆恨みか

 福島原発から放出されたチェルノブイリの数分の1にも相当する
放射能は、地元を人の住めない土地に変え、日本中にばらまかれた
それは、人々の生体に、環境に、産業や経済に決定的な影響を与え、
放射能の半減期同様、長期間にわたって思い負債となる
 福島原発の廃炉処分でさえ、一説では数百年という時間を要するという 福島原発の現場では、そろそろ被曝限度がいっぱいになって、使える作業員が足りなくなってきているらしい
これが何十年も続くのだから、日本中に使える作業員がいなくなっていまうのは必至だ

 我々は、いつまで放射能との戦いと管理を続けなければならないのか 今ある原発を廃炉にし、放射性廃棄物を管理していくだけでも数百年? そんな重い負債が課せられた永劫の未来なんて、想像できるだろうか
 それに対応していくためには、我々の生体がもたない
その専従者の命がいくつあっても、足りないという話だ
従来の三次元の肉体では、とうてい放射能に対抗出来ない この肉体のままでは無理なのだ

 いっそ我々自身が、別の次元の肉体に転位するか、放射能を完全に閉じ込めるか、消滅させるような画期的なテクノロジーの導入が必要だ トンデモ論、夢物語と嗤うなかれ
だって本当にそれしか途がないところに来ているのだから
 それが叶わないならば、従来の科学技術の手法のままでは、人間は放射能を制御も克服もできない 人間の生体と環境は、緩慢な滅亡に向かうばかりだろう

 ある朝、目覚めると、どこかの原発か再処理工場が爆発したという再びの悪夢の中にいたとしても、もう僕は驚かない
何があっても、それを単なる滅亡と見るか、自分の存在を含めて大転換の時ととらえるか、それは君次第
 たとえ放射能を浴びて死んでも、君や僕のたましい―存在は、けっして死なない、滅びない それだけは分かっていてほしい


表紙にもどる