番 外 編

巨大地震と原発メルトダウン

 

Shiva Shiva Shiva Bom

 2011年3月11日。この日、日本を見舞った突然の“変化”―巨大地震と大津波は、まさに断層のように日本社会をそれ以前と以後を、異なる日常に変えてしまった。
 新聞には連日、墨黒々と特大の大見出しが躍り、テレビの番組欄は真っ白の日々が続いた。大新聞の記者はこう書いた―「これは現実なのか。爆音と共に福島第1原発から白煙が上がる。原子炉内の核燃料棒は砕け、放射性物質がまき散らされた。原発の周辺住民は目に見えない放射能の恐怖にさらされている。これは紛れもない現実なのだ―。」

 東北地方太平洋沖で発生したM9の巨大地震により、福島にある第1原発が地震の揺れと大津波によって甚大な被害を受け、1から4号機までの原子炉が非常用電源まで失われ、緊急停止後、冷却不能に陥った。そして引き起こされた炉心溶融、水素爆発、原子炉建屋、格納容器の破壊、使用済み核燃料の過熱。この時点で既に相当量の放射性物質が環境中に放出され、周囲20〜30kmの地元住民は強制避難を余儀なくされて、これまで体験し
たことのない未知の恐怖と不安に怯えた。
 未曾有の巨大地震と大津波による大被害に加えて、追い打ちのように原発の大事故が重なり、マスコミの記者ならずとも、誰もが目の前で起きていることに「これは現実なのか」と驚き、おろおろと言葉もなく、報道に釘付けになるだけだった。
 突然の破壊、突然の死、突然の別れ。不条理の極みのように突然、三次元の肉体を失うことになった多くの人たち。今、何が起こっているのだろうか。

 東京電力や政府、メディアは「想定外」を強調し、突然、テレビにドッと登場してきた原子力の「専門家」らは、この期に及んでも「安全は確保される」、「放射能はただちには人体に影響のないレベル」と躍起になって弁明し、事態の矮小化にこれ努めた。
 新聞や号外の見出しなどではセンセーショナルに扱いつつ、記事の背後には人心を動揺させまいとする配慮が透けて見える。事故発生後、繰り返し行われた東京電力や原子力保安院の会見は、ひたすらむなしさを覚えるものだった。会見の席で発表される言葉は、ほとんど何を言わんとするのか理解不能だった。いや、わざと理解できないように言葉を操っているとしか思えない。事実を伝えようとするのではなく、伝えまいと苦心している言
葉の使い方だ。それに対して、嵐のように記者席から批判と追及の声が上がって当然なのだが、しんと静まり返って主催者に促されてぼちぼち質問が出るというのは、何とも脱力感を覚えさせられる光景だった。

 3つの原子炉が同時に連鎖的に制御不能となり、炉心溶融を起こし、さらに使用済み核燃料が過熱して再臨界を起こしかねない―これは世界の原子力史上でも、未だかつて誰も経験したことのない前代未聞、未知の領域の出来事なのだ。3つの原子炉の炉心溶融が判明し、そのうちの一つは一時、全燃料棒が露出という事態に陥り、加えて使用済み核燃料が過熱して臨界爆発を起こしかねないという段階に入った時、私は震えが来ると共に心底
から戦慄した。スリーマイルやチェルノブイリでさえも一つの原子炉の出来事だった。もし今回、3つの原子炉全てが全炉心溶融―メルトダウンに至り、さらに使用済み核燃料が最悪、臨界爆発まで起こしたらどうなるのか。想像しうるその結果は、あまりに途轍もなさ過ぎて、想像しうる限度を超えている。それはまるでSFのような話だが、それが今にも現実のものとなる可能性が現出したのだ。
 この時点でも、一般国民も、メディアも原発当局、政府も、その結果をリアルに想像できていなかったと思われる。既に周辺住民はもちろん、国民の間に不安と恐怖は広がっていたが、考えられる最悪の事態の本当の恐ろしさを想像し、理解できていたら、恐怖とパニックは収拾のつかないものになっていただろう。それは文字通り日本全土が壊滅するという話である。そして、それにとどまらず、チェルノブイリの時のように全地球規模で甚
大な放射能汚染をもたらすという事態なのだ。その点では海外のメディアや専門家の方が、起こりうる最悪の事態の恐ろしさを大げさでなく、正しく予見していた。

 日本でも反原発運動が燃え上がった1980年代末から20年以上。原発の存在も、核廃棄物の危険性も今ではすっかり日本人の意識から忘れ去られ、日本中に54基もの原発があることも、核廃棄物の処理がにっちもさっちもいかなくなっていることにも誰もが知らん顔をしている今、それは起きた。
 テレビや新聞の報道を見ていて、マスコミの記者も含め、一般の人々の原発と放射能に関する基本的な知識の無さに愕然とさせられた。そして事故が起きて、放射能が環境中に放出されたばかりなのに、早くも「直ちに人体に影響はない」とか、「汚染された牛乳を1年間飲み続けても、CTスキャン1回分の放射線に等しい」等と、結果が判明した事のように政府や専門家の口から放射性物質の汚染と影響を過少に断定する見解が、新聞やテレビによって繰り返し繰り返し流されている。それに対し、異論や疑問の声はほとんど見られないという実に異常な光景が展開している。

 原爆によって放射能被害を受けた国であることを任じていながら、この国の政府や企業、学界は、なぜかくも放射能、放射線の害を常になるたけ過小評価しようとするのだろうか。放射線というものは、まだよく分かっていない領域があり、それは知れば知るほど慎重、過敏になって取り扱わなければならないものであるはずだ。
 それを彼らは、自分たちは分かっていると高をくくっている。そして有害な放射性物質が放出されたのを目の当たりにしながら、「人体に影響はない」などと強弁しているのだ。どんな嘘でも政府やメディアが繰り返しそう言い続ければ、それが既成事実となって浸透していく。今また我々はそんな光景を見せられている。

 今から20年以上前の1989年。泊原発反対運動の後、札幌で仲間と共に「脱原発移動資料館」を立ち上げ、3トントラックで全国をキャラバンして回った。その時は、反原発運動の高まりもあり、一般の人々の間にも賛成派、反対派を問わず、原子力発電に関する知識と理解が高まってきたことを感じたものだが、世代交代と時代が進むうちに元の木阿弥に戻ってしまったようだ。今になってみると、あれは何だったのだろうと思う。
 今回の地震で大きな被害を受けた女川町も仙台の街も、「脱原発移動資料館」のキャラバンで訪れたことがあり、被害の様子を知るにつれ、胸が痛んだ。そのキャラバンの途中で、今渦中の福島第1原発にも立ち寄り、敷地の間際まで行って見ている。金網のフェンスに囲まれたそこは、芝生があっても虫や生き物の気配が感じられない冷え冷えとした死んだような空間だった。

 まさかの悪夢がこうして現実になってみると、ふとこう思った。私自身も含め、我々のような原発反対派が「最悪の場合はこうなる」とさんざん警告していたことが現実化してしまった。これはもしかして、そう警告、批判した言葉の力によって、それが現実化することを招いてしまったのではないかと。一方で、原発を推進する側は、どこまでも「安全」を主張し、メディアを駆使して宣伝を続けていた。だからきっと、事故の責任は賛成派・反対派を問わず、原発を保持する日本という国の国民全員にある。
 あるいはこうも思った。日本人は既に何十年も前から核の使用を選択したのだ。日本各地の海岸に54基もの原発を建てて、リスクを承知でやってきた。今回、その最大のリスクが返ってきても、今さら知らなかったでは済まず、それを引き受けるしかない。ここで核による大惨事を起こし、日本中が放射能まみれになってしまったら全てが終わり、アセンションどころの話ではないという見方もあるだろうが、こうも考えた。
 ここで核による大量死という一見無惨極まりないことになっても、それは日本人が選択した一つの「アセンション」の形ではないのかと。不謹慎で冷酷な見方と思われるかもしれない。しかし、とんでもない大惨事の気配が現実にすぐそこまでひしひしと迫っていることを知らされた原発事故の渦中の数日間は、そう考えざるをえない現実を見せられるようだった。

 その後、ほとんど奇跡に等しい原発の鎮静化と消火を成し遂げた原発の作業員数十名、警察、自衛隊、消防の無名の人達の自己犠牲と献身的な働きは、真に称賛に値する。
 文字通り彼らのおかげで日本と日本人は救われたのだ。その勇気と働きに我々は心から敬意と感謝を表すると共に、被曝を余儀なくされた過酷な現実を見据え、手厚いケアを保障しなければならない。もちろん、彼らを英雄にして讃えて済む話ではない。彼らにそのような過酷極まる作業を強いることになった原発そのものを根本から見直さなければ、その尊い働きも無に等しいものになってしまう。

 日本列島は形、地政共に世界の雛型であり、日本で起こることは世界で起こることの先駆けとなるという古神道の伝えもある。今回のM9の巨大地震の発生後、プレートのたがが外れたように、日本列島各地で強い地震が続発するようになった。それは余震の域を超えて新たな地殻の破壊現象を引き起こしているように見える。日本列島周辺にとどまらず、この巨大の地震の発生は、もしかして地球規模の大地殻変動の始まりを告げているのかもしれない。ドイツのある研究所によると、何でも月と地球の間の磁気が今までになく強いらしく、それがために磁気層の一部が破損し、巨大地震を起こしたのではないかという。これも太陽フレアが強くなっていることに関係しているらしい。
 東日本の太平洋沖で起きた巨大地震が、文字通り日本と世界を変えてしまった。
 災害現場から離れたところにいて、これまでと同じ日常、同じ職場、同じ仕事に身を置いていても、もう世界は変わってしまったと感じられる。あの時からこの国と日本人、そして世界にとっても全く未知の段階の時代が始まったのだ―。


表紙にもどる