SERIES(6)  プラズマ・ワンダーゾーン
(その4)バミューダ・トランアングルと人間消滅事件

 世界の海洋で最も有名なミステリアス海域といえば、やはりバミューダ海域になるだろう。フロリダ半島とバミューダ島、プエルトリコを結んだこの三角海域では、今まで何百隻もの船舶と何千人もの人間が消滅したと言われる。そのため、この海域は「バミューダ・トライアングル」と呼ばれる。そこでは昔から多くの船舶が謎の消滅を起こしているというが、近世になって最初の消滅事件は、1800年に起きたアメリカの軍艦「ピッカリング号」の消滅事件である。1872年に起きた「マリー・セレステ号」の場合は、船が無事で乗員だけが消滅するという異様な消滅事件だった。
 アゾレス諸島北方海域で無人のマリー・セレステ号を発見した時、人々はその原因が分からず、首を傾げるばかりだったという。マリー・セレステ号の食堂には、乗員たちの食べかけのスープや食べ物がテーブルの上にそのままになっていた。他の部屋も同様で、ついさっきまで人がいた様子のまま残されていたという。
 1902年にも、ドイツの帆船「フレア号」の消滅事件が起きたが、このケースも人間だけが消滅するという怪事件だった。

 つまり、それほどバミューダ海域で消滅する船舶や乗員が多いということだが、実は消滅するのは船舶だけではなく、これまでに何十機もの航空機が、同じ三角海域の中で突如として姿を消しているのである。それも一部の例外を除き、破片一つ残さず忽然とこの世界から消滅しているのだ。ハリケーンや嵐のあった日ばかりではない。事故など全く考えられない晴天時にも消滅事件が発生している。
 日本の船舶も例外ではない。1925年4月19日、日本船籍の貨物船「来福丸」が、小麦の荷をボストンからドイツのハンブルクに運ぶ途中、バミューダ海域で謎の消滅をしている。なぜ謎かというと、消滅寸前に来福丸が奇妙な無線通信を残しているからだ。
―「今、匕首にさらされているような危機が迫っている。早く助けてくれ! 駄目だ。ここから脱出できない!」
 しかし、この事件は公式には嵐で沈没したと報告されている。それならどうして来福丸の無線士は、そんな不可解な通信を残したのだろうか。

米海軍機フライト19事件

 バミューダ・トライアングルの名を一躍有名にしたのが、第2次世界大戦末期に起きた「米海軍機フライト19事件」である。1945年12月5日14時、対潜雷撃訓練を兼ねた通常パトロールのため、フロリダのフォート・ローダーデール海軍航空基地を飛び立った5機のアベンジャー雷撃機があった。
 搭乗員は士官パイロット5名、下士官兵9名で、編隊の呼び名を「フライト19」と呼び、当日の搭乗は一人が都合で欠員となっている。
 飛行訓練時間は2時間だけだっが、各機には約1000マイル以上を飛行できる燃料が搭載されていた。気温は温暖、天候は少し雲はあるものの晴天で、穏やかな北東の風が吹いていた。ところが、訓練の後で編隊を東に飛行させていた午後3時15分頃、管制塔に奇妙な無線が入ってきた。
「緊急事態だ。コースを外れたらしい…陸地が見えなくなった。どちらが西の方角か分からない…全てが狂ってしまったようだ」
「海の様子がおかしいし、色も普通じゃない」
「ここがどこだか分からない。最後に方向転換した後、方向が分からなくなってしまった」
「今、小さな島を通過した…しかし、陸地は全く見えない」
「燃料があと75マイル分しかない」
「現在位置がはっきりしない…基地北東225マイルのはずだが…」

 その間、謎の空電のような現象が起きるが、天候はいたって正常だった。そして、次のような謎の言葉を残し、彼らはこの世界から完全に消えてしまった。
「白い水のようなものに突入した…」
 その後、完全に5機の機影がレーダーから消えてしまったのである。
 事故を知った軍は、すぐにハバナ・リヴァー海軍航空基地に連絡し、13人の搭乗員を乗せた双発エンジン機「マーティン・マリナー号」をスクランブル発進させた。しかし、マリナー号も、捜索に飛び立ったまま消息を絶ってしまうのである。
 その後、毎日平均167機が捜索に出動し、海上でも空母、駆逐艦、潜水艦、調査船、救命艇が、38万平方マイルをしらみつぶしに調べ上げたが、破片一つ、油一滴、救命ボート一つ発見できなかったのである。
 ところが、アベンジャー機の燃料が切れた2時間後の午後7時頃、奇妙な無線がマイアミのオバロッカ海軍航空基地に入る。それは、フライト19の中で、ET28(編隊教官機)に出すコールサインが、激しい空電の中から、わずかに聞こえてきた。
 そしてこれが、フライト19からの最後の無線通信の傍受となったのだ。しかし、燃料が切れたはずのアベンジャー機が、どうして編隊長機に無線通信できたのか、未だに明確な答えは出されていない。

 こうして、アベンジャー機とマリナー飛行艇の消滅事件は、バミューダ・トライアングル最大の謎として、語り継がれることになった。その後、一挙にバミューダ・トライアングルの名が世界中に知れ渡り、有名な百科事典『エンサイクロペディア・ブリタニカ』にも、正式に登録されるようになった。

魔の海域で遭遇した飛行機を襲う雲塊

 そのバミューダ海域で2度も遭難しかけ、からくも生き延びた民間パイロットのブルース・ジャーノンが、最近、貴重な実体験と過去の遭難・消滅事件のデータから、バミューダ・トライアングル現象の謎を解く決定版、と自負する最新仮説を発表した。すなわち“電子霧”(エレクトリック・フォッグ)説である。

 1970年12月4日、当時、まだ23歳だったジャーノンは、父親と共同経営者が同乗するビーチクラフト・ボナンザA36型機を操縦して、午後3時ちょうどにアンドロス島空港を飛び立ち、ビミニ諸島経由でフロリダ半島のマイアミを目指した。
 視界がよくなってきたので、予定高度の3000メートルまで上昇を始めた時、前方2キロ近くにアーモンド型のレンズ雲があるのに気づいた。幅は2キロほど。上面の高度は450メートルだが、普通、レンズ雲は6000メートルくらいの高空に出現するはずなので、ジャーノンは不思議に思った。
 そのレンズ雲は上昇するジャーノン機を追いかけるように、下方から急速に巨大化し、ボナンザ機はその雲塊に追いつかれて、一旦呑み込まれてしまった。それでもジャーノンは雲中の上昇気流を利用して何とか雲塊の上に飛び出したが、すぐまた追いつかれた。そんな逃げたり追いつかれたりを5、6回繰り返したあげく、やっと高度3500メートル近くで上昇してくる雲塊を振り切った。
 晴れた空の下に出たので、ジャーノンはほっとしてボナンザ機を水平に戻し、巡行速度を時速300キロに上げた。機首をビミニに向け、自動操縦に切り換えて、3人は座席でくつろいだ。
 ところが、まもなく前方に、半円状に広がる積雲状の白い壁が出現した。壁の高さは1万2000メートルもあり、この雲の壁は海面からじかに聳え立っているように見えた。
 やむなく巨大な雲の壁に突入すると、白い雲なのに内部は暗闇に近い。嵐雲のように時々稲妻が閃くので、その光を頼りに前進した。計器の数値と飛行時間から、現在位置はビミニ島南東約75キロと推測された。

 周囲がたいぶ明るくなったところで、ジャーノンは自分たちの機がとてつもなく巨大な雲のリングにぐるりと取り囲まれていることを知った。出口のないこの雲のリングの中央の“穴”の直径は、約50キロはありそうだ。“穴”の中を15キロほど飛びつづけた時点で、ジャーノンはふと西側の壁にV字型の裂け目を発見した。脱出口はここしかないとボナンザ機が突進すると、Vの字の両上端が丸まってきて、ついにはさしわたし1キロ半ほど
のトンネル状に変化した。だが、ボナンザ機が近づくにつれて、トンネルの直径はどんどん縮んでいく。限界速度までスピードを上げて入口に突入した時には、トンネル径はたった90メートルに縮んでいた。
 飛び込んだトンネルの内部は明るい白色に輝きながらどんどん狭まり、雲流が逆時計回りの螺旋状にゆっくり回転している。トンネルの長さは2キロ弱しかなく、出口の青空がまだ見えた。20秒かかってその出口にさしかかる直前には、さしわたしが9メートルまで縮んで、翼端が両側の壁に触れるほどだった。その瞬間、ジャーノンたちは完全な無重力状態になり、シートベルトがなければ座席から浮かびそうになった。
 だが、やっと抜け出した出口の外は、意外にも青空ではなく、どんより灰色がかった白い霧の中で、海も空も水平線も全く見えなかった。位置を確認しようにも、電子式も磁気式も全航法計器が狂っていた。磁気コンパスさえ、まるで機体が旋回しているかのように逆時計回りにゆっくり回っている。
 幸い無線通信装置は生きていたので、ジャーノンはマイアミ航空交通管制所に報告し、正確な現在位置のレーダー確認を求めた。離陸後30分近い飛行時間から、今はビミニ諸島に接近中で、マイアミ南東150キロ付近を飛んでいると推測された。
 ところが、返ってきた管制官の応答は意外なものだった。
「レーダーでは、マイアミ、ビミニ、アンドロスを飛行中の航空機は一機もいないが―」
 その後、急に数分間、通信不能になったが、突然、交信が回復した。
「見つけたよ。マイアミビーチの真上を飛んでいる機がある」

 管制官の知らせに驚いて、ジャーノンは時計を見直した。飛行時間は34分足らず。フロリダ半島まではまだ半分も来ていない。
「そんなはずはない。こっちはビミニを捜しているところだよ」
 その時だしぬけに周囲の霧が飛行方向と平行に細長い何本ものリボン状に裂けはじめた。機の前後に2、3キロずつ延びるリボンの間から、青空が見えてくる。数秒後、リボン状の雲は消滅した。ボナンザ機は見渡すかぎりの晴天下を飛んでいた。真下を見るとそこは紛れもなくマイアミビーチだった。航法計器は全て正常に回復し、ジャーノンは北に針路を変えて、まもなくパームビーチ国際空港に無事着陸した。
 だが、降り立った3人は当惑した。機内時計も3人の腕時計も揃って午後3時48分。つまり飛行時間は47分ぐらいだったことになる。
 彼らはこれまでマイアミとアンドロス間を少なくとも10回以上往復したが、75分以下で飛行したことは一度もなかった。それも直線コースでだ。今回は回り道したので、直線距離で320キロのところを400キロ以上は飛んだ。ボナンザ機の最高速度は時速312キロだから、47分でその距離を飛ぶのは到底不可能なはず。明らかにジャーノンの機は、どこかで歪んだ時空を通り抜け、予定より28分、いや回り道を計算に入れれば、40分は近道したのだ。

 この恐怖の体験後、ジャーノンは数年前、マイアミの飛行学校でチャールズ・ガランザという飛行教官が授業中に話してくれたことを改めて思い出した。―この海域では時々高度1500メートル以上の高空で、時化雲(嵐雲)の中に“吸い込み穴”という水平なトンネルができることがあるが、中には絶対入るなよ、飛び込んで二度と帰ってこなかった無謀なパイロットを何人も知っている―という話だった。当時のジャーノンは、自分と逆に運悪く海中に墜落して遭難したのだろうと単純に憶測したが、二十数年後、2度目の体験をしてからは、もっと深刻な可能性を考えるようになる。

怪現象を体験した有名パイロットたち

 最近の有名人では、1997年に他界したマーティン・ケイディンがいる。宇宙、航空、海洋、犯罪、軍事の諸分野にまたがって活躍した作家・評論家で、その多数の著作中には邦訳されたものも多い。小型機から軍用機まで操縦できる熟練パイロットでもあったケイディンは、1986年6月11日、同乗者6人とともに双発のPBY6Aカタリナ機で、バミューダからフロリダのジャクソンビル海軍航空基地へ向かう途中、予想外の怪現象に
遭遇した。
 快適温暖だった天候がにわかにミルク色の白濁空間に急変し、エンジンと動力系統は無事だったものの、衛星受信装置や自動操縦装置、通信装置をはじめ、エレクトロニクス機器が全て機能停止に陥ってしまった。それから1時間半の間、白い霧に包まれたまま、なぜかわずかに垂直方向の頭上と真下にだけ、ちょっぴり見える青空と海面だけを頼りに、手動操縦で水平飛行を続けた。
 その後、またもやだしぬけに周囲の白霧が消滅し、快晴の飛行日和が回復して全機器が正常に戻った。以後は目的地まで何事もなかったように飛行できたという。
 この危機一髪の体験後、ケイディンはもちろん、同乗した航空専門家たちは全員、揃ってバミューダ・トライアングル現象を積極的に肯定する立場になった。

 ちなみにケイディンは1991年に『大気中の幽霊:真実の空中怪談』と題する実話集を発表したが、その中に元イギリス空軍パイロットでアクロバット飛行インストラクターのジョン・ホークという親友が、1960年代にバミューダ海域で2度も体験したという“時空異常”の話を収録している。

霧が巻き起こす時空異常

 ジョン・ホークの2度目の体験は、特に奇妙なものだった。双発のパイパーアズテック機でフォート・ローダーデールからバミューダまで貨物を運ぶ仕事で、ホークは前方の分厚い雲を避けて、高度3000メートル以上まで上昇し、追い風を利用して北東に針路をとった。ところが、突然、磁気羅針盤の針が猛烈な勢いで回り出し、急に全身が重くなって視界が暗くなり始めた。気絶を予感しながら必死に風防の外を見渡したが、機体はすで
に一面の白い霧に包まれ、青空も海面も見えなくなっていた。辛うじて腕時計で時間を確かめた後、ホークは意識を失った。
 意識が戻ったのはきっかり59分後だ。その時にはもう全計器が正常に戻り、針路も北東のまま飛行していた。窓の外は快晴だった。だが、無線で現在位置を教えてもらって、ホークは愕然とした。1時間前にいた位置から650キロも飛行していたからだ。機の最高速度(時速290キロ)で飛んでいたとしても、その半分の距離も飛べるはずはない。
 ホークの機はあの奇怪な霧に捕まったおかげで、1時間以上の飛行距離を予定より2倍以上も速く飛んだことになる。

 イギリスのベテランUFO研究家のジェニー・ランドルス女史は、2002年に発表した『時間ストーム:時空異常と時間転移の驚くべき証拠』と題する著作で、バミューダ・トライアングル現象には直接触れないものの、彼女が“時間ストーム”と呼ぶ局所的な“白霧”が起こす“時空異常”に関わるUFO目撃例を検証している。
 大気中の電磁気的擾乱から発生するという“時間ストーム”は、ブルース・ジャーノンの言う“電子霧”とほとんど同じものを指すようだ。ジャーノンが“電子霧”説を思いついたきっかけは、1996年2月、妻のリン同乗で内陸に向かってフロリダキーズ小島帯の北部上空を飛行中、二十数年前に出くわしたのと同じような不思議な白霧に遭遇し、その異常な性質を知ったことにある。
 それから4年間、ジャーノンは身近なパイロット仲間や、ケイディンなど先輩飛行家たちの記録や証言を集めて分析し、また米海軍機フライト19事件を筆頭に、過去2世紀間にバミューダ海域で消滅した航空機と船舶の事件ファイルを調べ上げた結果、きわめて独創的な“電子霧”仮説に辿り着いた。

―「通常の放射霧や移流霧のほかに、まだ科学的に未解明だが、おそらく空間の電磁気的擾乱が原因で特に大気中に発生する“電子霧”が存在する。この特殊な霧は、その発生時に接近した航空機や船舶に付着して、機体や船体を包み込んだまま一緒に移動し、その電磁気的強度に応じて、エレクトロニクス機器の干渉妨害、搭乗者の意識障害などを引き起こす。まれには時空間ワープや時空間転移現象、すなわち“タイムトンネル”効果を伴うこともある。不運な体験者が長距離・長時間にわたってこの異常な白霧から脱出できず、また地上の航空管制レーダーがこの霧を認知・確認できない原因は、このような電子霧の特性によるものだ」

 2000年の秋、ジャーノンは同じフロリダ州ウェリントンに在住する作家・超常現象研究家のロブ・マクレガーと知り合い、意気投合した。ジャーノンは2005年の夏、マクレガーとの共著で『電子霧:バミューダ・トライアングル現象の最新理論』を発表した。同書では“電子霧”の強度を、ハリケーンの分類方式に倣って、5段階のカテゴリーに分けている。(ただし、航空機を基準)

★カテゴリー3
 機体を完全に包み込むが、機体の上方、下方に細長い穴が開く。穴以外の視界はゼロに近く、霧が無限に広がっていると錯覚される。時に電磁干渉が起こることも。

★カテゴリー4
 機体を完全に覆い尽くすために視界はゼロだが、太陽や月の光は感じられるので、2、3キロあるように錯覚される。電磁干渉が激しく、時空ワープやタイムトンネル効果も。

★カテゴリー5
 生存者がないので詳細は不明だが、全てのスケールが極限に達し、おそらく機体は分解・墜落するか、時空間の彼方に消滅する。

 ジャーノン自身は、その最初の体験をカテゴリー4、2度目の体験をカテゴリー2に該当するとし、証言も証拠も残らないが、おそらくフライト19のケースはカテゴリー5になるだろうと推測している。もちろん、現在の段階では、“電子霧”説はまだ科学的証明のない仮説に過ぎないことをジャーノン自身も認めている。

バミューダ・トライアングルに関する最新理論

 実は、バミューダ・トライアングルの謎は、すでに学者の手によって科学調査がなされ、消滅原因の大方が解明されている。アメリカ科学財団とイギリス海洋研究所の共同研究で、バミューダ海域の徹底的な調査が行われた。特にリチャード・マッカイバー博士による「ハイドレート説」が、バミューダ・トライアングルの謎を解き明かしたとされる。
 ハイドレートとは、ある一定条件の下、海底で凍りつき埋蔵されているメタンガスのことである。だが、大陸棚付近で地滑りがあった時、ハイドレートの層が露出してしまう。
 するとハイドレートと海水が接することになり、そうなれば爆発的に化学反応が起きて、結晶から元のメタンガスに一挙に戻ってしまうことになる。
 すると、無数の大規模なメタンガスの泡が発生するため、それが海面めがけて一斉に沸き上がるのだ。そして、たまたま運悪く真上を航行していた船舶を包み込み、一瞬にして海底まで引きずり込むのである。

 なぜそうなるかというと、鋼鉄でできた船を水に浮かばせる浮力が、無数の泡の出現で一挙に消滅し、船を海底に“落下”させてしまうからだ。一瞬にして海底までもっていかれるため、海面を漂う船の破片や漂流物などは残らない。
 また、海面に放出された大量のメタンガスは、中規模の津波と共に乱気流を四方八方に引き起こし、メタンガスが軽いことから真上にガスの巨大な柱を形成していく。そこを飛行機が通過すると、エンジンスパークの火が引火し、メタンガスによる大爆発を引き起こし、木っ端微塵に吹き飛んでしまうのだ。
 当然、機体や人間は粉々に飛び散るため、証拠などはほとんど残らない。
 また、無数の泡は水の分子と摩擦し、海面に吹き上がると、そこにマイナス・イオン―電子の霧を発生させることになる。するとそこに局所的な磁界を作りだすため、近くを航行する船舶の羅針盤や、航空機のコンパスを狂わせてしまうのである。
 ハイドレートの反応現象は、海底を広範囲に攪拌するため、泥がメタンガスの泡と一緒に上昇し、海面付近まで沸き上がってくる。すると青い海の色が濁り、まるで霧に包まれた大陸が海底から現れたように見えるのだ。
 それらは消滅事件から逃れた人の「未知の陸地が現れた」「白い霧のようなものが包み込んだ」という証言とも一致する。また、バミューダ海域に流れ込む温暖なメキシコ湾流が、浅い地層の下に眠るハイドレートを刺激し、一挙に爆発的反応を起こすことも、海洋観測衛星の水温データからも確かめられている。
 このようにバミューダ・トライアングルの謎とされる現象の大方は、科学調査によって白日の下にさらされ、明らかになった。

 しかし―しかしである。それならどうしてフライト19のアベンジャー機が、燃料がなくなった2時間後に、隊長機を呼ぶ通信を残せたのだろうか。もし、本当にメタンガスの柱に呑み込まれていたなら、最初の段階でアベンジャー機は爆発していなければならなかったのではないか? メタンガスに呑み込まれれば、一度レーダーから消えて現れた航空機の時間が狂っていたり、無線が相手に通じなくなったりするだろうか。
 マイナス・イオンが局所的な磁場を発生させるために、電波が乱れ、空電現象が起こるとも考えられるが、相手側の無線はちゃんと入ってくるのはなぜなのか。
 さらに、ブルース・ジャーノンやジョン・ホーク、ほかにも多くの報告例がある“時空異常”の体験も含めると、そういう謎までは「ハイドレート説」では解けないのだ。
 しかし、それを解き明かすヒントがある。プラズマである。

バミューダ海域に発生するプラズマトンネル

 時々観測衛星が、バミューダ海域に出現する淡い光の帯をキャッチすることがある。多い時には数十本の光の帯が、まるで雲のように一方方向に流れる様子を観測している。
 それはメタンガスが生み出す霧が発光しているのだろうか。
 ハイドレートによる膨大な量のメタンガスが巨大なマイナスイオンの磁場を発生させるが、マイナスイオンの乱舞により、同時に無数の電磁気交差現象を引き起こす。そこに巨大なプラズマが発生することになり、そのプラズマを凄まじいメタンガスの上昇気流で一気に押し上げていくことになる。そこが一時的なプラズマトンネル状態となり、地磁気の一部が引き込まれてくる。するとそこに発生したプラズマが、近くの船舶や航空機を覆い
、一瞬にして亜空間に引きずり込んでしまう。
 そういうプラズマトンネルの出入口が、奇妙な霧のような雲であり、真っ白な光や靄なのである。なぜ、プラズマトンネルの出入口が霞のようにもやっているかというと、プラズマは高度に電離した気化状態であるため、空気中の水分も気化させており、プラズマ発光で不思議な色に光るからだ。その光の色も、ピンク、黄、青、紫、白と、プラズマの発する熱によっても変化する。

 こうして、バミューダ・トライアングルでの消滅事件のうち、メタンガスの直接原因で沈んだり、爆発して消滅した事故もあるだろうが、プラズマ現象で、亜空間に消滅した事件もあるということが分かってくる。最大の謎は、そのプラズマトンネルに吸い込まれた船舶や航空機、人々は、その先どこへ行ったのか、転送されたのかということだ。
 彼らはこの次元からは消えたが、文字通り肉体的に消滅したのではなく、別の時空間に移ったということではないか。そのプラズマトンネルの出口はいったいどこか。
 地球内部の亜空間、あるいはパラレルワールドの一つの地球、過去や未来の時空?
 その時々のプラズマトンネルの状態により、そのどれもがありうると考えられる。
 すると、とてつもないことが判明してくる。バミューダ海域で起きている消滅事件は、自然界に次元間転移、時空間移動を引き起こすメカニズムが存在することを示している、ということだ。いわゆるタイムスリップ、タイムワープである。自然界に実際にそれが起きているのなら、それを解きあかすことこそ、宇宙の謎の核心に迫ることではないか。
 何万光年彼方のブラックホールを観測するより、地球上の目の前で起きている自然現象の中にこそ、宇宙の謎のヒントが存在しているのだ。

 ロシア発の情報で地球の内核が、少しずつ北極方向に移動しているというデータがある。また、2009年12月9日、ノルウェー北部上空で、米軍の電磁波兵器「HAARP」の実験とも言われる謎の渦巻き状の怪光が目撃、撮影され、騒がれた。さらに極北地方では巨大UFOの目撃が多発しているという。
 そこで何が起きつつあるのか、これから注目すべきは北極である―。


表紙にもどる