SERIES(6)  プラズマ・ワンダーゾーン
(その2)フィラデルフィア実験とは何だったのか

 

 フィラデルフィア実験―第二次大戦中の1943年、アメリカ海軍によって行われたというこの実験は、軍事技術者やUFO研究者のみならず、一般にもその名を知られている。だが、フィラデルフィア実験について書かれた文献は極めて少ない。日本ではチャールズ・バーリッツの『謎のフィラデルフィア実験』が、ほぼ唯一といってよい状況である。
 そこではフィラデルフィア実験はこう描かれている。―戦時中の米国海軍の新兵器開発の現場。駆逐艦エルドリッジにはデガウザーと呼ばれる強力な磁気パルス装置が搭載されている。スイッチが入れられ、駆逐艦の周囲に強力な磁場がかけられた。するとエルドリッジはみるみる緑色の霧に包まれ、海面に船底の跡だけを残してその姿は全く見えなくなってしまった。さらにエルドリッジはフィラデルフィアからテレポートしてノーフォークに忽然と姿を現し、数分後、再びフィラデルフィアへと戻ってきた―。

 米海軍の極秘計画「フィラデルフィア実験」が闇から浮上したきっかけは、1955年から1956年にかけて、天文学者そしてUFO研究家として知られるモーリス・K・ジュサップ博士宛に送られてきたカルロス・アジェンデによる一連の書簡によってである。
 書簡の中で、アジェンデはエルドリッジ号の実験の一部始終を垣間見ていたと主張。さらにはその驚くべき事実を克明に記していた。1959年、ジュサップ博士は謎の自殺を遂げたが、その原因は極秘プロジェクトの真相に近づきすぎたためではないかと噂された。
 この事件をきっかけに様々な研究家がこの極秘プロジェクトの真相を探ったが、何ら具体的なものは出てこなかった。その後、バーリッツと共著者のウィリアム・ムーアがエルドリッジの航海日誌の肝心な部分、つまり極秘実験が実施された時期が欠如していることを発見し、斯界の注目を集めた。
 バーリッツとムーアは1979年、調査の成果を『フィラデルフィア・エクスペリメント』として発表。UFOや超常現象マニアのみならず、大きな反響を呼ぶ。この時名づけた「フィラデルフィア実験」は、後に、そのままタイトルとしたSF映画『フィラデルフィア・エクスペリメント』(1984年)にも使用され、多くの人の知るところとなった。

フィラデルフィア実験では何が行われたのか

 フィラデルフィア実験は本当にあったのか。これに対して、アメリカ海軍は正式に、そんな実験などなかったという声明を発表してはいる。もっとも、極秘実験の存在をそう簡単に認めるはずなどないといえば、その通りだ。
 その後、バーリッツやムーアの調査のおかげで、1969年、ついにカルロス・アジェンデ本人が名乗り出る。ところが、こともあろうにアジェンデは、フィラデルフィア実験の存在を否定したのである。関係者が驚いて騒ぎ始めると、今度は一転、否定を否定。やはり、フィラデルフィア実験はあったと主張し始めた。
 こうなると荒唐無稽の文字が人々の頭をよぎる。彼を知る人間からは、元々虚言癖があるという陰口まで出る始末。本人の登場で、フィラデルフィア実験の問題は解決するどころか、むしろ混迷を深めることになってしまった。
 では、全てが架空の話かといえば、実はそうでもない。フィラデルフィア実験に興味を持ったUFO研究家ジャック・バレーは、当時の海軍の研究を細かく調査したところ、ベースになったと思われる技術開発が存在することを突き止める。それが「消磁実験」である。戦時中、アメリカ海軍では、船が本来持っている磁気を消去することが急務とされた。実際、当時の資料によると、海軍が電磁石を利用して、艦船の消磁を試みたことが分かっている。大々的に大きなコイルを船体に巻きつけ、極秘に行った消磁実験を見た人が何も知らない他人に話し、それが伝わっていくうち、話に尾ひれがついて「消磁」が「消滅」にまで大きくなったのではないかという。

 かねてから指摘されていたように、フィラデルフィア実験は本来、艦船の消磁を目的とした実験であった。アジェンデが言うようなアインシュタインの統一場理論による物体の不可視化計画ではなかったのである。艦船を消磁するには、普通、電磁石を使用する。艦船に大きなコイルを巻きつけ、そこに大量の電気を流す。すると電流が磁場を生み、これが艦船が持つ磁場を相殺する仕組みになっている。しかし、理屈は簡単でも、現実問題は難しい。全長が100メートル級の艦船を消磁するために巻きつけるコイルだけでも馬鹿にならない。エルドリッジは全長92メートル、排水量1240トンという大きさであった。もっと効率のいい方法はないかと注目されたのが高周波を利用する方法だった。エネルギーの大きい高周波を使って一気に消磁する。これがフィラデルフィア実験で行われた消磁実験だったのである。

 当時、高周波の権威といえば、アメリカでは一人。ニコラ・テスラがいた。テスラといえば、知る人ぞ知る物理学の巨人。磁束密度の単位T(テスラ)に、その名を残したことでも有名な電磁気学、とりわけ高周波装置開発の草分けであった。
 軍部はかねてからテスラに注目していた。というのも、高周波を兵器として利用できないかと考えていたからだ。周波数の高い電磁波は人体には有害であり、使いようによっては強力な兵器にもなりうる可能性を秘めている。そのため、軍は早い段階からテスラを取り込み、高周波兵器の開発を一任。フィラデルフィア実験においても、総指揮を執らせていたのである。
 特に、軍部が期待していたのは「テスラ・コイル」であった(発電機と変圧器を組み合わせた高電圧高周波振動電流発生器)。このテスラの名を冠した装置は、今日でも電子レンジなどに使用されている。実は、フィラデルフィア実験の消磁方法として使用されたのが、このテスラ・コイルだったのである。アジェンデが書簡の中で述べている大型磁場発生装置やパルス発生装置、非パルス発生装置等の正体は、テスラ・コイルだったと見て間違いない。

フィラデルフィア実験の開始

 軍の目論見とは裏腹に、当初テスラ・コイルを利用した消磁実験は思うようには進まなかった。1基だけなら正常に作動するが、これが複数となると、とたんに不安定になる。
 3基のテスラ・コイルを作動させようものなら、共鳴現象を起こし、周囲に有害な高周波をまき散らしてしまう。テスラはこの実験が、人体及び精神に甚大な被害を与えることを予見していた。このまま実験を続けても、人命を保障できないとして、軍に直訴したのである。だが、軍部はそれを受け付けない。テスラはサボタージュを決めた挙げ句、1942年、ついに総指揮の座から身を引いてしまう。
 しかし、これが結果的に彼の命を縮めることとなった。国家の最高機密を知った人間が外に出ることは、極めて危険な事態であった。1943年1月7日、彼は滞在先のニューヨーカーホテルでたった一人で息を引き取る。そこにすぐさまFBIが踏み込み、彼の発明品や書類が押収された。一部は祖国のベオグラードに返還されて、「ニコラ・テスラ博物館」に展示されているが、肝心な部分はアメリカ政府が保管し、軍がその成果に浴している。当局による暗殺であることは状況から明らかであった。

 テスラに代わって、高周波兵器の開発の総指揮を任されたのが、数学者フォイ・ノイマンである。現在のパソコンの原型であるノイマン型コンピューターの開発者で、原爆開発計画のマンハッタン・プロジェクトにも参加した人物である。彼はテスラ・コイルを制御するため、電磁気学の専門家タウンゼント・ブラウンをプロジェクトに招聘した。
 しかし、ドックの中でテストを繰り返すうちに、システムの暴走から水兵が巨大なエネルギー渦に巻き込まれ、犠牲になるというアクシデントがしばしば発生した。ここに来てノイマンも、この実験の危険性を悟り始めた。
 ノイマンはこの事態を第3のジェネレーターを設置することで解決しようと試みた。しかし、3つのジェネレーターを同調して機能させることは当時の技術水準では不可能な話だった。結局、第3のジェネレーターは取り外されることになった。ここに及んでノイマンも実験の延期を申し出たのだったが、上層部が聞き入れるはずがなかった。8月12日という最終実験の日程は誰にも動かし得なかった。このプロジェクトの最終決定権は、海軍参謀長が握っていたのである。

エルドリッジ号で何が起こったか

 アジェンデの書簡で10月に行われたとされるフィラデルフィア実験は、資料によると実際は8月12日に実施されたものである。その状況は、およそ次のようであったという。
 全ての準備が整い、メインスイッチが入れられた瞬間、不気味な振動と共に、テスラ・コイルの周囲から異様なほど美しい青白い光が乱舞し始めた。やがて、ドーム状にエルドリッジの船体を包み込むと、今度はどこからともなくシュルシュルッと虫の羽音のような音が響き渡った。そして船内の至る所からパチパチッという電気的なスパークが発生し、その閃光が走った。この時、実に恐るべきことが起こった。エルドリッジの姿が消えたのである。大勢の軍人が見守る中、忽然と消滅してしまった。資料には、それはあたかも霞のように空中に消えたと描写されている。
 一方、エルドリッジの船内では、次々に異様な現象が起こり始めた。青白い光が船体を包み込むと、頭上の青空は一瞬にして消え失せ、メインマストのアンテナと送信機材が超高熱で溶けてしまった。被害は突出している部分ほど激しく、雷に打たれたように爆発して弾け飛んだとある。
 強烈な電磁場に包まれた船内では恐ろしい事態が相次ぐ。体が燃え上がる者、硬直状態になったままの者、おぞましいことに、船室の壁に体が埋め込まれてしまう者さえ続出した。まさに船内は地獄絵図の様相を呈していた。この時すでに、乗組員のほとんどが精神錯乱状態にあった。

 フィラデルフィア実験の焦点の一つになっているテレポート現象も、やはり事実であった。フィラデルフィアの海軍工廟で消滅したエルドリッジは、その同時刻、ノーフォークの軍港に姿を現していた。ただし、アジェンデの書簡ではフィラデルフィアからノーフォークに移動したのは数分間で、そこに留まっていた時間も数分間としている。しかし、実際は違う。移動した時間は、ほぼ瞬時であり、ノーフォークの軍港に姿を現していた時間は、なんと6時間だったという。数分程度なら、ひょっとしたら何かの幻覚、見間違いとも言えようが、6時間もエルドリッジを何人もの軍人が目撃しているのだから、間違いようがない。
 なぜノーフォークの軍港に姿を現したのかは謎である。元々、エルドリッジは砲弾や魚雷などをノーフォークの軍港で積み込む予定になっていた。ひょっとしたら、それが関係しているのかもしれないが、詳細は不明である。
 いずれにしても、テレポート現象はノイマンほか、他の軍人たちも全く予想していなかった。しかも、1度ならまだしも、2度に渡って距離にして320kmを瞬時に移動したのである。

 全てが終わった後、エルドリッジに乗り込んだ軍人たちは、この世のものとは思えぬ惨状を目にした。人体の一部、あるいは全身が真っ黒な灰と化した人間の姿、発狂したまま空をにらむ者、体が硬直したまま呼吸が停止した者、さらに異様なものがそこにあった。
 船内の各所から、人間の体の一部が突き出ていたり、生えていたのである。正確に言えば、人体と船体が合わさった状態で発見されたのだ。また、生き残ったエルドリッジの水兵は、全員例外なく体の不調から入院し、そこから精神病院に送られる者が続出している。結局、生き残った者で復帰した者はなく、全員廃人同然か死亡する結果となった。
 関係者の間でかなり動揺が走ったが、信じがたい結果になった中での一応の成功とされた。そして、海軍の実験に対する執念により、同じ実験を今度は水兵を乗せずに10月に行うことになったのである。

 今回は海上ではなく、フィラデルフィアの海軍工廟に引き上げての陸上実験であった。
 コントロール装置もブリッジではなく、陸上に置いた。考えられる対策は全て施し、万全の態勢で実験は行われた。しかし、スイッチが入ると、予想以上にテスラ・コイルは暴走。青白い光がエルドリッジを包んだ。さすがに今回はテレポートを引き起こさなかったが、船内はかなり破壊された。不可解なことに、船体そのものはテレポートしなかったものの、送信機と2基のテスラ・コイルだけが姿を消していた。
 これを受けて、軍部はテスラ・コイルによる消磁実験を国家のトップ・シークレットに指定。その後も極秘裏に研究を進めた。
 「フィラデルフィア実験」の名で知られるこのプロジェクトは、正式には「レインボー・プロジェクト」と呼ばれた極秘プロジェクトである。本来、この実験は防衛的な意図で着手されたものだった。強力な電磁場で船体を包み、砲弾や魚雷を逸らそうというものだ。
 いわば現代のステルス・テクノロジーの先駆けだったのである。

 「フィラデルフィア実験」のメカニズムを検証すると、物体の透明化はプラズマ化した物体の状態と似ており、艦船のテレポートもプラズマによる亜空間を移動したとすれば理解できる。実験の最中に発生した異常な事故は、テスラ・コイルの電磁波交差によるプラズマ発生が引き起こした偶発的な事態だったと考えられる。この時に発生した巨大プラズマのエネルギーはすさまじく、一瞬にして多くの水兵を蒸し焼きにしたり、体内発火させて灰塵としてしまう。慌てた技術者たちは、なんとか2基の高周波発生装置―テスラ・コイルをコントロールしようともがいたが、結果的にそれがエルドリッジを包んだプラズマを遠方に移動させた。そのためエルドリッジも亜空間移動し、結果的にノーフォークに出現したが、再度、コントロールの暴走から元のフィラデルフィアに戻ってしまう。この時、エルドリッジ全体を覆った青白い光こそプラズマそのものだったのだ。

 以上が「フィラデルフィア実験」の大まかな経緯だが、実験の結果がかなり異常なため、実験があったこと自体を疑問視する人も多い。よって、現在に至るも「フィラデルフィア実験」は極秘中の極秘とされ、一切公開されることはなく、実験に関わった一部の人々の証言だけが残ったのである。
 フィラデルフィア実験が行われたとされる時から既に半世紀以上の歳月が過ぎている。
 その長い時間は実験の真相の解明には向かわず、真実を覆うベールはさらに厚くなっているようにも見える。そこで、この事件に詳しい一人の人物の意見を参考に問題点を明らかにしてみたい。90年代半ばに雑誌『パワースペース』(福昌堂刊)に載った特集記事で、ある人物が核心を突いた意見を述べていた。

 是藤 始…元防衛庁技術担当。江田島の基地では電子関係について教鞭を執っていたこ
      ともある。フリーエネルギーやテスラ技術にも造詣が深く、黄金数φを使っ
      た独自の理論分析を行うと共に、テスラ・コイルなどのフリーエネルギー関
      連機器の試作も手がけている。

 「一般に『デガウザー』と言われていますけど、これは性格にはデガウジング・システムというんです。戦艦が海を進む場合、いわゆる掃海電気というもののために、船体が磁化されます。機雷に反応しないようにこれをデガウジング・システムで消磁するんです。
 フィラデルフィア実験に対する海軍の要望は、レーダー波を10%偏向せよというものだったわけですが、このデガウジング・システムが転用されたわけです。強力な磁気パルス発生装置としてね。レーダーに対して電磁波で一種のバリアを張れば、レーダーは逸れて元に戻らなくなるという理屈ですよ。どの程度のエネルギーでどれだけレーダーが偏向するかを見るのがそもそもの実験目的だったんです」

 だが問題は船体が光に包まれたという点である。これはイオン化した空気や霧などの自然現象だけで説明できるのだろうか。

 「いや、必ずしもそうは言えないと思いますね。むしろそこで何らかの異常現象が起こったことも考えられるのではないでしょうか。『掃海教本』という、専門の船乗りになるための教科書があるんです。アメリカで使われているこの教科書には、船の周囲にアークが出ている写真があるんですよ。デガウジング・システムの実験中に起こった現象としてね」
 是藤氏はさらに、基地の資料室にはフィラデルフィア実験に関係すると思われる一連の写真資料があり、彼自身、船が消えて海面に船底の跡だけが残っている写真を見たことがあると付け加えた。だが、これらの写真は今、是藤氏の手元にはなく、あったとしても極秘資料のため公表できないという。
 「一般に駆逐艦の強磁場だけが注目されているけど、実際にはレーダーを放射する艦船と実験を見守る艦船があったわけでしょう。重要なのはレーダーを出した側のデータがないということなんです。レーダーが実際に放射されて初めて異常現象が起こったんじゃないかと思うんですがね。
 15年ほど前に横須賀でアメリカ海軍の技術将校と話したことがあるんですが、その時、彼はフィラデルフィア実験にはテスラ放電を伴う共振が使われていたと言っていました。
 テスラは実験に反対したけど、フォン・ノイマンがあえてこれを実施し、それが戦後、モントーク基地を使ったプロジェクトに発展したという話ともつながってくるわけです。
 まあフィラデルフィア実験でテレポーテーションが起こったという証拠はないですけどね。でも、軍の関係者に色々聞いてみると何かおかしな現象が起こったことは間違いない。私はそう考えています」

 是藤氏の語っていることの後半の部分は、フィラデルフィア実験で実際に何が起こったかについて重要な示唆を含んでいる。「船が消えて海面に船底の跡だけが残っている写真」、「フィラデルフィア実験ではテスラ放電を伴う共振が使われていた」―。艦船の透明化やテレポーテーションは、最初から実験計画において意図されたものではなかったが、実験の過程においてコントロール不能な偶発的なものとして発生したと考えられる。それは現行科学の常識から言えば、ありえないこととして議論の範疇にも入らないが、プラズマはそれを引き起こす可能性を秘めているのだ―。


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