メタバースの深相

メタバースとは何か

 

 「GAFA」とは、世界的に強大な影響力を持つIT企業の通称だ。このうち「F」は、アメリカのSNS最大企業Facebookを指す。しかし、同社は2021年10月、社名をMetaに変更した。新社名のMetaが指すのは、昨今話題の「メタバース」という仮想空間のことだ。メタバースは、実生活や人間をデジタル化し、現実世界と同等のことができるように作られた仮想空間で、Facebookをはじめマイクロソフト、NTT、GREE、コカ·コーラなどの巨大企業が続々と参入し、メタバースの住人を増やそうと画策している。Facebook改めMetaは今後、仮想空間事業に力を入れていくために、わざわざ社名を変更した。メタバースとは「メタ(超越)」と「ユニパース(宇宙)」という二つの単語を組み合わせた造語だ。

   今、日本政府は「Society5.0」と呼ばれるサイバー空間とフィジカル(現実)空間を融合させた新しい社会の実現を目指そうとしている。コンピューターネットワークの中に構築された三次元のサイバー空間を指すメタバースも、このSciety5.0の構想の中にあると言える。メタバースでは、他のユーザーとのゲームやコミュニケーションだけでなく、買い物や仕事、公共の手続きまで、日常の全てをサイバー空間の中で行なうことが目指されている。VR技術を使えば、サイバー空間がまさにフィジカル空間での体験と同じように感じられる。メタパースでは、アバターを使えば、身体面でハンディキャップを持った人でも、そうした制約に縛られることなく自由にふるまうことができる。
 性別を超えたジェンダーフリーの自分にもなれるし、大人だって子どもに戻ることができる。「フィジカル空間で縛られている自分を解放した自由な世界がそこに待っている」というのが、メタバースを推進する人たちの主張だ。

   また、日本政府は「我が国発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発を推進する大型研究プログラム」を進めている。このプログラムに基づいて政府が掲げている目標が「ムーンショット目標」だ。 9つある目標のうち、一つ目に打ち出されているのが「2025年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」というもの。内閣府のHPには、アバター生活を社会活動の基本とする旨が書かれており、現実生活からメタバースー仮想空間での生活ヘステージを移行させたい狙いが伝わってくる。アバター生活が進んでいけば、肉体は同じ場所に留まったまま、仮想空間で気軽に友人に会えるし、海外旅行だってできる。このようなデジタルの世界を中心とした生活を政府は実現しようとしているのだ。

 

メタバースのリアル

 

 メタバースの世界では「ブロックチェーン」という技術が使われている。この技術は仮想通貨などで既に利用されているように、データの改ざん、システムダウン、取引の記録の消去を起こしづらくする。オンラインゲームなどを想像してほしいが、これまではアカウントを作り直せば、自分の仮の姿であるキャラクターやアバターのデータは消えてなくなっていた。しかし、ブロックチェーンを用いているメタバースの世界では、アカウントを作り替えてデータをリセットするという行為ができなくなる。メタバースの世界にいる自分は、現実世界の自分と強く紐づき、まるで「替えが効かないもう一人の自分」のような存在になるのだ。

   ここにきて多くのメディアがメタバースを論じているが、実はその議論にはまだまだ誤解や理解不足が目立っている。現時点で多くの人が想像するのは「デジタル空間に作られた仮想世界で実生活と同様のことができるようになる」というもので、確かにこれは間違っていない。また「メタバース」というワードこそ目新しいものの、20年以上前から存在している「セカンドライフ」やMMORPG(大規模多人数同時参加型オンラインゲーム)といったゲームで既に実現している世界でもある。具体的には「ファイナルファンタジー14」や「あつまれどうぶつの森」といったソーシャル機能を持ったオンラインゲームがそれで、ゲーム内の世界では独自の通貨が存在し、アバターを通じた人間関係が構築され、一つの社会を作り、ゲーム内では様々なイベントなども開催されている。 だが、来たるべき「メタバース」は、こうした仮想空間とは若干ニュアンスが違っている。メタ社が提唱している概念を簡単に言えば、「VRを伴う仮想空間体験」となる。
つまり、ヘッドマウントディスプレイ(HMD)などを使用したバーチャルリアリティ以上の世界における仮想空間体験のことだ。HMDの普及率を販売台数から推測すると、現時点でおよそ5%。ほとんどの日本人は最先端のVRをまだ体験していない。

   人間の認知機能に関する研究によれば、コミュニケーションにおいて言語が占める割合は、およそ3割しかないことが分かっている。裏を返すと、我々は言語以外の微妙な表情や、ちょっとした体の動きといった情報を統合しながら相手の考えや感情を推測して「空気」を読んでいるわけだ。 そしてメタバースは、こうした非言語のコミュニケーションをデジタルの世界で再現することができる世界のことを意味している。既に高性能のカメラやアイ・トラッキングを備えたHMDが市販されており、進化したデバイスを通じて仮想空間に作られる「デジタルヒューマン」は、毛穴まで見えるクォリティで再現されるようになっている。これまでの仮想現実は、主にエンターテイメントの分野など特別な体験でしかなかったわけだが、メタバースは我々が時間の大半を過ごすであろう自宅や仕事場といった人間の生活そのものに浸透していくことになる。特に知的生産はその半数以上がメタバースの中で活動するようになるとされる。

  今のところメタバースはHMDなどを使って、仮想空間にダイブする同期タイプと、仮想空間に作った自分のアバターがAIなどで自律して動き、その結果を自分の脳にフィードバックする非同期タイプが考えられる。これはまるで映画「マトリックス」の世界観だが、実はこれも技術的には実現可能な段階に入っている。マッピングした自分の脳に仮想空間での情報をフィードバックするのは、光遺伝学系の技術で既にマウス実験では好きなよう   に記憶を消したり加えたりすることが可能になっている。道徳的倫理観についてはまだ議論が必要なものの、数年以内にはPTSDの治療などで使われる公算が高い。

この世界では、リアルの世界で有利に働いていた肉体の強さや美しさといった外的要因や能力の有無も、ほとんど意味を成さなくなる。アバターという仮想の体を持ち、今とは全く違う能力が必要とされることになる。

  仮想空間での生活が今以上に浸透していくと、近い将来、多くの人々が登校も出社もしなくなる。これまで出社が必須とされていた業種の人たちでさえメタバース内で雇用が生まれるからだ。場所に囚われない生活というのは、一見すると便利に見える。実際、コロナ禍でその利便性を感じている人も少なくないようだ。だが、こうした世界に馴染めない人というのは必ず出てくる。使い方云々ではなく、人としてのリアルな交流が減り、「オキシトシン」と呼ばれる幸せホルモンの分泌が減ってしまうからだ。オキシトシンを効果的に分泌させるには、心許せる相手とスキンシップをとるのが一番だと言われている。
 それなのに、人との関わりが減って幸せを感じるホルモンが出なくなっていけば、精神的におかしくなる人も出てくるはずだ。

  現実世界の再現において重要なポイントは、誰もが仮想世界で持続的に生活するために必要な収入が得られる環境作りだ。仮想通貨は単なるバーチャル通貨などではなく、壮大な構想を裏に秘めた近未来の次世代通貨として捉えるべきである。その一環としてゲーム内で仮想通貨を稼げる「アクシーインフィニティ」という育成ゲームも存在する。そのゲーム内で獲得できるAXSやSLPといった仮想通貨で生計を立てる人が。数多く存在し、日常生活でも実際に使用されている。

  では、それによって社会はどう変わるのか。仮想空間に関する懸念は以前から様々なものが指摘されており、「情報が隔たったり、閉ざされてしまう」「モラルが崩れる」「分断が進む」といったネガティブな面が多い。たとえばネットの世には「フィルターバブル」という言葉がある。ネット上のAIによってユーザーが見たくない情報を遮断する機能のことで、まるでバブル(泡)に包まれたように、自分が見たい情報しか見えなくなる。
メタバースでは、このバブルがより高精度で広範囲に対して作用するため、快適さと分断が加速することになる。そして、この世界が一般化すれば、今は当たり前に尊重されている「人権」すら消滅する可能性がある。人権、あるいは個人の尊厳と言ってもいいが、メタバースでは、人間が自分の行動を自分で決定する権利が全体の利益のために消滅するのだ。

 

ブレイン(脳)通信を支配する巨大企業

 

 2015年、国連サミットで世界共通目標による2030年アジェンダSDG'S(持続可能な開発目標)を採択し、2030年までに世界中の(誰一人取り残さない)「持続可能な世界」を実現するというゴールを決めた。だがこの目標には、思考停止した人々には気づくことのない裏の意味が込められている。「誰一人取り残さない」は人口削減、「持続可能な世界」は、デジタルサイバー世界への移行を意味している。
さらにNTTの「5Gの高度化と6G」というホワイトペーパー内にもそのことが明記されており、「6G時代における世界観のイメージ」としてSDG'Sが挙げられている。そこには図解入りで、2030年代までに5G、6Gにより現実世界(フィジカル空間) を仮想世界(サイバー空間)に再現し、両空間の融合が実現されるということが明記されている。さらには5G、6Gの超高速大容量通信の無線技術によって、現実の五感による体験値同等、もしくはそれを超える多感(生理的感情、感覚など)通信を実現できるとも記されている。つまり6Gによって脳を介して五感、多感通信することで、現実世界さながらの仮想現実をVRゴーグルなしで体感できるということだ。

  また、国家の基本的システムを担う総務省では、20年以前から「五感情報通信技術の技術開発ロードマップ」の2020~40年の目標として、“脳への直接アクセスによる五感情報のセンシング、再生の実現”としている。これは人間を仮想世界へ送り込むため、脳とバーチャル空間を超高速通信技術で直接リンクさせる必要があるためであろう。
NTTは単なる通信会社ではなく、主要業務以外にもNTT物性科学基礎研究所にて以下のような医療分野の研究を行なっている。

  ·体内に入り込み、DNAやたんぱく質、細胞などを自在に操作できるバイオミクロロポットや体内埋め込み式デバイスの研究開発
·脳と通信するためのナノバイオデバイスの実現(DNAたんぱく質を大量に付着させたナノサイズチップ)
·グラフェンを使ったナノデバイスの実現

  グラフェンといえば、元ファイザー社のアドバイザー研究職員カレン·キングストンが、新型コロナワクチンに酸化グラフェンが含まれていると告発し、物議を醸した。その内容は、人間と通信回線をつなげる際に、グラフェンが体内で接続デバイス的役割をするというもの。一見するとNTTの研究とは無関係のようだが、これまでの流れを調べていくと、最終的な目的は同じであるように思えてならない。この先、人間の体がレセプターとなり、5Gや6Gの電磁波やDNA改変によって脳への通信が可能になることで、人間を仮想世界へ送り込み、完全管理される世界が実現されるかもしれない。そんな世界は誰も望んでいないはずだが、世界中の政府も研究者も、新たなテクノロジーに浴する一般市民も、知らぬ間にそういう流れを作ってしまっているのだ。

  NTTに対するもうひとつの懸念-それは究極の個人情報であるDNAをIDとして利用しようというものだ(DNA-IDを用いたDNA個人情報管理システムの提案:NT Tデータテクノロジー、情報処理学会論文誌による)。
今現在、マイナンバーやパスポート等のIDがワクチン接種歴と紐付けられ始めているが、これが将来的にDNAと紐付けられ、DNAスキャンなどのバイオセンシング技術も進んでNTTの生体情報照合装置が実用化されると、身分証明書の役割も果たしているワクチンパスポートがDNA-IDへと変更され、偽造なども完全に不可能になると考えられる。そして総務省「技術ロードマップ」の2025年実現目標“セキュリティ”“個人情報”の項目には、“ID(身分証明書)にDNAコードが使われる”といったこともしっかり組み込まれているのだ。

 

生きるとは、身体感覚

 

 自分も生物であることを自覚している私には「自分の身体こそが自分という存在そのものである」という強い思いがある。自分の身体を通して感じた痛み、苦しみの経験があるからこそ、他者の痛みや苦しみが手にとるように、自分のことのように感じられる。これこそがヒトという生物の根幹ではないだろうか。メタバースの世界で身体の制約を取り払ったその先に、本当にユートピアはあるのだろうか。そうした体験もアバターで代替できるという主張もあるかもしれない。しかし、アバターでは「体験」は得られても「体感」は得られない。何か新しいもの、美しいものに出会った瞬間、私たちの身体にはある反応一鳥肌が立つ、身震いする、汗が出る、動悸が高鳴る一等が起こる。そうした身体反応こそが、感動や興奮、心の揺さぶりをもたらす。これを「感性」と呼ぶ。
今後、アバター同士のコミュニケーションが日常化した時、私たちは感性を持つ生物として生きているだろうか。HMDを装着してメタバースの仮想空間へダイブ。仕事や他人との交際も含め、一日の大半の時間をそこで過ごす? 正気かと問いたい。私なら、そんな生活は勧められてもご免こうむりたいが、これはまるで映画『マトリックス』の世界そのものではないか。

   メタバースによって買い物や仕事、公共の手続きまで日常の全てをサイバー空間の中で行なうことが目指されているとされ、知的生産もメタバースの中で活動するようになると言われているが、今ひとつ、そんな社会の具体的なイメージが見えない。私自身は、メタバース社会に参画したいとは全く思わないが、スマホやパソコン、あるいはAIと接続したHMD (VRヘッドディスプレイ)を持たない人間は、メタバース社会からは疎外されるのか。そして人間社会には、クルマの運転、物流、農業、漁業、建設、土木など、肉体を持った人間の働きがなければ成り立たない産業、仕事もある。将来的には、そういう仕事や作業もAIロボットや機械が担うようになるというプランなのかもしれないが、そうやって人間が肉体を使わないメタバースの仮想空間だけで生きていける、あるいは人間という生物であることを保っていけるとは、私には思えない。

  私は生物が持つ身体の役割に、もっと敬意を払うべきだと感じる。脳と身体、心は別々のものであるかのように思われがちだが、「身体=脳」であり、「身体=心」なのだ。
私たちのパンデミック経験は、ヒトの本性を再考する契機でもあった。フィジカル(現実)空間で表情を見せ合ったり、触れ合ったりすることが、ヒトにとって、特に環境の影響を強く受けて育つ子供達にとってどれほど重要であるか、あらためて認識できたように思う。政府と巨大IT企業が主導するメタバース社会への移行、もしくは実現は、現実空間での人間の触れ合いをいっそう疎外、遮断し、身体の役割を否定しかねない危険性を含んでいると私は直感している-。


参考文献:「シン、大予言」/宝島社
     「現代陰謀事典」/宝島社

 

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