偽装の戦後日本〜日本人は自由が嫌い〜

       

 日本人は、敗戦を経て戦後の民主改革を経験したが、それは戦勝国アメリカの指導によって施行されたもので、国民自らが闘って獲得したものではなかった。それまでは女性には選挙権はなく、国会によって任命される総理大臣も、選挙によって選ばれる都道府県知事も、誕生したのは戦後のことであった。戦前までは元老や内大臣によって密室で勝手に決められ、内務省が都道府県知事を選んでいた。治安維持法の下、言論、表現の自由は圧迫され、特別高等警察(特高)が睨みを効かして新聞、雑誌、あらゆる表現、思想、政治運動を取り締まっていた。大日本帝国憲法において、主権者は天皇であり、国民はそれに仕える僕に過ぎなかった。日本人が現在、お隣りの独裁国家として見ている北朝鮮や中国と遜色ない統制国家だったのである。

 

 占領国の米国がその骨子を作った日本国憲法は、国会の承認、可決を経て施行されたが、それは日本人が自らの手で作成、獲得したものではなかったから、己の身から出たものではなかった。それ自体は日本人のオリジナルではないが、人類の理想を託した素晴らしい内容が含まれている。少なくともそこには、学び、追求すべき理念が示されている。しかし、学校教育の場でも、日本国憲法の意義、内容というものを深く学ぶ取り組みも行われてこなかった。加えて、日本の小・中・高校の歴史教育では、日本と周辺国、世界の近、現代史を詳しく学ぶということが行われてこなかった。これは周辺のアジア諸国も含めて先進国の中ではありえない、考えられないことである。お隣の韓国、中国は元より、アメリカ、ヨーロッパ諸国でも、近・現代史は学校教育の場で最も重要な科目として詳しく教えられている。これは日本の教育の致命的な欠陥だ。これでは日本人は国際交流の場で対等な議論ができない。自発的に勉強した人以外は、知識不足のために大きく損を被っている。こうして最近では、日本がアメリカと戦争したことも、韓国・朝鮮を植民地化し、中国を侵略したことも知らない若者が珍しくはなくなった。

 

 日本人は基本的人権とか、表現の自由の大切さということを言われても、実はどこか他人事なのではないか。実のところ、その意義を理解していないのだ。本当は、それが何よりも大事だとは思っていない。だから何かあると、戦前と実は何も変わっていない根っこにある地金が出る。韓国、朝鮮、中国を蔑み、上から目線でいる。

 今では韓国、北朝鮮を少しでも擁護するようなことを言ったりすると、凄まじいバッシングに遭う。一方で、国—権力には従順で、天皇を崇拝し、自由な表現を嫌う。皆と一緒でない人を非難し、和の精神という言葉で同調を求める。戦後七十年以上経って、日本人の化けの皮が完全に剥がれてきた。最近では、誰も彼もが、その身も蓋もない本音を堂々と口にし、声高に主張するようになってきた。

 戦後日本の民主主義というのは、政府においても国民にとっても偽装の建前であって、国を挙げてそのふりをしていたが、時と共にその偽装も効力を失った。

 

 日本人は、主体的行動と思考を求められる自由、自分が主権者であるという民主主義が、実は嫌いなのだ。国会で議論するより、何でも勝手に決めて実行してくれる安倍政権のような強い政府にお任せすれば、それでいい。そう考えている人が多いのではないか。

 安倍政権下の7年も含め、この10年間の日本社会の動向を見ていて、私はそう確信するようになった。香港市民の対中国デモのような市民の主体的行動による自由と民主主義を求める運動は、残念ながら日本では、今後もけっして起きることはないだろう。多くの日本人は、自由も民主主義も、この国ではとっくに実現していると十分満足しているのだから、市民革命など起きるわけがない。

 

 私も若かりし頃は、様々な運動に関わったりして、そんな理想や希望に燃えた。しかし、五十年以上生きてきて分かった。日本人は自由も民主主義も、本当は求めてはいないのだと。貧困層を含め、誰もが今、切実に求めているのは、何よりもお金であり、その次にはスマホを通じた娯楽や、とどまるところを知らないグルメか。

 日本国憲法では、基本的人権の大切さとか、生き方や表現の自由を保障してくれているのに、それはむしろ気に入らないと考えている人が多いようだ。あいちトリエンナーレ2019の「表現の不自由展・その後」の展示が自治体や政治家の抗議、ネットの声によって、わずか三日間で中止に追い込まれたように、政治家も自治体の長も、公共の施設での催し、表現に関して、公共の施設でやるからこそ、表現の自由は保障されなければならないという原則が分かっていないという人が、あまりにも多い。それは一般国民も同様だ。表現の自由は、よろしくないと考えている人が実に多いのが実情なのだ。

 

 

 日本人は、明治28年(1896年)から昭和20年(1945年)まで半世紀に渡って、学校教育の場で「教育勅語」によって、天皇は神の子孫である神聖な存在で、国民(臣民)が命を捧げるべき対象であるという観念を徹底して植付けられてきた。明治になるまで天皇の存在すら知らなかった日本人は、結果として日常的に天皇を意識せざるをえなくなり、生き方まで天皇によって規制されるようになった。

 明治政府が発布した「教育勅語」は、そもそも天皇の権威付けをするものが荒唐無稽な神話しかなく、昔から日本人は天皇に忠誠を尽くしてきたという歴史の改ざん、封建的な家父長制道徳の強制、天皇に対する崇拝と屈従の強制。全編これに貫かれている。このように一切の理性を欠いているのが近代天皇制の特徴の一つである。

 

 リンカーンが「人民の人民による、人民のための政治」の文言で有名なゲティスバーグでの演説をしたのが1863年。パリ市民が「パリ・コミューン」を結成したのが1871年。そんな時代に日本は「教育勅語」で「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラズ」と、国民に教えていた。人間にとって一番大事な教育の根幹を、このような非理性的な勅語に据えていたのだから、日本があの無謀な戦争に突入し、無惨な敗戦に至ったのも当然のことだろう。

 1941年(昭和16年)に、文部省が編纂した『臣民の道』の序章は次のように始まっている。「皇国臣民の道は、国体に淵源し、天穣無窮の皇運を扶翼し奉るにある。それは抽象的規範にあらずして、歴史的なる日常実践の道であり、国民のあらゆる生産活動は全て此れ偏への皇基を振起し奉ることに帰するのである」

 まるでカルトの教義だが、近代天皇制は抽象的な規範を求めたのではなく、日常的なあらゆる生産、活動を天皇のために捧げることを要求した。敗戦までの日本—大日本帝国は、「天皇教」ともいうべきカルト国家だったのである。

 

 日清戦争の原因は、日本が江華島事件を起こして当時の朝鮮王朝が清国に助けを求めたことで、始まったもので、どこからどう見ても日本に義はないのだが、当時の日本人たちの反応は違った。一般国民は日清戦争の勝利に歓喜し、さらにその後、日露戦争にも勝利するに及んで、二度の戦争を勝利に導いたのは天皇の聖徳のおかげであり、現人神天皇を戴く日本は神国であると舞い上がり、ナショナリズムが日本人を包み込んだ。それ以後、太平洋戦争に負けるまで日本人のナショナリズムの高揚は止まるところを知らず、日本軍が言う大東亜戦争は、天皇が世界全てを支配すると言った神武天皇の言葉「八紘一宇」を実現するための「聖戦」であるとされた。

 

 日本のナショナリズムは、近代天皇制と共に形成され、成長していった。根本思想は、「現人神である万世一系の天皇を戴く神国日本は、神の生んだ国であるから、万邦無比、世界で最も尊い国である」というところにある。従って、天皇を助ける「皇運扶翼」が臣民の務めであり、その「臣道実践」とは、「死して君恩に報いる」というところまで到達した。明治政府が天皇を崇拝するように国民に対してとった様々な施策は、暴力による強制を伴った国家的な洗脳だった。その成果が「死して君恩に報いる」などという言葉を声高に言い合う人々が支配する社会を作り上げたのである。

 

 かように敗戦のその時まで、天皇崇拝と国家への忠誠を叩き込まれ、民主主義など想像もできなかった日本人が、敗戦によって民主化が進められる社会になったからといって、その時を境に、つい昨日までの骨身にまで染みついた天皇崇拝と国家主義の洗脳から解き放たれ、民主主義に目覚め、宗旨変えしたというのは、ご都合主義の極み、神話でしかない。とりあえずは身過ぎ、世過ぎのために、建前、看板としてそれを受け入れ、形式的にそのふりをしてきたというのが実相ではないか。

 敗戦後、天皇は現人神から象徴と看板を変えて、そのまま在位を続け、国—政府は国民に詫び、謝罪するどころか、自らの責任は知らん顔で、さんざん苦しめた国民に対して、逆に「一億総懺悔」を求めた。新聞社は、戦時中は大本営発表のままに大嘘の記事を書き続け、自らも戦意高揚の記事を書いてきたことの、読者に対する謝罪や反省を述べることもなく、責任を取って廃刊することもなく、口を拭ってそのまま何くわぬ顔で発行を続けた。

 天皇も政府も、それに同調した新聞も、かの戦争によって国内だけで三百万人以上の死者を出し、国民生活にどん底の苦しみをもたらし、経済と全国の産業に大打撃を与えたという、万死に値する過ちを、謝罪するなり、きちんと責任を取るということが一度もなされないまま、戦争責任と戦争犯罪の追及は、戦勝国側の裁判だけで終わった。この無責任の放置と見過ごしこそが、結果として今日まで続くこの国の官僚、政治家、警察、司法の無責任体制、嘘や隠蔽が常習である政治と社会をもたらしてしまっている。

 

 日本は東京裁判によって、戦勝国から戦争責任の裁きを受けたが、生きて食べていくのがやっとの戦後の混乱によって、日本政府、国民自身によっての、先の戦争の反省と総括というものが真剣に行われないまま、形の上での民主化が矢継ぎ早に進められた。農地改革が行われ、女性が解放され、財閥解体が断行された。おかげで経済と産業の復興は目覚ましく、食料事情も良くなり、敗戦までは考えられなかった豊かで便利な暮らしに、日本人はすっかり舞い上がってしまった。アメリカ輸入のポピュラーソングやファッション、モータリゼーションといった大衆文化が流行し、映画館にアメリカやヨーロッパの映画が再び登場し、町中にジャズやポピュラーソングが流れると、夢のような世界が現れたのだ。

 そして、この物と金の豊かな社会こそが、民主主義の国である証なのだと単純に思いこんだのだ。この幸せな平和と繁栄の時代は、戦後、1970年代までは続いたが、それ以降は魔法が解けたように、この国の根底と国民の意識の底にわだかまる、戦前から続く悪弊や差別意識、未解決の問題が露わになってきた。現在は、それが大噴出している状況である。そうして、あの戦争において日本は悪くなかった、何も悪いことはしていないなどと堂々と言い張る人間まで出てきている。

 

 あの戦争で、あれだけの苛烈な体験を経ながらも、日本人は、未だ天皇や国家の呪縛から脱却する自己変革を遂げていないのだ。先の過ちを学ばないまま、教訓を得ていないと、同じ過ち、悪弊を何度でも繰り返す。このままいくと、この国が向かおうとしている先はそれだ。あの戦争が終わった時、人々は上から下まで、誰もが騙されていたと文句を言ったが、俺が騙していたと言った者は一人もいなかったという。上を辿っていっても、国民に対して「御免なさい」と頭を下げる指導者は一人もいなかったということだ。

 国民自身、愚かにも騙されていたこと自体が悪いのであり、それを知らなければ、今後も何度でも懲りずに騙されるだろう。

 

 それでも私は、この国と日本人を批判したままで、見捨てる気にはなれない。その悪弊と欺瞞を徹底して批判せずにいられないと共に、愛さずにいられないものを感じている。今、私が生きている場所はこの国の上なのだから、嫌でも無視して生きていくことはできない。私自身はここにいるより、早く宇宙に帰りたいと願っているのだが、宇宙への召還は、まだしばらく先のようだ。

 日本人よ、不正や嘘を見抜き、怒る勇気を持て。心の耳を澄まし、宇宙の声を聴け。持ち前の先祖からの深い霊性を思い出せ—。と、柄にもない檄を飛ばして、この国の今生きる人々へのエールとしたい—。

                                                            心身清浄

 

                                                               *写真は『日本人と天皇』いそっぷ社 より転載







 

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