〜詩 篇〜
post truth(真実の後)の世界 |
「ローマ法王がトランプ氏支持を表明」
「クリントン氏がイスラム国に武器売却」
「オハイオ州の倉庫で不正な〈クリントン票〉用紙数万枚発見」
―等々と、米国大統領選中にも盛んに流れていたフェイクニュース
偽記事は、主に交流サイトを通じて広がった
新聞も雑誌も本も読まず、ニュースはネットやスマホでの交流サイトで見るだけの人が、今や多数派
そこでは、一定の偏った情報やニュースしか流れず、拡散されるのも速い
中身をチェックする間もなく情報が拡散し、嘘が真実を捩じ曲げてしまう
毎日のように嘘を聞かされ、読まされていれば、それが彼と彼女にとっての真実、現実になっていく
あなたのスマホにも入ってくるフェイクニュース
その真偽を考えるより先に、無意識の内に体が反応してリツィート、拡散してしまう
必ずと言っていいほど発信源は匿名か不明
「文責」という言葉は死語になった
恐るべきことに、毎日のようにツイッターで乱暴な言葉をわめき続けている前代未聞の“ならず者大統領”ドナルド・トランプ自身が、まさに強力なフェイクニュースの発信源だ
「あんたの会社はウソつき、インチキニュースだ」
「悪い奴らが入ってくるんだぞ」
「だまれ、だまれ、だまれ!」
まるで子どもが喧嘩して、「お前の母ちゃん、デーベソー!」とわめいているレベル トランプ支持者でさえ、恥ずかしくなるようなひどいボキャブラリー
しかし、これが普通になるとしたら
賢さや正しさが、これから憎まれる空気になるとしたら…。
フェイクニュースは3つの要素で成り立っている
ビジネスと政治的意図、そして愉快犯だ
面白おかしい偽ニュースを書きまくるほど広告収入が入って、稼ぎになる
匿名のまま、それができるのだから、止められない
政治的意図と言えば、トランプのツイッターを見れば、一目瞭然
今では、ネットやスマホを見ない人間にも、テレビがいちいち伝えてくれる
はっきりと言おう 今や米国政権そのものが、フェイクの化け物である
記者にトランプ大統領就任式の参加者数の正確な数字を指摘され
実際はもっと多かったというのが、我々の認識している「もう一つの事実」だと言い放った大統領報道官
記者は即、「それはデッチ上げというものです」と返した
明らかな嘘を「別の事実」と言い換える
こんなことを大統領官邸―ホワイトハウスが平然とした顔をして騙るようになってしまった
不愉快で厳しい真実や、具体的事実を知ろうとするより
デマでも嘘でもいいから、自分たちにとって心地よい、都合のいい情報やニュースを見ていたい
そうしてフェイクニュースに馴染んでいくうちに、そのバーチャルワールドが、その人にとってのリアルワールドになっていく
真実なんていらない それより別の現実、もう一つの事実を語り、創り出し、それを広めればいい
そうすれば、そのバーチャルワールドこそが公の真実になっていく
今やトランプ政権のみならず、世界中で、この日本でも、権力者もメディアも、一般大衆も、皆、そんな幻想に駆られ始めている
*
言葉の劣化、汚辱化は、そのまま意識の劣化、退化につながっていく
言葉、語彙の貧しさが、思考の貧しさ、感性と知性の貧しさとなり、考えること、思うことといえば、140 字のツイッター語に集約されていく
LINEでやりとりする子どもたちから大人まで
そこで呟くことといえば、何を語っても「キモイ」「ウザイ」、「ヤバイ」の繰り返し まるで世界は、この3語に集約できるかのように
子どもたちも大人も、スマホの画面ばかり見て
生身で向き合って、自分の口で、声を出して、情理を尽くして何かを語る、という体験が奪われ、忘れられてしまっている
何も見ないで、自分の心の中で想像する力がなくなっている
詩的な世界とは真逆の世界を、子どもも大人も生きている
あらためて言おう 言葉こそが意識を拡大する
豊かで複雑で、微妙な言葉の数々を知り、それを吟味することが、同時に思考と知覚を深化、拡大する
たとえば、人を思うこと、人を愛するという気持ちは、「キモイ」「ウザイ」「ヤバイ」の3語では、けっして代用できない
「君が恋しい」
「君を想っている」
「あなたが愛(いとお)しい」
「お慕い申しております」
言葉を知り、使うほど恋愛は深化し、共同作業の知的なゲーム、一つの表現ともなる
現在は、思春期の子どもたちから大人に至るまで
欲望に任せた、遊び感覚のセックス関係は当たり前のようにあっても
真に恋愛と言える体験や関係は、実はほとんどの人が知らない
私にはそんな光景が見える
豊かな言葉を身につけるには、パソコン、スマホの電子画面でなく
文字と言葉が物質化された紙の印刷物―つまり、書物、本に親しむ方がいい
本とは言葉の物質化、それをパッケージしたものである
それに直接、手を触れて読むことに意味がある
紙は脆いものだが、それでも500 年前、1000年前に書かれた書物が残っていて、当時の言葉を今に伝えているのだ
現在、ネットやスマホ上に溢れている膨大な言葉は、すぐにも電子の霧として消え、3年後、いや1年後には跡形も無くなって、誰からも忘れられているだろう
紙上に物質化された言葉は、その場限りで消える電子画面上の言葉よりも強い
だから人類は、紙の本というモノ、物質を手離してはならない
フェイクニュースが真実に代わって受け入れられ
単純な言葉でしか物事を考えられず
スマホに向かったまま、無意識の反応を繰り返しているうちに
失ってはならない大事な言葉の数々と、宇宙の根源意識に繋がる内なる回路を失っていく
post truthとは、嘘、偽りともいう そこには空虚と無知しかない
たとえフェイクニュースがどんなに拡散しようと、事実と真実を変えたり、無かったことにしてしまうことはできない
抹消、隠蔽、攪乱しようとしても、宇宙で起きたことは変えられない
フェイクで固めた世界は、必ずや真実―現実からのしっぺ返しをくらう
だから友よ、子どもたちよ 美しく豊かな言葉の宝庫と、己自身の声で語り合う場を取り戻そう
内なる宇宙への回路を目覚めさそう
方法は沢山ある 先ずはスマホを置いて山野を旅し、キャンプしてみよう
あるいは、満天の星空を眺めてみよう
そして、友だちや家族と、もっと声を出して直接、話をしてみよう
身近なところに、それはきっと見つけられる
言葉こそが希望 音声として発せられた言葉―言霊(ことだま)の波動は、実はDNAの構造さえ変えられる
それは人間自身と、この現実を言葉によって変えられるということを示している
「聖書」もいう 宇宙の最初には言(ことば)があったと
それはアルファ(始まり)であると同時にオメガ(終わり)でもあると
だから声を出して語ろう、そして歌おう 音楽する―楽器を演奏するならさらにいい
あなたの心からの言葉と声を失ってしまってはならない
そして、それを表すことを恐れてはならない
フェイクや成り済ましは、いつまでも通用しない
今でもそのことは、目に見えている
覚えてほしい 言葉こそが現実と宇宙を変えられる―。
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