米国大統領とUFO問題の深相 (その1)


2017年、“UFO版Xファイル”が公開される!?

 その結果が世界の命運を左右することから、日本でも連日話題に昇っていたアメリカ大統領選挙。この選挙の行方は、実は世界のUFOウォッチャーたちも固唾を呑んで見守っていたという。というのは、大統領候補ヒラリー・クリントンが当選した暁には、UFO・エイリアン情報が開示される可能性があるというのだ。

「我々は宇宙でひとりぼっちではなく、すでに地球外からの訪問を受けている可能性がある。大統領になったあかつきには、私はUFO問題を徹底的に追及するつもりだ」
 民主党大統領候補・ヒラリー・クリントン氏は、選挙遊説の途中でマスメディアの質問を受ける度、そんな異例の率直な発言を反復。選挙支援者たちだけではなく、UFO研究界からも熱烈歓迎されている。
 日本のメディアは、UFOの話といえばジョークだと見なしているのか、ヒラリー・クリントンのUFO発言など、全くといっていいほど報道していない。しかし、ヒラリーは、ここで、けっしてウケ狙いのジョークを言っていたわけではないのだ。
 これまで都市伝説のさらに向こう、極秘機密として隠蔽されてきた”アメリカ大統領とUFOの関係”の数々が、あっけなくも白日の下に晒される日は、意外とすぐそこまで来ているかもしれない…。

―と思ったのも束の間、大統領選では周知の通り、まさかの番狂わせが起こって、ギャグ漫画のような暴言王ドナルド・トランプが、ヒラリー・クリントンを大差で破って、次期アメリカ大統領に就任することが決まってしまった。笑うに笑えない、マンガの遙か上をいく目まいがするような世界が現出している。従って、トランプ大統領の下では、ヒラリー・クリントンが訴えていたような重要なUFO情報が開示される見込みは、当面無くなった。この男のあの頭では、UFOの話は、それこそロッカールームのジョークの類としか理解できないだろう。

 今になってみれば後の祭だが、ヒラリーの選挙戦を支えた選挙事務局長ジョン・ボデスタは、こう断言していた。
「クリントン夫人の発言は決してジョークではない。この問題はヒラリーが掲げる事実上の選挙公約と取ってもらってかまわない」
「政府のどこかにUFO情報が隠蔽されているなら、ヒラリーは必ず情報公開の道を開くだろう。彼女が新大統領として、UFO問題に正面から取り組むよう、私も積極的に進言する」
 ボデスタはヒラリーの夫である元大統領ビル・クリントンの政権時代に、大統領首席補佐官を務め、オバマ第44代大統領直属の審議官も歴任した大物政治家だが、他方では自分が積極的な根っからのUFO肯定論者であることを隠さない。
「ビル・クリントン政権の時も現オバマ大統領の政府でも、私はUFO問題に関して、自分の役割を果たせなかったことをずっと悔やんできた。だから今度こそUFO問題に正面から向き合い、闇に隠された全情報の公開を実現させたいと願っている。それこそがアメリカのみならず、地球人類の幸福と利益に適うはずだからだ―」

 残念ながら、ボデスタの秘めたる願いは叶わなかった。かくしてヒラリー大統領によるUFO情報の公開という一つの途は閉ざされてしまった。

                   *

 現代のUFO伝説は、一般的には1940年代の後半、第2次世界大戦の勝利後まもない、世界に覇を唱えるアメリカ合衆国で始まったとされている。今から振り返れば、これはけっして偶然ではない。1947年に起きたロズウェルUFO墜落事件の発生の時、米ニューメキシコ州のロズウェル陸軍航空基地は、その2年前、日本の広島・長崎に原爆を投下した原爆攻撃隊―陸軍第8空軍第509 爆撃大隊の発進基地だったのだ。
 原爆の犠牲者を含め、わずか5年間で軍民合わせて7000万人もの犠牲者を出したこの凄惨な世界戦争は、人類がホモ・サピエンス(英知の人)と、自ら名乗る資格などない最悪の愚行であり、その文明史上に黒々と刻印された最大の汚点なのだ。

 人類とその文明を、おそらくその誕生以前から密かに見守ってきた地球外知性体が紛れもなく存在するとしたら、彼らが観察と監視の最重要対象として、現代世界をリードするアメリカに―とりわけそのトップリーダーである大統領に、焦点を当てようとするのは至極当然だろう。
 それを裏付けるように、UFO伝説が始まった1940年代以降のアメリカ歴代大統領たちは、明らかに世界のどの国の指導者たちよりも、様々な形でUFO/エイリアン現象と密かな関わりを持ち続けてきた。UFO伝説の始まりは、“アメリカ大統領UFO伝説の始まり”と言い換えてもいいほどだ。

大統領直属の“見えない政府”MJ―12

 ロズウェル事件の存在がアメリカ政府と軍当局によってまだ隠蔽されたままだった1952年7月19日深夜と26日夜、首都ワシントンDCの上空に、連夜にわたって多数のUFOが出没し、肉眼での目撃はもちろん、軍事基地のレーダーにも頻繁に補足される大事件が発生した。
 その度に周辺の軍事基地から、迎撃戦闘機が緊急発進したが、接近するたびにUFOたちは、当時のジェット戦闘機には不可能な時速1000キロ以上の超高速で逃げ去った。
 業を煮やした空軍当局は、同月26日、遂に撃墜命令を出したが、アインシュタインをはじめとする有力科学者数人がホワイトハウスに抗議して、命令を撤回させたと伝えられている。
 当時、マスコミには、この事件―現象は、大気上層の気温の逆転層に地上の明かりが反射した気象現象だと説明されたが、気温の逆転層が物体のようにレーダーに捉えられることはありえない。また、その程度のことで軍の戦闘機が何度も緊急発進することもありえない。気温の逆転層によるゴーストとは言うが、当日の気象データによると、気温の逆転層など生じてはいないのである。当局のこんな強引な説明の一点張りで、マスコミも沈黙してしまった。

 当時の大統領トルーマンは、表向きにはUFOに大して無関心を装っていたが、実は副大統領時代から積極的な関心があったと、後年になって元側近たちが証言している。
 たとえば空軍担当補佐官だったロバート・ランドリー少将は、補佐官になるやいなや、前任者同様、トルーマンから3カ月ごとのUFO情報定時報告を、それも直接口頭で行うように命じられた。さらに情報機関のOSS(戦略情報局)からも、UFO情報を提供せよと指示されて驚いたという。OSSはトルーマン政権3年目の1947年9月、国家安全保障法に基づいて改組され、大統領直属の秘密情報機関CIA(中央情報局)に生まれ変わったが、それがロズウェル事件のわずか2カ月後だったのは、単なる偶然とは考えられない。

 1980年代半ばに突如、闇の中から浮上したいわゆる「MJ―12文書」、正題「アイゼンハワー次期大統領のためのマジェスティック12作戦に関する予備的概況説明」には、こう記述されていた。
「MJ―12は、トルーマン大統領の特別機密行政命令により、1947年9月24日付で直属の〈UFO〉極秘調査・情報作戦機関として創設された」
 そこに列記された指名メンバー12人は、初代CIA長官、初代国防長官、空軍参謀長、国家軍事編成研究開発委員長、国家航空学諮問会議長等々、当代の政府・軍・情報機関、科学界の重鎮ばかりだった。
 本文では、主にロズウェル事件の発生から、残骸、乗員の回収、分析結果までが概略報告され、以下のように締め括られている。
「訪問者の動機、及び目的は不明 国家の安全保障と国民のパニック回避のため―新政権下でも厳密な機密保持上の予防措置を継続すべきである」

 以後、今世紀に至るまで続々と暴露されているMJ―12関連文書には、真偽定かでないものもあれば、明らかに情報攪乱を狙ったニセ文書としか考えられないものも含まれている。しかし、「政府はエイリアンの一種族と結託し、UFOテクノロジー独占のために秘密政策を取り続けている」と主張する最前衛UFOジャーナリスト、リンダ・モールトン・ハウや、MJ―12文書研究の権威者と言える核物理学者スタントン・フリードマンは、アイゼンハワーの「MJ―12」文書を精密な分析鑑定にかけた上で、「信憑性を疑う理由はなく、MJ―12委員会の実在性を裏付ける重要文書」と断定している。
 さらに今世紀に入ってから、ネットの機密情報公開サイトの「ウィキリークス」では、「アイゼンハワーMJ―12説明書は信憑性が非常に高く、したがってMJ―12特別調査委員会の実在も証明される」と主張している。
 もちろん、一方の当事者、米政府と軍当局は「MJ―12文書」はおろか、MJ―12委員会も、その存在すら認めていない。

UFOの実在を裏付ける解除機密文書

 トルーマン政権以来、UFO研究家たちの間で抱かれ続けてきたその疑惑が、文書の証拠ではっきり裏付けられるようになったのは、1974年に情報公開法が改正・強化され、彼らが真相追及の有力手段として使えるようになってからだ。
 彼らの積極的な政府UFO機密文書の公開請求のおかげで、これまでに総計1万ページ以上に及ぶUFO関連の機密文書が、政府諸機関から吐き出された。
 むろん、“国家の安全保障にとって有害”と判定された部分や、個人情報に関わる部分が黒塗りにされた文書や、既に色々な形で公開済の文書も多かったが、中にはUFO研究に役立つ予想外の収穫もあった。たとえばトルーマン政権最終年の1952年12月、CIAの科学情報部長補佐から、初代CIA長官でMJ―12メンバーとされるロスコー・ヒレンケッター海軍少将に送られた秘密文書には、次のように記されていた。
「我が国の主要防衛施設周辺で目撃された高高度を高速飛行する未確認物体は、自然現象や既知の空中物体とは分類できない性質を有する―」

 また、同じ1952年に統合参謀本部から発布されたJANAP(統合陸海空3軍布告)146という法令では、条文中で“未確認飛行物体”をミサイル、未確認航空機(国籍不明機)、非在来型航空機などと並記して、明確に区別している。
 このJANAP146 はアメリカとカナダの軍用機はもちろん、民間機のパイロットの目撃報告とと、領海内の艦艇、商船、漁船の目撃報告を義務付け、違反者は最高1万ドルの罰金と10年の懲役刑に処せられる。
 海軍省がこの法令の趣旨を商船・漁船向けに分かりやすく説明するためのパンフレット「商船情報通報手順」のイラストには、敵性ミサイルや国籍不明機とは別に、はっきりと“円盤”と“有翼変形機”が描かれている。
 機密解除された政府文書には、このように政府と軍当局が表向きはUFOを無視しながら、裏では逆にきわめて重要視する否定と隠蔽の両面政策を、トルーマン時代から今日まで継続してきたことを立証している。

 とはいえ、全て墨で塗りつぶされたような公式文書など何の役にも立たない。1982年の米最高裁の判決以降、国の安全保障を脅かすようなUFO情報に関しては、公開しなくてよろしいという最高裁のお墨付きにより、真に貴重なUFO資料は出てこなくなった。
 要するに当たり障りのないUFO情報は公開する。しかし、核心部分は絶対に出てこない。出さないという理由さえも最高機密扱いだ。

ケネディ大統領とUFO問題

「全地球市民の皆さん、我々は宇宙の中で孤独ではありません。なぜならこの惑星・地球には、すでにもう“宇宙の友人”がたくさん訪れているからです―」
 アメリカ政治史上でも稀な人気を誇った第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが、1963年11月22日、テキサス州ダラスで自動車パレード中に暗殺者の凶弾に倒れなかったら、到着先の会場で行う予定になっていた“世紀のスピーチ”は、そのような劇的なフレーズから始まったかもしれない―ケネディ大統領暗殺事件後33年を経た1996年4月、アメリカの人気タブロイド紙が、自称“ケネディ研究の第一人者”の歴史学者ローレンス・メリック教授の書き下ろし暴露本『メッセンジャー殺し・ケネディ暗殺』の近刊予告を兼ねて、そんな“トンデモUFO伝説”を発表した。それによると、ケネディ夫妻の車に同乗して巻き添えの重傷を負ったテキサス州知事ジョン・コナリーが、パレード直前に大統領から密かに自筆のメモを預かっていたという。
 そこにはロズウェル事件に始まるUFOの真実、地球外文明人との秘密交渉が記され、彼らは平和的な友人で、我々人類は、彼らと共に新たな理想の世紀へ旅立とう―そんな演説内容が箇条書きされていた。

 危うく助かったコナリー知事は、この草稿の公表は命との引き換えになると直感して、金庫に厳重に保管し、「自分が死ぬまで公開しないように」と信頼できる側近にだけ遺言して、1993年に他界した。メリックはその元側近を捜し出し、匿名を条件に草稿を譲り受けた。そして5人の筆跡鑑定家から「ケネディの真筆の確率95%」のお墨付きを得ると、
「ケネディ暗殺の真因は、大統領による極秘UFO情報の世界への公開を“見えない政府
”が阻止するためだった―」
 そんな驚くべき結論を新著にまとめたのである。“ケネディ暗殺=UFO原因説”はこれまでも根強く囁かれていたが、これで決定的に謎が解明された―とUFO陰謀論者が喜んだのも束の間だった。実のところ、“ローレンス・メリック教授”なる人物は存在していなかったのだ。したがって、“ケネディ草稿メモ”も、真っ赤なガセネタと判明したのだ。

 しかし、このガセネタ新説は、単純なインチキ話として片付けられない。このインチキ話は、“見えない政府”がその真実性を真っ向から否定するのではなく、わざと大げさにあることないことをごちゃ混ぜにして吹聴し、結果的に情報の信頼性を失わせ、UFO研究に手痛いダメージを与えるために仕掛けた情報攪乱工作の一端、という可能性もあるからだ。  

                  *写真・図版等は『ムー』2016年11月号他より転載


 

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