ビアンチェンマイ掲載の原稿

Vol.69


PAIに住み始めて5月20日で満2年。そしてこの7月15日でボクらの「ムーンビレッジ」の土地契約満1年だ。「私の山をタダで使っていいよ」とPAIのおまわりさんから声をかけられて火がついたボクの「PAIライフ」は、あたかも神様にしくまれたかのように心の内にも外にも運命の展開が始まり、今、まだ田植えが始まってないのに元気な男や女、旅人達がやってきていて「ムーンビレッジ」は今春の芽たちのように勢いづいている。
 二年間なんてアッ!!という間だけど、この二年間にボクは何度も恋をし、何回も住む家を変えつつタイ語は阿呆のように続けてて、この「ヴィアンチェンマイ」の原稿も今回で7回目だ。そして新聞に活字になるのは7月だし、ボクは「ごろあわせ」が好きなので「7月」に掲載される「7回目」のこの原稿でボクのとっておきの「強い想い」あるいは「夢」「光」について語ってみたいな.。前回の「6回目」の原稿では「ムーンビレッジ」の「6角堂」の火入れ式について描いたので今回は「七回目」にふさわしいやつ。
 PAIにたどり着くまでのインドの生活ではボクの運命の「キーパーソン」は四人いて、その中の二十三才の女の子がボクをPAIに導いてくれた。この2年間のPAIでの生活ではボクの運命の「キーパーソン」はすでに五人いて、つい最近、あっ!!と六人目が現れたところで、だから今ボクは「いのちの最先端」を感じる日々だ。その六人の「キーパーソン」のうちギターリストの我が「陣内」を除くと他は全て二十代の女達だ。その五人の女達のうち「もん」というチャイニーズ系のタイの女とはPAIにきてスグ出会い、一時、2人で「おもしろくておかしくってハッピーになれる空間」を作ろうと盛り上がって「ムーンビレッジ」という名前まで決めていたのだけど、さすがタイの女、いろいろ転変してしまい「ムーンビレッジ」という名前だけが残り、そして今「ムーンビレッジ」は現実にいのち命イノチして、その転変しゆく二十九才のタイ女「もん」はボクらの倍も広い土地を買って「二〇〇七年」に向けて何かしようとしている。     
 その「もん」の後「なな」という日本人の女キーパーソンが現れ一気に夢が光が具体的になり、二〇〇七年七月七日から七週間の「ななまつり」を実現しようと盛り上がった。英語で「SOUL NUCLEAR FUSION IN PAI」日本語で「たましいのかくじっけん IN PAI.」というタイトルも決めて、すでに日本で一度「公表」し、今まで製作したCD四枚のうち一番新しい四枚目のCDでこの「二〇〇七年」の[ななまつり]を発表しているので、すでにボクと「なな」の個人的[夢]から離れて、今すでに多くの旅人の心の中にはあと四年後の「ななまつり」がふくらんでいるかもしれない。少なくともこの僕は全てのボクの「いのち」が二〇〇七年七月七日に向けて注がれているし、PAI全体をまつり会場にしてゆくボクの想いはふくらみ続けている。
 全てはタイミングだな、と強く想うこの頃。六人目の最新の女キーパーソンの出現でボクの魂の息吹は一気に活性化し、ボクの得意分野「文筆」[音楽][男女関係]を駆使して二〇〇七年の実現を夢みているこの頃。この出会いは偶然なんかじゃないんだとサラリと言えるよう、今からまつりまでの四年間、やさしいPAI人達が有機的につながっていって、PAIがどんなに開発されても「ダイジョーブ」なPAIの町にしたいな。だってPAIはボクの「最後のとりで」だもの。

PAI人とろん、より。


とろんのことば HP表紙