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Terro in USA

『平和省』をつくろう


          【「平和省」をつくろう】について

 学士会会報 No.833に掲載されました下記の文章を読んで、感銘を受けました。
 著者のご厚意により、この文章を印刷して配布したり、インターネット上に流して
もよい旨の承諾を戴きました。
 著者の伊藤隆二氏は1934年生まれ、神戸大学教授、横浜市立大学教授をへて、
現在は東洋大学の教授です。著書は「伊藤隆二教育著作集(全5巻)」(福村出版)
ほか多数あります。

 この構想にご賛同の方は、どうぞ積極的に広めてください。
 ご自分の参加されているメーリングリストに転載されることを始め、知人にメール
として送られたり、あるいは、ご自分のホームページに付け加えてくださることなど
をお願いします。
 特別な組織は作らずに、賛同される方々が、草の根的に広めてくださればよいと思
います。
 なお、この構想もひとつのたたき台であるかと思いますので、皆様方のご
意見や、ご批判を戴き改善していきたいと思います。
 ひとまず私が窓口になりますので、Eメールなどで御連絡下さい。
 近日中にホームページを開設しますが、私のウエブサイトにそのURLをリンクし
ますので、ご覧下さい。さらに、この構想の原点となっている和田重正著「自覚と平
和」(くだかけ社)の一読をお勧めいたします。

           〒415-0029
           静岡県下田市田牛711−45
           電話 0558−23−3823
           E-mail : otsuka@mail.wbs.ne.jp
           URL : http://www2.wbs.ne.jp/~inochi/
      
大塚卿之

 次の文章が本文です。

         『平和省』をつくろう
     -----「力の論理」から「愛の論理」へ-----

            伊藤隆二

         (1)
 人は皆、世界の平和を望み、誰もが平和に生きたいと願っています。その望みや願
いは、、、、、生きることの根幹をなすものであることから、最近、「平和的生存権」
という概念が生まれています。平和を望み、平和に生きるのは基本的人権だ、という
意味です。しかし、誠に残念ながら、「平和的生存権」は有史以来、完全に保障され
たことがありません。それどころか「人類の歴史は戦争の歴史であった」といっても
過言ではありません。
 なぜ人は戦争するのでしょうか。その要因は多様ですが、単純化すれば、自分(自
国や自民族)が相手(他国や他民族)よりも多くの利益を得たいと望み、それが阻止さ
れれば攻撃する、それが戦争の主要因といってもよいでしょう。そして攻撃する方が
相手よりも強ければ、多くの利益を得ることになります。それは「力の論理」といわ
れます。今、その「力の論理」を廃棄することが求められているのです。
 では、いったい戦争の利益とは何でしょうか。かつて日清戦争に勝利し、意気軒昂
のわが国が、無敵帝政ロシアといえども、必ず打ち破ることができる、そして「東洋
永遠の平和」を実現する、と為政者が高唱し、国民の聞にも日露開戦論が高まってい
た最中の1903(明治36)年に、内村鑑三は『万朝報』(同年6月30日付)誌上に
「戦争廃止論」を発表しました。「戦争の利益は強盗の利益である、(中略)盗みし者
の道徳は之が為に堕落し、其結果として彼は終に彼が剣を抜て盗み得しものよりも数
層倍のものを以て彼の罪悪を償はざるに至る、若し世に大愚の極と称すべきものがあ
れば、それは剣を以て国運の進歩を計らんとすることである。(中略)戦争廃止論の声
の揚らない国は未開国である、然り、野蛮国である。」

          (2)
 では、人類が「大愚の極」と称すべき戦争を性懲りもなく繰り返してきたのはなぜ
だったのでしょうか。私は、これまでの教育が誤っていたからだ、と結論したいので
す。
 太平洋戦争が終った、その翌年、中学生になった私が、何の迷いもなく、将来は教
育の世界に身をおき、正しい教育を推進することを決意したのは、国民学校六年生で
あったときに住んでいた町が米軍機によって空襲されて焼け野原と化し、千人近くの
住民が死傷したのを目の当たりにし、子ども心に戦争の愚かさが身にしみたからでし
た。そして、二度と戦争を起こさない社会を築く人間の教育に取り組むことを一生の
仕事にしたい、と望んだのです。
 その私が学生時代に内村鑑三の「非戦論」を知り、また彼の弟子の矢内原忠雄の
「平和教育論」を学ぶことで、いよいよ平和をつくり、平和に生きる人間の育成こそ
を他のすべてのことに優先しなければならない、という信念を強く抱くに至りました。
そして「力の論理」によって虐げられている人たち、いわゆる弱者が幸福に生きられ
る社会の実現のための教育の研究に打ち込み始めました。
 しかし、現実の教育の根底には依然として「力の論理」が深く根を張っていて、強
者が弱者を踏み台にして己れの利益を得ることを目指す人間に仕立てる教育が猛威を
振るっています。「受験戦争」という流行語はそのことを象徴しています。そのこと
は他の先進諸国においても同じです。例えば英国の評論家・リード(Herbert Read)
が1949年に著した『平和のための教育』で次のように嘆いていました。「われわ
れは、現在の教育によってわれわれの子供たちを、競争の激しい分裂した社会に適応
させようとしている。攻撃本能はすばらしい機会を与えられている。が、その攻撃本
能は、他の子供たちに向けられているのである、席次と成績と進級のために、休むこ
とを知らない闘争がつづけられている。つまり、われわれは人間に差別をつけるため
に−−−分裂させるために教育を行っているのである。こうして、われわれのすべて
の努力は、社会の分裂をつくりだすために費されているわけである。」

         (3)
 内村鑑三に戻ると、彼の訴えにもかかわらず、日露戦争が、さらにわが国が三国同
盟の一つとして参加した第一次大戦が勃発したことを心底より憂えた彼は、192
6(昭和元)年に「戦争のない文明」を築こう、という趣旨の論文(英文)を発表しまし
た。「いつの日か日本は、50年前に武土の武装を解除したように、軍備を放棄し、
国家としての”新しい文明”を全世界に布告することを祈願する。」
 それは戦争放棄をうたった『日本国憲法』(以下、「憲法」)が制定される20年前
のことでした。
 一方、同じ頃、米国ではボーラー(W.E.Borah)
による「戦争非合法化」運動が起こり、また、仏国では「パリ平和条約」案が提出さ
れていましたが、ついに1946(昭和21)年2月3日に、わが国は世界で初めての、
戦争の永久放棄、軍備・交戦権の否認を宣告した「憲法」を制定し、公布したのです。
人類史上の快挙といってよいでしょう。
 吉田内閣の文部大臣として「憲法」の国会審議に携わった田中耕太郎は当時、国会
において次のように述べています。「戦争放棄は、西洋の聖典にもあるように、剣を
以て立つ者は剣に滅ぶと云う原則を根本的に認めることだ、(中略)仮に日本が不正
な侵略をうける場合があっても、それに対し抵抗することによって被る莫大な損失を
考えると、日本の将来の為に戦争放棄を選ぶべきだ、(中略)戦争放棄は決して不正
義を認容するという意味をもたない、(中略)個人の人格の尊重に基づく共同の福祉
に貢献しうる人間を養成することが教育の目途であり、理想である。」
 後に首相になった石橋湛山は「わが国はこの憲法をもって世界国家の建設を主張し、
自ら其の範を垂れんとするもの」であり、その瞬間、もはや日本は敗戦国ではなく、
「栄誉に輝く世界平和の一等国に転ずる」と明言しました。
 この「憲法」を高く評価し、われわれは見習い、恒久世界平和の礎にしなければな
らない、と主張する外国人がふえてきています。例えば、ノーベル賞を受賞した、ハ
ンガリー生まれの生化学者・セント=ジェルジ(Albert Szent=Gyorgyi)は次のように
述べています。「政策遂行の手段としての戦争を否定し、軍隊を保持しない日本は、
もし一国の安全ということがあるとすれば、全世界でもっとも安全な国です。」

         (4)
 元米国上院外交委員長のフルブライト(J.W.Fulbright)もまた、同様、日本に強く
期待していました。
「日本ほどの大国が政治目標として非武装、非軍事国家に徹する姿勢を守ってきたこ
とは他に類例がなく、世界史的にみても今日、非常に意義が大きい。(中略)私は日
本の平和憲法とそれに基づく国連中心外交、非武装政策を最も高く評価する一人だ。
私が望むのは、日本が大国にふさわしい知恵と金と設備、人材を提供して、世界平和
のための貢献をしてほしいということだ。平和維持に軍事力以外の方法があることを
身をもって示し、米国に範を垂れてほしい、と願っている。」
 さらに駐日米大使であったライシャワー(Edwin O.Reischauer)は「平和憲法はいつ
の日か世界平和を照らす灯明となるだろう」と書き遺していました。平和運動家のダ
グラス・ラミス(C.Douglas Lummis)もまた、「世界の平和運動の先頭に立ち、『平和
を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社
会において、名誉ある地位を占め』る国民は、膨大な軍備を抱え込む国よりも安全で
あると信ずることによって道を探りうるという、この考えは現代の常識に反する。だ
が現代の常識は狂っている。(中略)私はこの日本の常識はむしろ、健全な世界にお
ける普遍的な常識となると考える。(中略)冷戦が始まっていらい今ほど、世界の世
論が日本人の平和主義の声に耳を傾けようとしている時代はない」と明言しています。
 もう一人の平和運動家のオーバービー(C.M.Overby)は1991(平成3)年以来、
「日本国憲法第九条」を「地球憲法第九条」にする運動(「第九条の会」)を展開して
います。その一つの提案として、どの国も「良心的参戦拒否国家」になって、その代
替奉仕サービスとして、例えば人口増加を抑える、世界飢餓と貧困を克服する、通常
兵器の輸出入による移転を止める、非暴力行動と紛争解決の啓蒙を行うなど、11項
目を挙げています。そして特筆すべきことは1999(平成11)年5月にオランダの
ハーグで開かれた主催の「ハーグ平和市民会議」で、「憲法」第九条を「21世紀の
平和と正義への課題」として採択し、「各国議会は日本の憲法第九条を見習い、自国
政府に戦争をさせないための決議を採択すべきである」という文言を「公正な国際社
会のための基本10原則」の第一項に掲げられたことです。機が熟しつつあるのです。

         (5)
 この機に臨み、私はわが国政府が『平和省』を設置し、恒久世界平和の実現のため
に総力をあげて寄与することを提案したいのです。その『平和省』は、例えば次のよ
うな部局から構成されます。
「平和研究局」=人類史を繙き、これまでに勃発した戦争を徹底的に分析し、人間が
戦争する諸要因を解明し、戦争が二度と起こらない方策を研究する。そのためには平
和研究に真撃に取り組んでいる内外の学者を嘱託にして、国際的規模での大掛かりな
研究体制をつくる必要がある。

「軍縮促進局」=核兵器はいうまでもなく、あらゆる武器を地上からなくすための方
策を打ち立てる。そのためにはまずもってわが国が「憲法」第九条の規定を守り、今、
所有している武器を全廃することで範を垂れ、世界の国々に自ら武器を捨てることを
促す必要がある。

「平和維持局」=世界のどこかで飢餓や災害など、援助を必要とする事態が発生した
ときは直ちに出向き支援する。そのためには予め人材を養成し、人とものを輸送する
ための船や飛行機などを用意する必要がある。現行の自衛隊を「平和維持隊」に編成
替えすることをすすめる。

「平和留学生援護局」=諸外国から平和研究を目的とした留学生を受け入れる制度を
つくり、その世話をする。そのためには米国の「教育交流計画」(フルブラィト制度)
を参考にし、特に発展途上国からの留学生を多く迎える。留学生は帰国後、各自の国
で平和活動に励むことが期待される。

「平和教育局」=幼児期から平和な世界をつくる人間になるための教育を推進する。
また、平和維持のために活躍する人材養成も担当する。そのためには「平和は人なり」
の格言どおり、まずもって教育に当たる人(親・教師など)自身が非暴力に徹し、あ
くまでも平和に生きる人間である必要がある。家庭教育・学校教育の目的は平和を愛
する人間の形成にあることを普及徹底させる。
 わが国政府は、世界の諸国に対して、それぞれの国の政府にも『平和省』の設置を
呼び掛け、やがて各国の『平和省』が連繋し合い、世界的規模での平和の創造に尽く
すことを訴える役割を果たすべきです。同時に、各国の一般市民間の「平和交流」を
盛んにする必要もありましょう。

          (6)
 世界で初めて原爆を投下され、戦争、特に核兵器を使用した戦争のおぞましさが骨
身にしみた日本人の一人ひとりに対して神は「恒久世界平和を創造する者になれ」と
いう特別の使命を与えられました。その具体的な指針が「憲法」です。然り、この
「憲法」は世界の「宝」です。そのことを知った諸外国の人びとは、例外なく、日本
人がその特別の使命を真摯に果たすことに大きな期待を寄せます。
 しかし、日本政府には未だに『平和省』が設置されていません。また、日本の学校
は平和を創造する人材の育成に積極的に取り組んでいません。それどころか、いたる
ところに「力の論理」がはびこり、勝者のみが礼讃されています。今から50年以上
前にH・リードが嘆いた「競争の激しい分裂した社会に適応させ、さらに人間に差別
をつけるための教育」が猛威を振るっています。
「力の論理」がはびこっているのは日本だけではありません。「強い国」は競って軍
備を拡張し、他国に睨みを利かせ、恐怖感を煽っています。それらの国では「富国強
兵」のスローガンを堅持しています。表画的には平和を装っていても、一皮むけば覇
権主義は見え見えです。世界中の人びとの「平和的生存権」が蹂躙されているのです。
私たち日本人は「力の論理」で動いている世界を、誰もが互いに人格を尊び、赦し合
い、扶け合うことを正義とする「愛の論理」による人類共同体に転換させる役割をしっ
かり果たすことが、今、世界中から求められているのです。(文中、敬称を略しまし
た)
【本文は学士会会報 No.833より著者の了解を取って転載しました。他への転載を歓
迎します。大塚】

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