日記85

ただいま修行中 その三

 

私たち夫婦はその誓いのとおりにとても貧乏だった。でも不思議にいつも豊かな気分があって、自分たちが常に上昇気流に乗っている感覚があり、お金がないことの苦労感はまったく感じなかった。私に関する限りお金がないことで苦しい思いをした記憶はない。特に八丈島へ移ってからは、とても豊かな生活をエンジョイしていたと思う。東京の空間的な貧困から移り住んだ300坪の庭付き家は、自分達の羽を広げるにはとてもリッチな環境だった。閉じ込められていた感性の蝕しが一挙に伸ばされて、人工的な美しか知らなかったわたしは、本物の美しさとは自然界のなかで繰り広げられる豊かさの中にあるのだと理解した。海も、空も、森も、何もかもが美しかった。自分の家の障子を開け放して庭を眺めるとき、私は自分がとても贅沢な人生を送っていることを認識していた。都会ではお金がなくては味わえない豊かさが八丈島の家賃2万円の家にはあふれるほどに満ちていた。そして物々交換のシステムが生きていて、食べ物には困らない島だった。

八丈島の家で

ひとつのエピソードとして、こんな話がある。

もうお金が全然なくて、どうしようという時に、二人で一円を一万円として数えてみるゲームを思いつき、私が引き出しやポケットやバッグをくまなく捜すと、311万円もあったのだ。机上に集めた311万円を眺めてとてもリッチな気分になって笑いあったのを覚えている。そして極貧なべと称して友人を招待。水だけを入れた鍋に、友人たちが持ち寄ってくれた野菜や、魚が、たくさん入って、もう超豪華な極貧なべが出来上がり、みなでわいわい食べたっけ。赤貧なべも人気なべのひとつだった。赤貧なべと、極貧なべ、一体どう違うのかって。。。赤貧なべはしょうゆとカボス味。極貧なべはたれも各々持参してもらって・・・

お金がなくなるといつもどこからか食べ物がやってきてくれて、楽しい楽しい貧乏生活だった。

 

そんな私に自由が丘の母が時々心配して電話をくれる。彼女の第一声はいつも同じ言葉、

「お前・・いったい、どうやって生きてるの?何を食べてるの?」

私の答えもいつも一緒。

「カスミ食べて生きてるのよ、おいしいよ。今度食べ方教えてあげる!」

そんな楽しい貧乏生活にも終わりがきた。夫と妻という関係性の中で、お互い同士が学びあうカリキュラムを終えて、二人がそれぞれ新しいカリキュラムを学ぶ時がきたのだった。

二人が結婚して20年目の秋の夜だったと思う、彼は好きな女性が出来たと私に告げた。私はその時とても自分が愛にあふれていたので、彼の言動のすべてを全面的に受け入れることが出来た。恋に落ちるなんて。。それはとても素敵なことだと思えた。

あなたの親友が恋に落ちたって告白したら・・きっとあなたは良かったねと、微笑むとおもう。私も、大親友が少年のようにもじもじしながら、恋の告白をするのをみて、心から彼を愛しくおもえて、そして彼の恋が成就することを瞬時に願ってしまったのだ。

私はその時自分がまっさらな心でその話を受け止められたことを、今になって心から良かったと思う。

夫に愛人が出来た。不倫という世間一般的な状況の中でしかその事態を受け止められなかったらいまの私はなかったと思っている。

でも現実としては、次の朝、私の左脳が自分の立場が彼の妻だということを認識したとたん私の心は高みからまっさかさまに地獄に落ちてしまった。私の内側は完全に引き裂かれ、混乱と困惑で毎日苦しい感情がこみ上げてきて私自身を苦しめた。

私は妻よ、いったいどうしてくれるの?許せない、冗談じゃないわ。愛人のところに怒鳴り込んでやろうかしら、彼女の実家にお宅の娘さんが私の夫をたぶらかしてるって告げてやる。

でも

どんなに苦しくても、どんなに夫とその愛人を責めても、私の心の深いところで、何が自分にとって真実なのか、自分がその秋の夜、夫の話を聞いたときの私自身の素直に愛する夫の幸せを願っていた気持ちから目をそむけることができなかったのだ。私の魂はそこにあった。それが私の立脚点だった。だから、その無条件の愛の感情からはまるでほど遠い恨みや悔しさや憎しみの感情が自分に押し寄せると、そのギャップに心が振り子のように大きく揺れてどちらにも長く留まることが出来ず、気が狂いそうだった。

その頃のことを思い出すと本当に良くやったなと自分をほめてあげたいと思う、そして八丈島の森に、森の精霊たちに感謝の思いが湧く。

苦しくなると森に逃げ込んでまるで夢遊病所のように心が優しさに浸されるまで歩き、思索し、ちっぽけな感情を超えて、自分の心が又大きな愛とつながれるまで時間を費やして、日常へと戻っていく。八丈島の森に抱かれて自分の感情を見つめて浄化してゆく日々がその後続いた。それが出来なければ、きっと八百屋お七のように、あべサダのように、狂った行動を取って自らますます不幸を招いていたかもしれない。そしてその告白から2年後には離婚へと次のカリキュラムへのプロセスが続いてゆく。

八丈島の家の近くの森を散歩

 

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