日記 2

「 聖なる音楽祭レポート」
(早苗ネネ)



 異質なものと異質なものが出会い混乱が始まり、その後、調和へと向かうプロセス。私が体験した〈世界聖なる音楽祭〉はまさにエネルギーの融合を一人の末端ボランティアとして身を以てとうり抜けた実感だ。そのエネルギーの基本精神はもちろん聖なる愛です。

 5月31日。ステージ横に建てられたテントは混乱の極みでごった返していた。世界中から集まった出演者が続々と入場し、彼らとの間で持ち上がる様々なハプニングに誰もがパンク寸前だった。蟻の子を散らすように、いったい何を規範に行動すればいいのか分からなくなってしまった混乱状態は1日の夜まで続いた。音楽祭初日の夜、疲れ果てて堅い2段ベッドに潜り込んだ私は、明日にでも逃げ帰りたい気分だった。歌鳥として満足のゆく声がその日出せたことだけが救いだった。
 翌朝コテージの食堂に行くと、各部での打ち合わせがまだ続いている。キッチンを覗くと、昨夜私が帰る時、中で仕事をしていた女性達が同じ顔ぶれで淡々と朝食を用意していた。上からの指示を待っていても始まらない。誰にとっても初めての体験なのだ。自分が自分に仕事をあげよう。私は昨日自分が歌った舞台、風の流れる千畳閣に向かった。
 その日、6月2日の昼から夕方にかけてメビウスの輪がするりと表裏入れ替わるように、陰極まり陽に至るように、混乱の底が抜けて何かが機能しはじめた。そのきっかけとも思える出来事は、オーストラリアから来たアボリジニの青年2人が運んできた。彼らは理由も明確でないままメインステージでの演奏を削られてしまいそうな状況をサブステージで訴えたのだ。エネルギーはともすると弱い者に向かう傾向がある。彼らは素朴ではにかみがちの若者だった。千畳閣にいた観客は素早く反応し同情と励ましのエネルギーが湧きあがった。そこにインドのラジャスタンの人々が飛び入りして青年達と他の出演者も含めた全員との和気合い合いとしたセッションが始まった。観客と奏者の熱が一体となって会場を埋め尽くす。笑顔がはじけて皆の心が開いていく。
 いよいよ最終日、6月3日のエネルギーは穏やかで、癒しの力を含んでいた。その夜、音楽祭の会場となった厳島神社に舞を奉納する巫女舞さんの要請で急きょ声を出すことになった私は、観客席入り口で自分の出番を待ちながら出演者全員が舞台で歌い踊っているのを眺めていた。感動がうねるようにこみ上げてくる。ボランティアの仲間達も今夜は思う存分踊っていた。マウイ島で参加希望のメールを打っていた自分をふと思い出す。参加してよかった。ダライラマの代理として来たチベットのお坊さんが舞台上で近藤さんの業績をたたえている。私も心の中でつぶやいた。近藤さん、最初の一歩から始めて最後まで歩き通してくれて本当にありがとう。
 係りの人が私の出番を告げに来た。メインステージの上に案内されると、巫女舞さんの踊りの鈴が聞こえた。私はマイクに向かって心に浮かんでくる言葉を紡ぎ出した。
 “私たちみんな地球の子どもたち、鹿も猿も、ゴキブリもイルカも、鯨も人間も、みんな仲良く生きて行くの、海の神様ありがとう、山の神様ありがとう、厳島の神様ありがとう”


写真レポートは別ページに載せました。


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