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なまえのある家「Rupa」

第六回 大きな駅の一つ手前で

 その土地の伝承と出会うためには、大きな駅の一つ手前で降りるといい、という話
をきいたことがあります。大きな駅の町では伝承が消えているし、かといってあんま
り遠隔地になると、過疎化で伝承を守るのが難しくなっているというのが、その理由
です。
 奈良県天理市は古くからの集落が寄り集まったような町で、パチンコ店や大型スー
パーが林立する幹線道路から一歩細い道に足を伸ばすと、古い家並みが軒を連ねる集
落に、すぐ入ることができます。しかし、引っ越してからのこの2年余りですら、じ
わじわとこの風景は変わりつつあります。幹線道路の近くから田圃や畑がなくなり、
古い屋敷が取り壊されて、分譲住宅地や大型店舗へと開発されているのです。
 私達が住んでいる天理市永原町の最寄りの駅は、天理駅の隣の長柄駅。大きな駅の
一つ手前の無人駅です。永原町も非常に古い家並みが残っていて、かなりの人達が、
江戸時代からの母屋を修理・修復しながら住んでいます。私は建築に詳しくないので
すが、京都市内や奈良市内でよく見られる町屋と、農村部の大きな農家造りの両方の
特徴が備わっているように思われます。格子戸のある門構えは表から見るとこじんま
りとしているのですが、一歩中に入るとびっくりするほどの奥行きがあり、土間を
入ってすぐ右手に中二階のあるお座敷があります。農作業をするための中庭は非常に
広く、母屋以外に元牛小屋や農機具を置く小屋もあります。蔵と母屋を改修工事でつ
なげている家が多く、室内に開く蔵の重厚な戸は圧巻です。「古い家は手がかかる。
職人さんからは新築する方がええって言われるんやけど、せっかく残してきた家やか
らねえ」。そういうお年寄りの言葉に、新参者として尊敬の念を感じてきた2年間で
した。
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 幹線道路から少し西に入ったところにある集落として、細かな変化はあるものの、
大がかりな開発から長らく免れてきた永原町。しかし、変化は突然にやってきまし
た。村の中心にあった最も大きな屋敷が、取り壊されたのです。「跡継ぎのいない一
人暮らしの老婆のところに、遺産目当てで養子に入った一家」と噂されていた人物
が、老婆が亡くなってすぐに土地と屋敷を売り払って、永原町を出ていってしまっ
た。これで村の風景が変わってしまう、跡継ぎはちゃんと残さなあかん……、村のお
年寄りの溜息まじりの話です。
 まだまだ十分に住める威厳のある屋敷が、バリバリと大音響を立てながらクレーン
で破壊されていく様を見るのは、本当につらく、引っ越して2年余りの私達ですら涙
が出てしまうのですから、代々この地に住んできたお年寄りには、なおさらの衝撃的
な事件でした。水をまきながらの破壊作業は休日も続き、まるで爆弾か飛行機でも落
とされたかのような瓦礫の山が残りました。しかし遂にそれらの大きな植木や古材も
すべて焼き払われ、その煙は何かを訴えるように空に上っていきました。

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 ちょうどその頃、広島の田舎に蕎麦の実の刈り入れの手伝いに行きました。私の父
親の実家で、広島の山中にあるのどかな田舎に行くのは2年ぶりのことでした。下道
を車で走ること10時間余り、先祖の大工が建てた築120年以上の古い家の懐かしい姿
が目に入った途端、あまりの変化に、しばし言葉を失ってしまいました。田舎の家は
そのままなのですが、そのすぐ裏手の山際に、10軒あまりの新しい戸建群が出現して
いたのです。町の活性化のために、町外からの移住者を募って建てた格安家賃の町営
住宅でした。真新しい洋風の家の周囲はすべてコンクリートで固められ、その一画だ
けフェンスで囲まれていました。家々の中心には集会所もあり、地元民との隔絶の様
子が伺われました。
 田舎の家の裏山を少し上って、山裾に生える柿や栗の木を見上げながら細い小径を
通ってさびれた神社に向かう。これが私のお気に入りのコースでした。それまで当た
り前のように通っていた小径でしたが、今はすぐ下のコンクリート群が目に入り、優
しいのどかな空気が明らかに薄まっているのを感じました。そして、何の変哲もない
この小径を、私がいかに愛していたかが意識され、胸が痛みました。そのような目で
見直すと、この10年間で多くの愛すべき田舎の風景が姿を消していることに気が付か
ざるを得ませんでした。

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 このような経験は、残念ながら、今の日本ではありふれたことになっています。多
くの心安まる風景が、その神秘性と共に姿を消しつつある現代。「自分たちの神話を
忘れた民族は滅びる」とよく言われますが、それは言葉の上のことだけではありませ
ん。最も身近な、土地に根ざした感覚を封印することの傲慢さ。新しく建った建物
は、憎むべき存在ではなく、人の内面を現実化しただけのことでした。消失して悲し
く感じられるものは私自身、出現して違和感を抱かれるものも私自身。今は、私自身
も変化の時なのです。
 戦前の文明の名残すら最終的に失われかけている現在は、言葉を変えれば、多くの
気づきを与えてくれる変化の時。今まで何度も起こったであろう文明の移り変わ
りの大きな波は、どこに流れていこうとしているのでしょうか。とにかくこの波のな
かで、すべての自然とすべての生き物が、織物のように一つにつながっていることを
覚えていたいと痛切に感じています。すべての駅が大きくなってしまう前に、忘れて
はならない自分自身の神話を思い出す時がきているのでしょう。

(イラスト=金子亘)


名前のない新聞No.110=2002年1・2月号より