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なまえのある家「Rupa」

第三回 この半年

 天理は、奈良盆地のなかでも田植えの時期が遅い地域です。東側の山際の田圃から徐々に田起こしが始まり、Rupa周辺の田圃に水が入り始めたのが5月末。すべての田圃の田植えが終了するのは、6月中旬ぐらいです。水が入った田圃を、何よりも喜んでいるのは蛙とケリでしょうか。夜、網戸越しに聞く蛙の大合唱。何百年も前から、この周辺の田圃に生き続ける蛙たちの子孫。反響してこだまするその鳴き声は、子供の頃の記憶や最近起こった出来事などを、じんわりと蘇らせる不思議な効果があるようです。
 その存在を何よりもよく表し、何ものをも妨げはしない、蛙の声。完全な時に行う、完全な表現。満ち足りた世界を広げ、静けさをも与えてくれる多くの声。蛙の声を聞きながら、ふと、私達人間は本当の声を出しているのかしら、と思い返したりするのです。

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 Rupaでイベントや集いが始まって1年半あまり。なんとなく続いてきたイベントが、規模的・質的に充実してきたのは、特にこの半年でした。Rupaを良き居場所として評価してくれる常連の方々と頻繁に集い、5月の連休に開催した「ナーガルーパ祭り」では、遠方からも多彩な友人達が遊びに来てくれて、想像以上の大成功。周囲からお褒めの言葉をいただいたり、さらなるネットワークが広がったり。しかし、そのピークを目前にして、何か大きな忘れ物をしているのではないか、という疑惑が、絶えず心のどこかにあったのも事実でした。
 フリースペースの成功の秘訣は、組織化なのでしょうか。ネットワークという今風の言葉を使いつつも、実質、それが組織的に感じられる。そんな体験を多くの人がしていると思います。もちろん、組織自体は善悪の範疇に分けられるものではありません。しかし、組織につきものの、現状維持、もしくは発展的維持という努力が必要になってくる場合が多いようです。ところで、Rupaはフリースペースではありません。友人達がRupaを紹介してくれる時には、「フリースペースのような一軒家」というような表現が多いようです。が、私達(金子と近藤)がRupaを説明する時には、たいがい「ただの、名前のある“普通”の家だよ。フリースペースではない」と強調しています。
 でも、何かの音楽会を催す時などは、ミュージシャンのためにも、できれば人が集まって欲しい。様々な経済状況の人に対応するため、投げ銭制にしたり、設定した入場料金も応相談にしたり…。貧しい私達の苦肉の策でした。さらには、友人・知人を連れてきてくれる人への依存。気が付けば、カリスマ性や陶酔の波がRupaに押し寄せていたのでした。来てくれる一人一人と丁寧に接していきたいというRupaの住人である私達の思いとは裏腹に、全体として十把一絡げ的な盛り上がりになってしまい、困惑した亘がキッチンに逃避する時もあったのです。
 しかし、戸惑う私達に勇気を与えてくれたのも、一人一人の声でした。全国を巡るアーティストや旅人達の輝き。私達に本音で語ってくれる、マイペースな奈良の仲間達。「ナーガルーパ祭り」の翌日から始まった、私達の本音の思い、「Rupaは“普通”の家だ」という声に、初めは少し、そしてしばらく経って、次々と本音の声が応えてくれました。
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 天理の古い集落、永原町にあるRupa。ゴロ合わせで名付けた「ナーガルーパ」ですが、友人の一人が教えてくれた意味を聞いて納得せざるを得ません。「ナーガ」は龍の意。東洋の龍の元祖です。「ルーパ」は、「色」。色とは形あるものという意味と同時に、「壊れゆくもの」という反対の意味もあるそうです。手前味噌になりますが、「ナーガルーパ祭り」で味わった音楽や芸能は、正直言って今まで私達が体験した、どのライヴハウスの音楽よりも、良かった。聴衆も本当に主体的で、感動して帰っていってくれた。とにかく、お祭りの名に相応しいハイレベルな内容でした。しかし、そのすばらしい「色」も、変化し、移ろい、壊れゆくものとして、手放す時が来たのでしょうか。この世界に、美しい恵みの雨をもたらす龍。勇気を出して、龍である「この半年」を、感謝と共に「空」に返す時が来たのです。

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 こうして、再び“普通”の家になったRupa。内輪に特有な決まり切ったノリや、自分以外の誰かのカリスマ性に依存しているのではないか、つまり、閉ざされた「特別な」組織になっているのではないか、という疑惑を声に出して、身軽になった私達。予定調和的なキレイごとの集いになっているのであれば、ない方がいいと思い詰めた私達でしたが、今は、Rupaを続けようとも、止めようとも、思っていません。ただ、あせらず、あるがままに見ていこうと思っています。そして、このような私達をあるがままに見てくださる、ご縁ある方々すべてに、心から感謝しています。本当にありがとう。
 あったらあったで良いし、なければないで、それも良し。そんなおおらかさで、日常生活を送っていきたいものです。またいつか、成長した龍を空に返す日が巡って来るまで…。
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 田圃で夜通し鳴き明かした蛙達の最後の一声が止むやいなや、朝を告げる鳥達のさえずりが始まりました。私も、今しか出せない、今の自分の声を出していこう。これから収穫の日まで、田圃で毎日多くの声を聞いて育つ苗。遅く植えられた小さな苗達がとてもいとしく感じられる、梅雨の中休みです。

(イラスト=金子亘)