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なまえのある家「Rupa」

月影の下、神の使いとなる童子

 月が最も美しく輝く夜、中秋。心地よい涼風に、虫の声が冴え響く秋。遅すぎず、早すぎず、愛でるに相応しい頃合いに天に上る中秋の名月は、古来より日本人の風流心をかきたててきた。ときは、一年の実りが結実し収穫を迎える秋。その満月の光は、清らかというだけでなく、豊饒をもたらす霊力すら感じさせる。大自然に神秘を見出してきた古代人は、その光にきっと深い祈りを込めていたに違いない。そんな心が伝わる風習が、今も形を変えて奈良県生駒市北部で続けられている。その名も、「月見どろぼう」。
 他家で供えられている月見団子を子供がこっそり盗んで食べてしまう――、かつて全国各地にあったというという風習である。しかも盗まれる量が多ければ多いほど、「月が召し上がった、縁起がいい」といって喜ばれていたという。
「中秋の名月には、竹の棒をもって、玄関先のお供えの芋や団子を突き刺して盗ったもんですわ。その日だけは盗んでも、誰も怒りません」。
 生まれも育ちも生駒市高山地区のある男性は、60年ほど昔の頃を懐かしんでそう語る。お供えはもっぱら泥芋(里イモ)、そしてメリケン粉(小麦粉)の団子にきな粉をまぶしたものだったという。ここで注目したいのは、簡単に手で取れるものを、わざわざ準備した竹の棒で突き刺すという行為である。月影に照らされる、竹の棒をもつ子供たち。そこに立ち現れるのは、いつもとは異なる存在となって村を巡る、神童としてのイメージだ。

 木の枝に餅を突き刺して飾る、マユダマという行事がある。かつては各地で行われていたもので、小正月に五穀豊穣を願って繭型の餅を刺した木の枝を、床の間や玄関などに立てた。夫婦の寝室にその枝を飾るという、より古風なタイプの風習も鹿児島に残っている。また同県内の吉松町では、男の子たちが「はらめ、はらめ」と唱えながら棒をもって家々をまわって踊る行事もあったという。陰陽和合をもって、子孫繁栄と五穀豊穣を等しく願う素朴な行為。そこでは何気ない枝や棒が、底知れぬパワーを放散させるのだ。
 山から枝を手にもち訪れる沖縄の神人、剣をもつ不動明王、杖をもつ魔法使い…。どんな風体でもいいのだが、とにかく棒をもって現れる神のイメージが、次々と膨らむ。沖縄では、神は直視してはいけないと言われる。神に扮したユタや司(巫女)は、神と一体になった姿であるから、見てはいけない。だから神人が徘徊する夜は、村人たちは家にこもって外に出ない。尋常ならざる力をもつ荒々しい神は、常識やタブーを軽々と越えながら、共同体に神秘の力を付与していく。
 子育てで大切なことは、言うまでもなく社会常識をわきまえさせる躾であろう。例えば、盗むという行為は最たる禁忌だ。幼い頃から厳しくしつけるのは当然のことである。
 ところが、ある特定の時と場がクロスした途端、突如として通常の観念が反転してしまう。それこそが、古い風習や祭りの神秘であり、魅力。いわゆる祭りの無礼講が発散するエネルギーは、極めてプリミティヴだ。人もサンゴもウミガメも、生命が誕生するときは満月の夜が多いという。言葉や常識を遙かに超える、大自然の摂理と神秘。祭りは、人と自然の交わりを、言葉ではなく感覚で教えてくれる。
 満月の光の下、棒で芋を突き刺す童子。そこに見えるのは、怒らないというよりも、怒れないほどの何ものか。つきつめて言うならば、そこには直視できないほどの神性があるのだ。

 生駒市にある小学校に向かった。校庭で遊ぶ子供たちに「月見どろぼう」について訊いてみる。「お菓子をタダでいっぱいもらえて、嬉しい」。目を輝かせながら、次々とストレートな感想を返してくれる。
 時を経て、お供えの芋や団子は、子供たちの好みに合わせたスナック菓子に代わった。そして、棒をもたない子供たちには親が付きそうようになった。しかし、この目の輝きだけは変わらないようだ。月夜の楽しみを口々に語るときの彼らの眼差しが、何故かとても眩しく感じられる。
 天が下、すべてのわざに時がある。神のなされることは皆、その時にかなって美しい。中秋は、月の使いと化する夜。月が最も美しく輝く時、それは子供たちも輝く時なのだ。
 
参考文献:酒井卯作『稲の祭と田の神さま』戎光祥出版


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 奈良盆地の東、奈良、三重、京都に広がる山間部は奥大和・元大和であり、巨石に関連する聖地や縄文遺跡が数多く存在しています。このエリアにご縁を感じる方には、お話をお伺いして、関連すると感じられる地へご案内します。宿泊も可能です。お気軽に遊びに来てください。 rupa@kcn.jp 0742-94-0804


名前のない新聞 No.139=2006年11・12月号 に掲載