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なまえのある家「Rupa」

第十回 内なる平和活動


 平和か戦争か。大きな岐路に立つ現在、平和を求める多くの声が浮上してきています。同時に、一人一人がかつてないほどの大きな矛盾とジレンマに向き合っていることも事実です。まるで、一握りの人達が世界の動向を掌握し、他の大勢の人達があまりにも無力でなすすべもない、といった状況。大国、国連、世界経済、テロ、報復戦争…。自分たちに無関係ではないけれど、あまりにスケールが大きいので、手が届かない、なすすべがない、と感じている人達が少なくはないのではないでしょうか。誰もが現地での平和活動に参加できるわけではありません。日本に生きる私たち。本当に、私たちにはなす術がないのでしょうか。

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 テレビや教科書が伝える平和。物質的な自由と平等が行き渡った民主主義的平和。この平和を実現するために私達ができることは、さほど多くはないかもしれません。今の私が感じる平和とは、物質的なレベルだけのものではありません。目に見える世界と、目に見えない世界が和合し、調和することによってのみ、到達できるものだと感じています。この二つの世界は、表裏一体です。ということは、裏や陰からこそ、見えてくる世界があるのです。自由と平等を求めれば求めるほど湧き起こる、争い、不自由と不平等。悪を憎めば憎むほど、自らが悪になる正義。この現実を裏返して見れば、ちょうど逆になります。魂のレベルでは、もうすでに自由と平等は与えられており、もともと善悪はない。その地点に立った、目には見えない内なる平和活動。日常生活において誰もが参加できるこの動きを、活発化させない手はありません。

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 第二次世界大戦後、沖縄では従来にないほどの頻度で、多くの人々の間でカミダーリが起こっていました。カミダーリには様々なパターンがありますが、ユタ(シャーマン)としての道を歩ませるべく、激しいメッセージとして霊や神が過酷な状況を当人に与えることが多いようです。神がかりになって深夜にウタキ(聖地)を巡ることもあれば、一家に災難がふりかかり、大病を患うこともあります。その状況が幅広いため、憑きものがついたような奇異な言動をする人々を含めて、沖縄ではターリムンなどと呼びます。日本では精神病院に送られるところですが、沖縄では、ユタが霊的な解決を図ることが少なくありません。
 戦後増加したターリムンたちは、明らかに、ユタへと成長するための修行ではなく、迷える霊たちがターリた結果でした。悲惨な地上戦が繰り広げられた琉球・八重山の島々。多くの島人たちが犠牲となり、日本からの兵隊たちの多くも戦死しました。沖縄に数多くあるガマ(洞窟)が避難先となりましたが、そこでも殺戮や集団自決が待っていました。沖縄のガマは、多くの場合、祖霊や神々が依り給う神聖なウタキ(聖地)です。迷える戦没者を救い、平和をウガンする、本来あるべき聖地へと蘇らすために、戦後、ユタたちは陰ながらの活動を必死で続けてきました。今、霊的カミダーリはようやく下火になり、次世代のユタたちは、さらに根の深い問題に向けて、地道な動きを始めています。

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 昨年、我が家を訪れたネイティブアメリカンのTさんが語ってくれた話があります。それは、スミソニアン博物館に「収集」されていた、百数十体に及ぶアメリカ「開拓」時代のインディアンの遺骨の話でした。「頭蓋骨の一つ一つに、虐殺された場所と日付が書かれてあったんだ。最近になって、自分たちの仲間でそれらの遺骨を取り戻し、虐殺された地に戻し、一人一人の霊を伝統的な方法で供養した。すると、その地に、なんとも言えない静けさと平安が戻ったんだ」。全米の博物館には、まだ無数の遺骨が残されているといいます。無念の思いが彷徨う大陸。その者たちの帰るべきところも示されぬままに、今も聖地は暴かれ、カタストロフィーはさらに膨れあがっています。

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 人々の精神や土地に影響を与える、目には見えない存在。荒ぶる神々や霊たちを納得させるもの、それは感謝の思いにあふれた、素直な真心なのでしょう。原初から続く感謝の心こそが、内なる平和活動の原点であると感じています。
 私達日本人が、目に見えない世界との交流から遠ざかって、どれほど経つのでしょう。生命を育み伝えてくれた、自然と祖霊に対する感謝の気持ちを、一体、どこに置き忘れてしまったのでしょうか。かつて子供たちが親しく遊んだ神社の境内も、今は寂しく閑散としています。祭事の本来の意味も忘れ去られ、形骸化してしまいました。語り部の系統も絶え、文字に書かれた神話のみが民俗学的に遺されるのみです。しかしそれは、人間の心象風景が現実化されただけです。それが、どれほど多くの生命や自然に影響を与えていることか。内なる平和活動の出発点と到着点は、自分自身の内側なのです。

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 私の天理市内のアルバイト先は、在日沖縄2世が経営する通所介護施設です。福祉や介護には素人の私ですが、経営陣に声をかけられ、興味半分で週に何度か通い始めて2年。今や、私の内なる平和活動にとって、自身や家庭などの次に重要な場となりました。何百年間も忘れ去られた大和の聖地を、藪を掻き分け泥まみれになりながら、訪れる。その聖地へのリスペクト(尊厳)と同じ思いで、お年寄りの大切な部分を洗い、ケアする…。痴呆のお年寄りが、荒ぶる神々と重なって見えることもあります。とにかく、お年寄りのお世話をする時、いつも忘れ去られた聖地に接する気持ちになるのです。大切な聖地とは、あまにりも身近で目立たないところ、時として弱者と呼ばれるところに、あるのかもしれません。そして、そのようなところでこそ、内なる平和活動は活躍できるのです。
 真心を込めることで活発化できる、内なる平和活動。目には見えない、広大なる神秘の世界。その扉は、いつも自らの内にあります。私たちは、無力ではありません。
お願い
 唄が出てくるようになって数年が経ち、昨年は大和や琉球・八重山の聖地などで歌ってきましたが、今年は人々の内なる聖地でも歌わせて頂きたいと感じるようになりました。そのような場を提供してもいいという方がいらっしゃいましたら、どの地域でも結構ですので、是非ご一報ください。自然の中や普通のお家など、どちらでも。4月は東京(25日「ひなぎく」など)の予定です。  (近藤直子)

 まほろばの地よ ニライカナイの地よ、
 そは内にありけり、わが魂の深みに
  わが魂の高みに
(「みこころのままに」 02年2月22日から)


名前のない新聞 No.117=2003年3・4月号 に掲載