78.  待望の書『大麻ヒステリー』

 大麻のことなど何も知らず、見たことも吸ったこともない連中が、大麻取締法違反の逮捕者を寄ってたかって袋叩きにする日本社会の異常さを、大麻愛好家たちは嘆いてきたが、その声はマスメディアからは相手にされず、ミニコミやHPレベルでしか伝わらなかった。
 ところが今度、大学教授の肩書きをもつ武田邦彦という工学博士が、光文社というメジャー出版社から『大麻ヒステリー、思考停止になる日本人』という本(新書版、¥740)を出した。
 大麻関係の出版物としては、8〜90年代に第三書館という左翼系の出版社が『マリファナ・ハイ、ナウ、X』というシリーズを出したが、これはマニアのための本であり、一般人や図書館の書棚を飾ることはなかった。
 しかしこの『大麻ヒステリー』は、今年1月に発行された幻冬舎の『大麻入門』(長吉秀夫著、新書版、¥760)と同様、決してマニアックなものではなく、あくまでも一般大衆向けに書かれた大麻の基礎知識である。
 メジャー出版社がわが国の大麻問題の歪みを、科学的立場から批判し、大麻は麻薬ではなく薬用植物であり、縄文時代から日本人の生活と文化に深く関わってきた貴重な資源であり、GHQによる大麻取締法の制定は、「罪のない人を犯罪者にする」という点で犯罪的であるという正論を、堂々と刊行する時代になったのである。
 これは昨年来の集中豪雨的な大麻弾圧のもたらした反動でもあろう。あれだけの理不尽が罷り通れば、思考停止のタガが外れ、考える人が出てきても当然だろう。筆者は科学者らしい論理性と誠実さで、マスコミにマインドコントロールされてきた読者を、大麻の真実と事実に目覚めさせるだろう。
 その点では待望の名著なのだが、では「大麻をどうしたらよいのか?」という提案になると、大麻吸いの現場経験がないためか、リアリティを欠くようだ。
 [提案]
 アヘンの原料がケシだからといって「ケシ取締法」がないように、THC(カンナビノール)の原料が大麻だからといって、大麻という植物全般を取締るのはおかしい。問題はカンナビノールなのだから、その含有量の多いものを「カンナビノール取締法」とすべきで、カンナビノールの少ない産業用大麻などは規制から外すべきである。もし合法化された産業用大麻などを吸う人がいても、カンナビノールのない大麻は味気ないから自然に少なくなるだろう。
 そこで第一段階として大麻取締法を「カンナビノール法」に替え、カンナビノールを非合法として取締りつつ、第二段階としてカンナビノールを麻薬として取締るべきか、あるいは酒やタバコのように年齢規定すべきかを検討する委員会をもち、適当な量を解禁してゆくとしている。
 [反論]
 例え「カンナビノール取締法」を制定しても、大麻取締法を廃棄し、大麻を合法化することは、WHO(世界保健機構)の「麻薬に関する単一条約」に批准しているわが国には不可能だろう。同じ理由でヨーロッパ、カナダ、オーストラリアなどの先進諸国も合法化が不可能なので、「非犯罪化」という方法を採っている。大麻の個人的使用を無罪にしたのだ。
 ケシは種類は多いが、アヘンケシとヒナゲシの区別は一目で分かる。しかし大麻はカンナビス・サティバ・エルの一種だけだ。(インディカやルーディラスは亜種)カンナビノールの含有量は見た目では判断できないから、取締りは大麻全般とならざるをえないだろう。しかし産業用大麻はカンナビノール抜きの「トチギシロ」のように、県知事の許可を取れば栽培可能である。それに大麻吸いは産業用大麻などに手を出さない。
 従って論ずべき問題は第二段階であるが、カンナビノールについて検討する委員会のメンバーは、民間の大麻体験者でなければ意味がない。そこで公的機関としての「カンナビノール検討委員会」に、お上が大麻の吸引を許可するかどうか、大いに疑問である。著者自身が、自らの関係する研究室で申請しても、大麻の取り扱い許可を取るのが非常に難しい情勢だというように、学者がもっと自由に大麻の研究をできるようにするのが最優先事項だろう。なにしろ日本には大麻を研究する学者は、今回デビューした著者以外は1人もいないのだから。(御用学者はいるが)

 大麻のカンナビノールとは何か? それは身体的・精神的な依存性がなく、禁断症状もないため麻薬の条件を満たさず、「麻薬取締法」の対象にならないため、「大麻取締法」という法律を制定したのだ。従って法的には麻薬ではないことが証明されているのだ。
 では麻薬ではないのになぜ取締るのか?
 それはカンナビノールがユーザーの気分を良くし、感覚と知覚を鋭敏にし、意識を拡大、変容するという向精神作用があるからだ。
 今から約40年前、大麻を爆発的に世界に拡げたヒッピームーヴメントは、資本主義と物質文明のペテンとウソを見破り、経済成長と競争社会を否定し、自然との調和のとれた共同体社会の建設をめざし、精神的・霊的な進化による持続可能な世界を夢見た。当時はまだ使われていなかったが「エコロジー」や「オルタナティヴ」という言葉が、ヒッピームーヴメントの流れを運動として受け継ぎ、今日の危機的状況の中で生存への希望となっている。まさに大麻がもたらした叡智である。
 ヨーロッパやカナダ、オーストラリアなどの先進諸国が大麻を「非犯罪化」したのは、民主主義の成熟によって、国民一人ひとりが自分の頭でものを考え、主体的に行動できるという、国家としての自信と矜持の結果である。しかし日本のような「お上の言いなり」の天皇制前民主主義国家において、国民が自らの頭で科学的にものごとを考え、主体的に生きることは社会秩序を混乱させるとして「村八分」的な制裁を受けるだろう。
 そのような日本の現実を踏まえた上で、著者は既に『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』『偽善エコロジー』のような問題作を執筆、刊行している。
 曰く、人間が仕事に精を出しすぎると他の動物の居場所がなくなり、地球は人間だけになってしまう(そして人類も滅亡してしまう)として、「活動しない」選択を説き、「暇で困る」とすれば、南の国の人々のように大麻を吸う方法があり、おそらく大麻は嗜好品として「最良のもの」ではないかと思われます、という。
 わが国の大麻解放運動は初めて本物の学者を味方につけたのである。
                                  (6.26)


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