7.インドの大麻道(下)

  [2度目のインド 82〜83]
 女連れの前回と異なって、2度目のインドは文無しの独り旅だったので、カトマンズで知り合ったヒッピー系サドゥに案内されて、私はサドゥの集まる聖地を巡り、何人かのサドゥと共に暮らし、チロムを回し、大麻道の修行に励んだ。
 ヒッピーが火をつけた「インドブーム」は、旧き良きインドを観光化し、商品化し、金に代え、その分だけ精神世界は水増しされ、ボルテージを下げていった。ガンジャやチャラスは闇値が張り、ヒマチャルやゴアなどではポリスが観光客を相手に「専売法違反」を口実に辻強盗を働いていた。とはいえ首都デリーの路上でさえ、サドゥと一緒に吸えばポリスからいちゃもんをつけられる恐れはなかったのだから、サドゥに対する畏敬の念はまだ民衆の心を占めていたのだ。
 聖都バラナシが水没した大洪水のときはハウスボートを宿にして、渡し守りや地元民にサドゥを加え、毎晩2時間のチャンティングで「シャンカラ シヴァ」のマントラを覚えた。(このマントラは今や日本中に広がった。)
 ヨガの殿堂リシケシでは数人のサドゥと共同で暮らしたが、朝の一服は全員が気管支炎であることを証明していた。河原での化粧は全身に灰をまぶすだけなのに半日がかり。彼らは鏡の中の神の姿に惚れぼれと見とれているのだ。吸いっぷりの良い大男のサドゥがいた。そのサドゥがチロムを吸うと一息で全部、チロムの陶身が真赤になるまで吸いきるのだ。周囲からは「もうやめろ!」などと文句も出るが、決して遠慮をしなかった。
 実に多彩なキャラクターだったが、子供のような無邪気さと気まぐれさは共通していた。好事魔多しで、もてるサドゥほどマーヤーに捕われ、あるサドゥはヒッピーに誘われてヨーロッパへ行き、ヘロインにはまって歯を一本も無くして帰って来た。金髪の女性ヒッピーの奴隷になったサドゥたちを何人も見た。
 クリシュナの聖地ヴリンダーバンでは、もてない新米のサドゥとガンジャを交しマントラ合戦を延々とやっていたところ、トランスに達したサドゥが私を指さし「クリシュナ カム クリシュナ カム!」と叫んで、拝跪し大騒ぎをするので、私は長らくクリシュナのふりをして鎮座ましますのだった。
 秋には標高2000メートル、チャラスの生産地であるヒマチャル地方のマナリとマニカランを訪れ、大麻道を修行中の白人フリークスや野性的なサドゥたちとチロムを交した。日本人のガンジャ・フリークスも数名はいたが、アメリカ人は皆無だった。
 ハイブリッド登場以前には、よりクオリティの高いものを求めればハシシーしかなく、ハシシーとなればプレス製法でなく、ヒマチャルの手揉み製法のチャラス「パールヴァティ」が、ヨーロッパ市場ではブランドになっていた。そのため収穫期のヒマチャルへはXマスを当てこんだディラーたちが、生産者から直接買いつけるためにやってくる。この買付けの段階でディラーたる者の実力が試される。なぜなら手揉みチャラスはいくらでも粗製乱造ができるからだ。従ってチャラスのクオリティ、香り、味、効き、飛び、保存状態などから推して相場に合った値段を決めるには、それ相当の大麻道を修めねばならない。
 当時は路上や広場で日和ぼっこをしたり、茶屋で車座になったりして、白人のディラーたちがチロムを回し、「このチャラスは標高何メートルのものか?」「北斜面のものか、南斜面のものか?」「ジャングリル(野生種)か、バヒチャン(栽培種)か?」などと問答し合っているのを見かけたものだ。大麻道の実力比べというわけだ。もちろん大麻道とビジネスとは何の関係もなく、優れたディラーが大麻道を極めているわけでもない。大麻道とはあくまでもスピリチュアルなものなのだから。
 私が居候していたヒッピー系チベタンのディラーは、収穫期には一切大麻を吸わない。彼に言わすと「吸ってはだめだ。吸ったら鑑識ができなくなる。吸わずに、見て、嗅いで、さわって、クオリティを計るのだ」
 この時、私はヒマチャルに2ヵ月滞在し、ローカルとフリークスの世話になって旅の疲れと病を癒し、パールヴァティを吸いまくって甦った。まだヒマチャルは無垢のままだった。観光客が押し寄せ、四方八方をリゾート化してゆくのはこれ以後のことだ。

 [3度目のインド 92]
 再び10年の間をおいて3度目に訪れたインドは、もはやサドゥとガンジャを吸える国ではなかった。大麻は非合法化され、ガンジャ・ショップは姿を消し、ついに公然たる形での大麻文化は滅亡したのである。
 大麻をヘロインやコカインと同等に扱った「麻薬単一条約」などという国連WHO(世界保健機構)のズサンな規定に、インドは64年に批准した。それはネルー首相の死亡した年である。米ソ冷戦の緊張の最中、人類の理性と良心の代表として事あるごとに国際舞台に引っぱり出された賢者ではあるが、ネルーと国民会議派のエリートたちは、インドの下層底辺社会における大麻の神通力については御存知なかった。この規定に批准したことによって、インドは25年の準備期間を置いて(この期間中は専売公社制度を採用)、89年に大麻を非合法化したことにより、貴重な伝統文化を失ったのである。
 インドが大麻を非合法化して間もなく、滅亡したソ連に代って、押し寄せてきたアメリカン・グローバリズムの大波が、アルコールを解禁した。かくてヒンドゥ教が何千年もの間、瞑想と儀式に使用してきた聖なる大麻を禁止し、ヒンドゥ教が禁止しているアルコールを解禁するという転倒が起こった。それはインドの未来に決定的な破局をもたらすのではあるまいか。ラーマクリシュナの高弟で19世紀末の民族的英雄となった賢者ヴィヴェーカーナンダは予言した。
 「宗教が政治を制している限りインドは栄えるだろう。しかし政治が宗教を支配した時インドは滅びるだろう」
 コカコーラやマクドナルドと共にアメリカン・グローバリズムが持ち込んだ「大麻絶滅戦略」は、その鉾先を大麻の守護神シヴァに向け、聖地バラナシの盛り場でシヴァ派のサドゥが、ガンジャ所持を理由に手錠をかけられ、ポリスに引かれて行く姿を目撃したという旅人の話を聞いたのは、この時の旅だった。
 無住無所有のサドゥからシヴァの権威を奪えばただの乞食だ。民衆の尊敬と信頼を失ったサドゥ。宗教的ボルテージは低下の一途を辿っていた。
 南インドを約3ヵ月で廻ったこの時の旅は、15歳と13歳の2人の娘連れだったので、サドゥと交わるチャンスもなかったが、たった一度だけ聖地バラナシの対岸を散歩していた時、2人の従者をつれたサドゥから呼ばれ、「ボン シャンカール!」のチロムを受けた。聖地でも心おきなくチロムを回せるのは、もはやTあの世(彼岸)Uしかなかったのだ。

 [4度目のインド 97]
 これが最後という予感もあって、還暦の独り旅はヒッピー、フリークスにはお馴染みの聖地バラナシ、プシュカル、そしてヒマチャルという大河と砂漠と山岳の三種のインド世界を再訪することにした。
 バラナシには40日間も滞在し、春一番の「シヴァ・ラートリィ」という祭りに出会った。大麻の守護神シヴァの結婚を祝って、女子供はバングという麻の葉団子や、それをヨーグルトに溶いたバングラッシーを、男たちはポリスもプッシャーもガンジャやチャラスを吸って「ハラハラ ボンボン」の大騒ぎだ。ガンガーの岸辺は乞食や芸人、物売りなどで賑わうが、断然人気を独占するのはこの日の主役TナガババUと呼ばれる一群のサドゥである。彼らはヒマラヤの洞窟から素裸で降りて来た灰まみれのシヴァだ。生殖と快楽を放棄した性器はもはや羞恥心の対象ではない。超然として漫画チックなナガババたちは、世俗のマーヤー(幻影)をガンジャの神通力によって断つ。ラーマクリシュナは言った。
  「シッディ、シッディと言ったところでシッディ(神通力)は得られない。シッディ(大麻)を吸わなければだめだ」

 とはいえ、神通力を得ているはずのサドゥの実態たるや意外なものであった。シヴァ・ラートリィの半月後、恒例の「ホーリー祭」を私はオアシスの聖地プシュカルで祭った。15年ぶりに訪れた宝石のように美しい古都で、私はチャラスを密売しているサドゥに出会って愕然としたのだった。乞食まがいのサドゥはいたが、ビジネスをするサドゥには初めて会った。この温厚な老サドゥも以前には在家信徒のバクシーシーでガンジャを得ていたが、現今それも無く、自分用のガンジャは自分で稼ぐしかないという。かくてサドゥは金を稼ぐことによって在家の人々の尊敬と信頼を失い、自らもまた誇りと自信を失ってゆくのだ。
 何が変わったといってもヒマチャルの変貌ぶりには唖然とした。経済成長による中間層の膨張によって、避暑地としてのヒマチャルは絶好のリゾート地と化して、マナリなど前回訪れた時は建設中のホテルが数軒あった程度なのに、今や四方八方、ホテル、ペンション、ゲストハウスなどの超過密状態になってしまった。パールヴァティ渓谷のマニカランではかつては牛舎の2階で共同生活をしていたのだが、たった15年で温泉ホテルの観光名所だ。かつては大麻道の野外道場だった町角や広場には、首飾りをいっぱいつけて愛想をふりまく「観光サドゥ」ばかり、野猿のように山岳を駆けめぐった奇怪なサドゥたちは何処へ消えたのか?
 
 [絶滅危惧種]
 還暦の旅の翌年、私は喘息を悪化させ酸素吸入器をつける身となり、海外旅行は不可能になった。そのためインドの大麻道のことは旅人の便りや土産話によるしかなくなった。そして予感した通り、大麻道の堕落に歯止めがかからないことを知った。チャラス売りのサドゥたちがケータイを持ったというのだ。ポリス対策のためケータイは有効であり、必要だろう。しかし「ケータイ・サドゥ」にどんな瞑想ができるというのだ。そして今やサドゥと言えば、プッシャーの別名となりつつあるとか。
 眠れる巨象に譬えられて来たインドは、90年代に入るやIT産業と自由市場というグローバリゼーションの大波に乗って経済成長し、頑固なカースト制度を根底から揺すぶり、それに支えられたヒンドゥ教を衰退させ、躍進する中華民国と並んで、21世紀に君臨する2大強国に成長するとか。結構なことだが、そのインドは欧米の価値観で大麻を非合法化し、霊性の教師であるサドゥを絶滅危惧種に追いつめているインドである。この調子ではいずれ大麻が解禁される頃には、大麻道を継承するサドゥが途絶えているかもしれない。しかしサドゥが開発した大麻道は、「ボン シャンカール」を唱える大麻吸いたちによって、既に世界中で受け継がれているのだ。まさに不滅の大麻道なのである。ラーマクリシュナは言った。
  「サマディ(三昧)に入ると、私はまるでガンジャを吸ったかのように酔っぱらった感じになるのだ」 


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