63. 聖地バラナシのせむし男(ビバ・フリークス第7話)

 娘たちの言うマンガチックな人たちの夢のようなワンダーランド、南インドを巡る約2ヶ月の旅を経て、聖地バラナシへ入ったのは4月半ば、乾期末の猛暑がうなぎ登りの毎日だった。
 バラナシはガンジス河の西岸に沿って、ガートと呼ばれる階段状の沐浴場が延々2キロも連なっている。私たちはメインガート近くの迷路のような狭い路地裏にあるロッジの4階に宿を定めた。そこからはガンジス河の大パノラマが一望でき、対岸の砂丘の彼方から昇る太陽が拝めた。
 日の出とともに娘たちを起こし、シャワーを浴びた後、3人で朝の礼拝で賑わうメインガートの光景を眺めながら、少し上流にあるラマグルの茶屋へ行くのが日課だった。
 茶屋といってもガートの中程に日除け小屋を設け、そこでオーナーのラマグルがチャイを立て、お客は石段の上に布が敷いてあるので、そこに腰掛け、大河の流れを眺めながらチャイを飲むのだ。
 ラマグルはスラリとした長身で、渋い風貌の中年バラモン。田舎に実家はあるが、シーズン中は妻と4人の娘たちも茶屋の周辺で寝泊りし、長女はそこから小学校へ通っていた。茶屋にはガンジャ好きのインド人と、ヨーロッパや日本などの旅人が集まり、密かにチロムやジョイントを回していた。
 インドは、89年から大麻を非合法化したため、人前で公然と吸えなくなったのだが、ラマグルは自分も好きなので、茶屋で自由に吸わせていた。多分地元のポリスを丸めこんでいたのだろう。勿論いつも警戒は怠らなかったが。
 チャイ用の水は目の前のガンジス河の水を汲んでいた。岸辺には沐浴や礼拝、ハタヨガをする人たちがいたが、一人離れてせむし男がいた。背丈は私と同じ5尺足らず、背中のコブは私より小さかった。30代半ばで、黒い肌を着古したルンギー(布)とスカーフで覆い、裸足だった。そこで私は「バラナシにはせむしのサドゥ(出家修行者)がいた」という、友人の話を思い出した。
 そのせむし男は私の存在に気づいたようだが、話しかけてくる気配はなかった。ところが茶屋を出て、食事に向かう途中で彼は近寄ってきて、チロムをちらつかせ「ガンジャ スモーク?」と誘った。
 せむし同士でチロムを交わすのも悪くないと思い、私は娘たちにラマグルの茶屋で待つように言って、彼に従い、ガートの陰の一角に腰を下ろした。彼は頭陀袋からチロムを取り出し、手際よくガンジャをつめて差し出した。キラキラ輝く眼と精悍な面構えをしていた。私はそれを受け、「ボム シャンカール!」と呪文を唱えると、彼がマッチで点火してくれた。
 何度かチロムを交換し、ガンジャを吸いきったところで、彼は頭陀袋から紙包みを取り出し、ガンジャを買ってくれと言う。一見サドゥのようだったが、神ではなく世俗を求めるプッシャー(売人)だったのだ。
 彼は「ラムジー」と名乗り、故郷におふくろがいて、彼が嫁をつれて帰るのを待っているのだという。世間の人々に、「せむしでも一人前だ」と認めさすためには、結婚するしかないということらしい。
 ラムジーのガンジャは2級品で、値段は相場よりだいぶ高かったが、せむしのよしみで言い値で買ってやった。しかし彼はニコリともしなかった。その顔は久しく笑顔を忘れてしまったかのようだった。
 ラムジーはラマグルの茶屋へは決して近寄らなかった。一度茶屋にいた私に近づいたところ、ラマグルに怒鳴られ、追い払われてしまった。カースト制度の最上位にあるバラモンからすれば、アウトカーストの不可蝕民で、おまけに前世の悪業が因縁で片輪になった不吉なせむし男など虫ケラ同然、聖地の茶屋へ出入りするなどもってのほかなのだ。ホームレス一家に近い出稼ぎ生活をしていても、前近代的聖地のバラモンは誇り高いのだ。
 その後もラムジーは私たちがラマグルの茶屋を出るのを待ち構えていて、娘たちにも挨拶するようになった。しかしバラナシの猛暑は私たちの限界に達したので、滞在10日目くらいでネパールへ発った。
 帰国後、上の娘からラムジーにプロポーズされたという話を聞いた。15歳といえばインドでは結婚適齢期。父親の目の届かないところで、娘たちはワンダーランドの男たちから好色な目で見られ、言い寄られ、体にさわられるなど、さんざん嫌な目にあったとのこと。
 それから5年後、97年春の4度目のインドの旅は、還暦の旅であり、予想通りこれが最後の旅になった。バラナシでは早速ラマグルの茶屋へ行って挨拶した。娘たちは美しく成長していた。
 一方ラムジーは驚くほど衰弱していた。かつての精悍さや無頼さはどこへやら、ひどく老化していた。杖をついて歩いていたが、一方の手には絵ハガキを持って、絵ハガキ売りをしていた。とはいえ売る物など持たず、絵ハガキを口実にバクシーシーを求める「タカリ」をやっていたのだ。
 今度は私から誘って、ガートの片隅でガンジャを交した。呼吸器が弱化した私はもうチロムは使わず、パイプで吸った。ラムジーも以前のような勢いはなく、何度も咳き込んだ。気がつくと全身が小刻みに痙攣していた。何らかの重病を患っていることは明らかだったが、金がなくて医者にもかかっていないようだった。
 刻々と死期が迫りつつある40男の最大の悩みが、「オレはまだ結婚していない」ということだと聞いて、哀れでもあり、滑稽でもあった。
 故郷へ嫁をつれ帰っておふくろを喜ばせ、世間の人々に自分が一人前であることを証明したいというラムジーの夢と希望は、身障者と不可蝕民という二重の差別に耐えるための支えになってきた。
 その夢と希望ゆえに、聖地バラナシを狩り場と定め、観光客にガンジャを売り、カースト的偏見と差別のない外国女性にプロポーズしてきたが、ついに金も女も得ることなく、健康を害し、虚無と絶望がリアルなものになってきた。
 私は持っているだけのガンジャを与え、少しまとまった金をバクシーシーして、叶うはずのないラムジーの夢と希望を励ました。私は彼の夢と希望を形成している「故郷」「おふくろ」「世間」「一人前」などという観念が、マーヤー(幻想)にすぎないことに、彼自身が間もなく目覚めるはずだと思った。
 ひょっとするとそれは、聖なるガンジス河の畔で息を引きとる間際かも知れない。だがほんの束の間にせよ、長年抱いてきた夢と希望が、虚無と絶望に転じた時、幻想の霧が晴れて、ラムジーはどんなサドゥやバラモンよりも、真理の高みに達するだろう。その時背中のコブは、障害ではなく特典として、至高の歓喜をもたらすだろう。


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