61. 先立った者たちへのボム・シャンカール

 このところバタバタと5人の仲間が、この世に別れを告げて、あの世へ旅立った。追悼の気持をこめて、冥土の旅の幸あれと祈る。
 
 10月29日、岐阜県八百津のカニカン(可児寛)が膵臓ガンにて死去、58歳。祭やイベントで「なんや」の看板を出して、沖縄そばなどを食わせていたテキ屋風のオッサン・フリーク。高校生の時、信州の雷赤鴉族を訪れること2回。2度目は同級生と先生まで連れてきた。あの時一服吸わせた。
 
 11月21日、屋久島の日吉真夫は胃ガンにて死去、70歳。『アナナイ通信2号』を見て、「ぼくは大麻を卒業したわけではなく、ブツが手に入らなくなっただけだよ」と返答。そして胃ガンの末期にて、余命2ヶ月と聞いた。
 その後、更に電話にて、彼が編集、発行する雑誌『生命の島』の最終号に、イラストを頼まれ、大急ぎで「屋久島から飛び立つ白い鳥」の絵を描いて送ったが、タッチの差で間に会わず、日吉の魂は飛び立ったあとだった。
 
 12月21日、上北沢の喫茶「ぐ」のヨースケ(長内洋)が死去。やっぱりガンかな、歳は60くらいか。彼とはヤマハボイコット運動のころからの知り合いだった。下北沢には大麻堂があり、「ぐ」ではカンナビストの月例会も催されていた。
 
 12月22日、『人間家族』の編集長大築準が、肺ガンのため死去、59歳。『人間家族』は創始者の荒川晃一さんの追悼文を依頼された以外は、私とは無縁なメディアだった。「反原発と先住民」という2つの運動の情報誌として、大麻問題は敬遠されて当然だったのか。
 
 12月23日朝、ナナオサカキは信州大鹿村の家の前で、小便するつもりがコロリと転がり、ボブとミドリが行ってみると、ナナオの魂は影もなく、静かに、あの世に旅立っていた、85歳。病気とも、医者やクスリとも無縁で、きのう今日のことは忘れても、昔の記憶は鮮明で、タバコも酒も止めることなく、無ければ無くても良し、大麻は特に好きではなかったが、人から勧められると、「警察はまだ取締っているのか、では吸おう!」といって吸った。
 先覚者、ナナオがぶっ壊した窓から、私たちは続々と跳び出したのだ。いま、耳をすませば聞こえてくる。
 「いずれあの世で道のため、共に力を合わせよう!」
                                 (12.24) 


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