45. 「フリーチベット」は非暴力平和運動の合言葉

 ヒマラヤの秘境で結晶した仏国土チベットを1959年、毛沢東の中国が破壊し、チベット自治区として併合してしまった。この動乱によってインドに亡命した活仏ダライラマは、ダラムサラに亡命政府を置き、多くのチベット難民が心にホトケを宿して世界に散った。
 60年代、世界は初めてヒマラヤの奥地から現れた素朴で温厚な民族と出会い、チベット密教というサイケデリックな仏教の存在を知った。男女交合のヤブユム(観喜仏)というマンダラに目を見張り、11世紀の詩人ミラレパの詩を読んだ。カウンター・カルチュア運動はチベット密教に「生きている仏教」を発見し、大きな影響を受けた。教典『チベット死者の書』をティモシー・レアリィはLSDのガイドブックに用いた。日本でもおおえまさのりの翻訳で75年に講談社から出版されている。
 インドの旅で私はブッダガヤやデリーなどでチベット人と出会い、マナリではチベット人のディラー(チャラスの仲買人)の家に半月ばかり居候したことがある。絶品パールヴァティの収穫期のことだった。
 彼が母親に手を引かれてダライラマ一行とチベットを脱出して来てから20余年、彼には亡命時の彼自身と同じ年頃の息子がいた。息子は成人してから日本女性と結婚し、一児をもうけ、いま日本に出稼ぎに来ている。その息子も今春は日本の小学校へ入学だ。亡命親子三代、縁浅からぬ仲である。
 天安門事件のあった89年、チベット自治区ラサでは独立要求のチベット人デモがあり、中国政府は戒厳令を敷いて武力鎮圧した。当時、自治区のトップとして指揮をとったのが今の胡錦涛国家主席だった。これに対して非暴力を掲げて国際社会に訴えたダライラマには、ノーベル平和賞が授与された。
 かくて90年代のカウンター・カルチュア系のイベントでは「フリーチベット」をメイン・コンセプトとして、レイヴやライヴが開催された。そして「フリーチベット」はインター・ナショナルな非暴力平和運動の合言葉となっていった。
 チベット動乱から49周年にあたる本年3月10日、チベット自治区ラサで僧侶数百人が信教の自由を求めるデモ行進を計画中、公安当局の摘発を受け、50人以上が拘束された。このことに反発が広がり、14日の騒乱に発展し、抗議行動の主役は僧侶から市民に変った。チベット亡命政府によると、この騒乱で約140人のチベット人が殺害されたとか。
 その後29日に再びラサで数千人規模のデモがあったほか、周辺の省でもチベット人地域に騒乱が広がり、中国軍に武力鎮圧された。中国政府は騒乱はダライラマ側の策動によるものとしているが、情報統制をしているので真実は伝わって来ない。
 3月29日、ダライラマはニューデリーで記者会見して、僧侶が暴動を仕掛けたという中国側の主張を念頭に、「数百人の中国人兵士が僧侶の格好をしていたと聞いた」と発言し、「兵士は僧侶の格好をしていたがチベットの刀ではなく、中国の刀を持っていた」と根拠を説明した。また中国側は相当数のチベット人が自首して出たと発表しているが、事実は大がかりな予防検束があったようだ。
 急激に大国化した中国では、北京五輪が近づくにつれてますます人権状況が悪化しているとか。チベット自治区では拘禁中の人々への過酷な拷問が恒常化しているが、これはイスラム教徒のウイグル地域を含め、中国全土で起こっていることの縮図だという。中国国内では人権活動家たちが司法手続きなしで拘禁され、拷問され、国家転覆罪などを「自白」することを強要されている。国家転覆罪は死刑である。
 こうした中国の蛮行に対して、国際社会は聖火リレーに対する抗議デモで答えている。アテネに始まってロンドン、パリと聖火リレーを阻止するため、ヨーロッパ在住のチベット人を中心に多数の市民が激しいデモを行っている。サンフランシスコではついに隠密リレーとなり、平和の祭典の本意が問われるまでになった。
 4月10日、ダライラマはインドからアメリカへ向かう途中、成田空港に立寄り、記者会見を行った。今回の騒乱はチベット人の「心の中の憤りが表れたものだ」と理解を示し「しかし暴力は絶対いけない」と、聖火リレーへの妨害を禁めた。また中国政府から「分離独立派」と見られたことに対して「独立は求めない。しかし我々は中国の中で、仏教、文化、教育、環境に関しては自治を持ちたい」と反論した。犠牲者の規模は「数百人が死亡し、数千人が投獄された」としている。
 テレビ会見では最後に「中国政府は私のことを悪魔だと呼んでいるのだ、ウァッハッハ……」と爽快に笑って、指で角を作って悪魔のふりをして見せた。一方に観世音菩薩として敬愛する民族があり、他方に悪魔として憎悪する民族があるという、この世の仕組みの絶妙さを笑う覚者の笑い声は、しだいに爽快さのレベルを超えて鬼気迫るものがあった。
 刻々と盛り上がってゆく聖火リレーの抗議運動に促されて、各国政府もチベットの人権問題を静観できず、五輪開会式への政府首脳の参加を検討するなど、中国に向ける視線は厳しさを増している。そんな中で福田首相は「双方が受け入れられる形で、関係者の対話が行われることを歓迎する」だと。
 12日、米国はヒラリー、オバマ、そしてマケインまでが開会式への不参加を要望したのに、ブッシュは参加を表明し、福田をホッとさせた。実は5月の胡錦涛来日を控えてビビっていたのだ。日本政府は今や米国のみならず、中国に対しても何も言えない状態なのだ。しかし市民運動は黙っちゃいない。日本の聖火リレーは4月26日、長野市だ。「フリーチベット!」健斗を祈る!

                                    (4.12)
 


| HP表紙 | 麻声民語目次 |