36. 奄美で何が起きているのか?

 私にとって第2の故郷である奄美を去って、20年の歳月が流れた。私の娘たちが生まれ育った宇検村久志の無我利道場も、右翼暴力団の襲撃などあって、89年にコミューンを解体。家族単位で住んでいた仲間たちも現在は誰もいない。
 私たちがコミューンの生活と存在を賭けて闘った「枝手久島石油基地計画」は、内外の奄美人を総決起させた10年にも及ぶ反対運動によって、80年代初めに東亜燃料kkを撤退させたが、敵は去り際に宇検村に対して、3億円を「迷惑料」として支払った。あたかも「また来ます!」と言わんばかりに。
 一方、76年に浮上した「MAT計画」=徳之島核燃料再処理工場計画。徳之島本命と言われながら84年春、対抗馬の六ヶ所村に用地が決定、徳之島はダミーだったと言われた。しかしMAT計画のために調査された膨大な資料(住民の思想調査まである)を、奴らがムダにするとは思えなかった。枝手久島にも、徳之島にも、そのうち何かが起こるのではないかと危惧してきたのである。
 案の定、昨年6月、宇検村では元山三郎前村長の要請によって、高レベル放射性廃棄物の最終処分場の説明会が開催された。これに対して反核派の国場和範氏を新村長に選んだ宇検村は、本年6月議会で「放射性廃棄物等の持込拒否に関する条例」を制定し、まんまと一本取った。なお隣の大和町には使途不明の巨大ダムが造成されているとか。
 これに対して徳之島の方はただ事ではない。奄振(奄美群島振興開発基金)の予算の大半をぶち込み、大手ゼネコンを小躍りさせて、最内陸部の三京地区に2個の巨大ダムが造成され(ダムに沈む森林面積100ha)港からは幹線道路工事が急ピッチで進んでいるとか。
 公共事業の名目で行われているこの巨大開発の正体がいったい何ものなのかを、マスコミは決して明かさないが、それが核関連施設であることは民衆レベルでは衆知の事実だ。なぜならそれがMAT計画の青写真通りに進行しているからだ。果して核再処理工場なのか、それとも高レベル核廃棄物の最終処分場なのか、いずれにせよプルトニウムの爆発を防ぐために、大量の冷却水が必要なのだ。
 今のところ正体不明の公共事業に反対する理由はなく、それが核関連工事だという証拠も見出せず、反対運動が起きないうちに核施設が完成してしまうかも知れない。しかし奄美は沈黙のまま核の犠牲になってしまうのだろうか。かつて石油企業を追っ払ったように、反核の炎は燃え上がらないものか?
 かつて薩摩藩の植民地として、黒糖収奪の地獄を味わった奄美が、枝手久斗争で見せた全群一丸となっての抵抗は、鹿児島人には脅威だったに違いない。本年11月14日、鹿児島県では「テロ防止県民会議」を結成した。まだ形もない奄美の核施設をテロリストから守るためである。
 現在、奄美大島では海上自衛隊がテロ防止策として、古仁屋港を中心に動き回り、住用町の公園では相当数の陸上自衛隊員が野営訓練を行っている。しかしマスコミはテロ防止の名目のため一切報道をしていない。
 枝手久斗争では反対運動の中心になった宇検村平田は、戸数百戸程度の集落だが、ここで11月16〜19日「ゆいまある 琉球の自治」というシンポジウムが開催された。なぜ平田のような辺境の寒村で、「琉球の自治」などという大きなテーマを語り合うのか?
 平田には3日間、パネリストの東海大助教授・松島泰勝氏(石垣島出身)をはじめ、警察官など沢山の客人が訪れ、思想調査までしてゆくだろう。ここでもまたテロ対策である。「平田のトランペッター」である友人新元博文氏の曰く。
 「枝手久斗争は警察との戦いが主であった。これからは防衛省との戦いとなり、先ずは心理作戦が先行するだろう。テロ対策といえばイスラム教徒のことを国民は思う。でも国内の反体制派へのにらみが主となるであろう」

 善かれ悪しかれ沖縄の問題は陽が当たり、ライトアップされる。しかし奄美はいつも日陰だ。「琉球と薩摩の差別の谷間」などと言われる奄美は、今や極秘裡に進む徳之島の核施設の大工事によって、存亡の危機に追いつめられているのに、住民以外の誰もこの事実を知らない。マスメディアは一言もこれを報じたことはなく、インターネットでもまだほとんど伝えていない。
 一方で奄美のテロ対策は、「核など要らない」と叫ぶ島人にテロリストのレッテルを貼り、自衛隊は「奄美のアルカイダ」たちを標的に秘密訓練を行っているのだろう。工事も訓練も何もかも奄美では秘かに進行しているのだ。
 幸い私には奄美に沢山の仲間がいる。これからはこの欄で奄美の近況を報告しよう。
                                 (11.24)


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