23. 「昭和の日」って何だ?
今年から4月29日の祝日「みどりの日」は「昭和の日」と名称を変更して、5月4日に制定された。昭和時代の「天皇誕生日」が「みどりの日」に改名されたのは、平成2年(1990)の皇位継承によるものだが、その後も神社本庁などの右翼団体が、昭和天皇裕仁(ひろひと)の神格化と新たな国民統合をめざして「昭和の日」の制定を策動してきたのである。
 かくてゴールデン・ウィーク後半は、3日が9条改憲をめざす「憲法記念日」、4日が昭和天皇の神格化をめざす「昭和の日」、5日が愛国心教育をめざす「子供の日」というファシズム反動ウィークとなる。
 小泉政権より更に軍国色を強めた安倍政権の「戦後レジームからの脱却」とは、戦後民主主義の圧殺と戦前の大日本帝国の復活いう、アナクロニズム(時代錯誤)の愚かな妄想である。このような属国の妄想にマインドコントロールされて、再び過ちを犯さないように「昭和」を知らない世代にひとこと言っておきたい 。
 明治維新による大日本帝国の建国いらい、欧米列強に競ってひたすら富国強兵路線を進め、日清、日露の戦争に勝ち、韓国を「併合」し、「大東亜共栄圏」というアジアの覇権をめざしたわが国は、昭和に入るや軍国色を一段と強め、侵略の歩を進めていった。昭和6年(1931)の満州事変をきっかけに、私の生まれた昭和12年には南京事件(一説には虐殺20万人)、そして昭和16年12月8日天皇の宣戦布告による真珠湾急襲となり、太平洋戦争の開戦となるのだ。
 明治憲法の定めるところにより、天皇は陸海空三軍の最高指揮権である統帥権(とうすいけん)をもち、戦争は開戦も終戦も天皇の大権によってのみ決められた。天皇は絶対者であり、人間の形をした神(現人神=あらひとがみ)であり、従って日本は「神の国」であるというマインド・コントロールが文部省によって なされた。
 資源小国日本が巨大工業国アメリカなど連合国を相手に、3年8ヶ月も戦争したこと自体が驚きだが、日本軍が調子づいたのは開戦後数ヶ月だけのこと、後はやられっ放しにやられていたのだ。しかし国民はNHKラジオをはじめマスコミ総動員の情報操作によって、日本の勝利を疑うことができず、「現人神と神国日本」という共同幻想に酔い痴れていた。
 戦争末期には鉄砲の弾も欠乏したため、寺の鐘や各家庭の鍋や釜など金属製品はすべて供出した。食糧不足は深刻を極め、外地へ派遣される兵隊の食料は現地調達となり、日本兵は現地人から食料を強奪し、ついには人肉まで食らい、大半は戦闘ではなく餓死で死んだという。この戦争で中国大陸、東南アジア、南太平 洋諸島などの死者2000万から3000万人といわれている。(日本側は300万人)
 戦場では日本男児を放火魔や強姦魔、そして殺人鬼に変身させた「現人神と神国日本」という共同幻想は、内地においもその狂気をいかんなく発揮した。敗戦2ヶ月前の昭和20年6月「最高戦争指導会議」において、「聖戦継続本土徹底抗戦」の方針が固められ、「15歳以上60歳までの男子、17歳以上40歳までの女子の全てに、義勇兵役を課した」とある。これは「御前会議」で追認されたとあるから天皇も承知の上だ。要するに、最終的にアメリカ兵が本土に上陸してきた場合には、女子供老人すべてが竹槍で刺し違えて玉砕する方針が決定されたのだ。このような恐ろしい妄想と狂気が、国家の最高指導会議で決まり、 国民はそれに従って竹槍で軍事訓練をしたのだ。アメリカ兵も竹槍を持って上陸してくるとでも思っていたのだろうか。客観的にはとっくに勝負のついている戦争だった。賢明な指導者がいれば一日も早く降伏して被害を少なくて済ますのだが、天皇裕仁は降伏したら自分がどのように処罰されるかを恐れてズルズルと敗戦を引きの ばし、3月の東京大空襲や5月の沖縄戦を経て、7月26日連合国側から降伏を勧告するポツダム宣言が発表されたが、日本はこれを無視した。そのため8月6日広島、9日長崎の原爆投下となり、ついに14日に受諾、15日に正午の玉音放送で全国民に敗戦が知らされた。私が小学校2年生の時である。
 敗戦後の東京裁判では多くの戦勝国が「超A級戦犯」天皇裕仁を裁判にかけることを要求したが、アメリカ占領軍のマッカーサー将軍は断固として天皇を護った。彼は日本国民を支配統治するためには、天皇という「玉」を利用するのが最も有効であることを知っていたからだ。しかし同時に、日本人の妄想と狂気に対する警戒心もあった。天皇がいる限り、外圧が 強まれば必然的に神格化が行われ、再び「日本は天皇を中心とした神の国」という妄想がはびこり、軍国主義ファシズムと結びついて狂気の「自爆戦争」を始めるだろう。そこで天皇を残す替わりに一切の武器を取り上げ、戦争のできない国にしたのである。かくして民主主義を謳う憲法なのに第一条で「象微天皇」を定め、第9条で「非武装不戦」を誓うという普通の国(独立国)ではありえない矛盾に満ちた国になった。従って憲法第1条と第9条はワンセットであり、一方を改正すれば他方も改正しなければバランスが狂うのである。もし第9条を改正して交戦権を持つのなら、第1条の象微天皇は廃棄すべきなのである。もっともこれは帝国側の論理であって、属国では1条も9条も帝国の御都合しだいだが。
 早い話が憲法制定から4年後の昭和25年(1950)朝鮮戦争が始まるや、アメリカはソ連や中国など共産勢力に対する防波堤として日本に警察予備隊を設置させ、4年後にはこれが自衛隊となった。またA級戦犯として巣鴨プリズンに服役中の岸信介を無罪放免して総理大臣に仕立て、昭和35年(1960)には日米安保条約を諦結させるという芸当をやってのけた。「アンポ反対 キシを倒せ!」のシュプレヒコールは全国津々浦々に鳴りひびいたが、アメリカの軍事属国化を免れることはできなかった。このA級戦犯にして最大の売国奴こそ安倍総理が尊敬する祖父なのだから、安倍内閣の改憲が意味するところも想像がつくだろう。
 かくてアメリカの核傘下で、平和憲法に反して自衛隊は膨張する一方、平和主義者を装う天皇裕仁は戦争責任を、東条など一部軍人になすりつけ知らぬ顔で済ました。昭和50年(1975)の記者会見で、天皇裕仁は「天皇の戦争責任」について次のように答えて人々を唖然とさせた。
 「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究していないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」
 このような「落ちた偶像」でしかない昭和天皇裕仁を再び神格化し、大日本帝国という「破滅したシステム」を再現しようというのが「昭和の日」の意図するところである。
 日本が「神の国」なら、韓国も北朝鮮も中国やアメリカも神の国である。日本が決して特別な国ではないように、我々日本人も特別な民族でも人種でもない。「大和魂」と言っても、日本人の魂が霊的に優れているわけではない。むしろ「鎖国的自閉症」や「世界一コンプレックス」などの精神病理が進行し、日本人の 魂は暗雲に覆われているといえよう。
 ところで「戦後レジームからの脱却」というなら、戦後の「大麻汚染」から戦前の「神宮大麻」への180度の価値転換は可能なのか。どちらにせよ大麻の本質とは無縁だが。
                                (07,5,4)


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