20. 詩 国立国語研究所の怪

 怪し気な運転手と出会ってから1ヶ月近くを経て、今度は怪し気な郵便物が舞いこみ、ウルトラ管理社会なるものをヒシヒシと実感している。
 郵便物の差出人は、文部科学省所管の独立行政法人「国立国語研究所」とある。全20ページ、オールカラーの豪華パンフによれば、日本語の科学研究のために昭和23年に設立され、平成18年度から第2期中期計画期間に入り、書き言葉1億語のデータベースを開発し、研究者、教育関係者のみならず一般人にも利用できるよう公開予定とのこと。
 そこでデータベースのサンプルとして採録する文章を、1976年から2005年の間に刊行された出版物から、統計学的な方法で無作為に抽出した結果、山田塊也著『トワイライト・フリークス』(2001年、ビレッジプレス刊行)の236〜242ページの文章を採録したいので、許諾書に記名、捺印してほしいとのこと。なお著作権使用料については無償とするとあった。
 掃いて捨てるほど大量の出版物が出回り、何10万部などというベストセラーが生産されている現今、『トワイライト・フリークス』などという発行1500部程度の僅少出版物に、国家機関が目をつけるとは驚きである。
 前作『アイ・アム・ヒッピー』(1990年、第三書館刊行)が、新聞、雑誌、テレビなどで評価されたのと比べ、季刊誌『雲遊天下』に4年間に渡って連載されたエッセイを単行本にまとめた『トワイライト・フリークス』は、マスメディアから全く問題にされなかった。おまけに指摘されたページは、単行本にする際に「補遺」として書き下ろした章「どこ吹く風の神 山口健二追悼」の中の「エピローグ 死と遺言」という節である。
 1999年に病死した山口健二(73)は左翼系アナキストであり、有名無名の対抗文化人たちが登場する『トワイライト・フリークス』の中では、唯一の例外的存在である。彼とは奄美の住民運動の頃からのつき合いだが、半ば非公然活動をしていた人物なので、彼を公然と紹介したのはこの追悼文が最初にして最後である。
 この追悼文は山口健二が意識不明の死の床で、「ヤマダカイヤハシンダ、ツギハオレノバンダ」と口走ったという謎の遺言を、私なりの推理と想像力によって解釈し、謎の革命家の正体を探ったものである。そしてエピローグの最後を詩の形で締めくくった。

  自己を自己たらしめている
  内的 外的な必然性に対する
  根源的な異議申し立て
  すべてに叛逆し 何ごとも是認しない
  嗤うでもなく 哭くでもなく
  一瞬のうちに 永遠を呑みこんで
  そやっ どこ吹く風の神

 と、まぁ、こんな調子だ。それは当て推量であり、妄想であり、決めつけであり、半分ジョークでもある。従って国立国語研究所のデータベースに半永久的に記録されるほどの代物ではない。そこで私は以上のような理由を述べて、採録を断ったのである。しかし私は決して国立国語研究所の存在を拒否しているわけではない。私だって自分の文章が国家プロジェクトのデータベースに選ばれる名誉に浴したい。そこで当該作品の144〜147ページの文章なら、私の主義、主張なので採録されたいと申し出た。「麻は世界を救う」というタイトルの節だ。
 それにしても国立国語研究所が『トワイライト・フリークス』の中から、山口健二への追悼文を選んだのは、統計学的な方法で無作為に抽出したというのは本当だろうか。これでは国語研究というより思想研究ではないのか。そこでピンと来たのが「バクトリには時効がない」という通説である。天下の悪法バクトリ(爆発物取締罰則)で有罪になった者は、生涯に渡って警察権力からマークされるというのだ。
 バクトリ制定百周年の1984年、私は指名手配中の爆弾犯人を奄美のコミューンに匿ったことがバレて(パクられた本人が自供した)バクトリ9条(犯人の隠避、蔵匿)違反によって懲役1年、執行猶予3年の有罪判決を受けた。この事件で山口健二も同罪になり、2人とも「バクトリ印」が刻印されたのだ。
 国立国語研究所のデータベースに、著作の一部が採録されること自体はさほど警戒することではないだろう。金にはならないが名誉にはなるのだから。私が戦慄を覚えるのは、膨大な出版物の中からバクトリ印の著者による僅少出版物を選び出し、その中の数ページに白羽の矢を立てるという顔のない監視人たちが、ウルトラ管理社会を牛耳っているという現実が透けて見えるからである。
 私が「何を思い、何を書くか」は、今も監視されているのだ。(07.2)


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