15. 『通信2号』のイントロダクション(ビバ・フリークス第1話 )

  このところ『アナナイ通信2号』の原稿を執筆していたため、「麻声民語」の方がすっかり御無沙汰になりました。そこで予告を兼ねて『2号』のテーマエッセイ「古き良きインドの大麻文化」の冒頭部分を紹介したいと思います。題して「乞食のおつり」
 『2号』は今から編集にかかる状態なので、発行までにはまだかなりの期間が必要です。大麻に関する詩、エッセイ、評論、情報などの原稿があればお寄せ下さい。1月末をメドに募集します。送り先は、
 〒390−0222 松本市入山辺4649 窪田方「アナナイ通信編集部」

 「乞食のおつり」
 現今、文明社会ではめったにお目にかからないが、インドではどこへ行ってもお目にかかるのが乞食である。その乞食たるや、戦争や破産や失業などによって生じた「にわか乞食」ではない。それこそ仏陀の時代をはるかに遡る有史以来、カースト制度から排除され(アウト・カースト)、アンタッチャブル(不可触賎民)と呼ばれてきた先祖代々の乞食なのだ。
 あれは初めてのインドを旅して半月足らず、南インドの田舎駅で汽車を待っていた時のことだ。待合室には何人かの客がいたが、私と連れの女はプラットホームのベンチにいた。数名の乞食が「バクシーシー(喜捨)!」と手を差し出してきたが、頑として無視した。もし1人に恵んだら、全員が寄ってたかって来ることを苦い経験によって学んだのだ。
 汽車は予定よりかなり遅れ、夕方になるのにいつ来るか分からなかった。いい加減退屈した私が立ち上がった時、松葉杖の音がして待合室からプラットホームへ、両膝までしか脚のない男がやってきた。彼は自分のテリトリーをチェックするかのようにプラットホームを見回していた。
 「こいつは危ない!」と私は直観し、彼に背を向けて無視することにした。しかし松葉杖の音が近づいてくるので様子を探ったところ、間一髪で目が合ってしまった。とたんに彼は「ヤアー!」と歓声を上げ、昔馴染みに再会したような笑顔を見せて、まるで跳ぶような調子で近づいて来たのである。
 「もはやこれまで」と腹を決めた私は、ポケットを探ってみたところコインが一個もなく、1ルピー札しかなかった。彼女に聞いたが無いという。当時バクシーシーの相場は10パイサだったから、10人分のバクシーシーである。
 私の前に立った松葉杖の男は、膝までしか脚がないのに、背丈は私と同じくらいあった。堂々たる体格の中年のフリークだった。カースト制度によって、乞食は乞食以外の身分にはなれないため、乞食の親は子供の将来のために、赤ん坊のうちに腕や脚の一部を切断して、障害を売り物にさせるとか。この男の両脚もそのように処分されたのだろう。しかし男の潤んだ目に悲惨の陰はなく、明るい微笑のもとに「バクシーシー!」と右手が出された。
 「ノースモール マネー!」と、私は無愛想に答えた。すると彼はにんまり笑って「アイ ハブ スモールマネー」といった。からかわれていると思った私は、ポケットから1ルピー札を出して「これしかないが、1ルピーはやれない」と断った。「アッチャー!」と頷くと、彼は頭陀袋から片手いっぱいのコインを取り出して路上に拡げ「スモール マネー(おつり)だ」と言い、好きなだけ取ってくれ!」と言った。
 まさか乞食からおつりを貰うことなど考えてもいなかったので少々戸惑ったが、1ルピー札を見せた以上引っこめるわけにもいかず、仕方がないので札を手渡した上で、半分だけでもおつりを貰おうと、しゃがみ込んでコインを調べた。色んなコインがあったが50パイサなどという大金はなかった。そこで10パイサコインを5個選んで仰ぎ見ると、松葉杖の大将は泰然として私を見おろし、「遠慮するな、もっと取れ!」といって笑った。
 では、もう2、30パイサでもと色んなコインを調べていて、ふと気づくとプラットホームにいる乞食たち全員が私の方を見ているのだった。いかにも私は松葉杖の大将の前にしゃがみこんで、コインを拾うせむしの小男であり、そこでは完全に主客顛倒していた。乞食からおつりを貰うというケチな根性を見抜かれて、こちらが乞食にされてしまったのだ。「一本取られた」と思った。
 そこで私は路上に拡げられたコインを全部拾い集め、おつり用に選んだ50パイサ分も加えて、そっくり彼に返したのである。一瞬怪訝な顔をした大将は、やがてにんまりと笑い、苦笑している私に「ジャイ ラーム!」とか何とか祝福を垂れると、くるりと向きを変えて「コットン コットン……」と遠ざかって行った。その後ろ姿を見ながら、一瞬私の内を戦慄が走った。
 ヒンズー教によれば、最高神シヴァがこの世に顕現する時は、乞食の姿でやってくるとか。であれば、彼の大きな目が潤んでいたのは、生きとし生けるものへの慈悲の涙なのか、それともガンジャ吸いの涙目なのか。
 今から30数年前、乞食の心にもゆとりがあったのか、「古き良きインド」などと言われる時代の忘れえぬ思い出である。

イラスト:ポン


| HP表紙 | 麻声民語目次 |