11. 『アナナイ通信』の発行と刑法改正

 拘置所と異なって、刑務所の囚人は身元引受人以外とは手紙などの交信ができなかった。その代わり身元引受人なら雑誌や小冊子などの差し入れも可能という規則があり、それに則って支援者の声を集めて小冊子を作り、身元引受人を通して差し入れるという方法が、救援運動の歴史の中で研究されてきた。
 昨夏、京都刑務所に収監された桂川直文君との交信を目的とする『アナナイ通信』は、予定より半年も遅れて5月に創刊号を発行、身元引受人であり、桂川印刷の社長である親父さんが、自らの手で印刷した記念碑的小冊子を差し入れたのである。ところがそれが届いた頃、獄中の息子から父親に来た手紙には、刑法改正により5月24日より、身元引受人以外の一般の支援者でも文通が可能になるとあった。
 何のこたぁない。まるで必死の脱獄に成功した日が、刑期満了で釈放される日だったような皮肉な偶然の一致である。なぜなら、私が『アナナイ通信・創刊号』を、数百人のネットワークに発送したのが、計らずも5月24日だったのだから。
 かくて5.24以降、全国の刑務所で友人知人からの手紙を受取った囚人たちと、『アナナイ通信』の読者たちという何の関係も無さそうな2つのブロックの人々が、「文章を読んで乗る」というシンクロニシティを現象したのである。このシンクロは獄中とシャバという異次元世界に橋を架け、両界の集団的無意識を活性化してきたトリックスター桂川君によって準備されたものであり、ついでに言えば『アナナイ通信』の発行が、長年とざされてきた刑務所の窓口を開放したという逆説も成り立つのだ。
 大麻問題が大麻吸いだけの問題に限られていては、趣味嗜好のレベルを超えることはできず、その集団にカリスマ的人物がいれば容易にカルト化し、エリート意識と排除の論理をふりかざすだろう。しかし大麻問題は非合法下における人権問題であり、植物資源としてのエコロジィ問題であり、オーガニックな医療問題でもある。それらを追求することは世界というシステムそのものがウソとペテンで成立していることを悟ることでもある。
 そこで大麻を吸わなくても、例えば原発問題とか、天皇制問題などを通して、ウソとペテンを悟った人々との共感と連帯が成り立つのだ。そのような種々雑多な無名の人々とのつながりなくして大麻解放はありえないのだ。
 私が『アナナイ通信』を送った数百人のネットワークは、古くは60年代ヒッピーの頃から、70年代後半奄美のコミューンから出した『無我利通信』、80年代末から飛騨に独居した『ヒダマ通信』などの読者をベースにしている。大麻についてはオールドヒッピーの大半が「卒業」したように、「あれば吸う」とか、「パーティで勧められれば断らない」程度のユーザーとなり、「昔は吸ったが2度とやる気はない」とか、大麻アレルギーの人もいる。現に私を支えてくれている娘にしても、15歳の時インドで試して以来目もくれない。ナチュラル・ハイに大麻は要らないようだ。
 そんなわけで私のネットワークには大麻を吸わない人の方が、吸う人より断然多いようだ。しかし大麻を吸おうと吸うまいと、非画一的で多種多様なキャラクターは、どれもこれも日本社会では異端であり、マイノリティだが、それ故にその混沌たる集団的無意識は強力なパワーを秘めている。
 ところで『アナナイ通信・創刊号』は、まだ桂川君に届いていないようだ。5月26日寄居から羽生へ引越した私は、最初の手紙を桂川君に送ったところ、6月10日に返事が届いた。元気な様子が書かれていたが『アナナイ通信』については一言も記述がなかった。検閲に手間取っているのだろう。まさかスミヌリは無いだろうが刑法改正の規制緩和がどの程度のものか、しっかり見守らねばならない。
(6.11)


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