10. 喘息の救命治療

  大麻が喘息の漢方薬とされたのは、大麻の弛緩作用が喉(気管)を拡張し、呼吸を楽にするからだ。喉に痰が詰まると、大麻は咳で痰を切る。しかし痰が増加すると大麻の効力にも限界がある。
 痰の切れが悪くなり、日一日と息苦しさが募り(痰は気管だけでなく肺全体に発生しているのだ)限界を感じた私は、宵の口だったが娘を呼んで車で市立病院へ駆けつけた。初対面の宿直医は採血した私の黒っぽく酸欠した血を見て、即座に入院を決めた。
 肺の疾患というよりも、歪んだ体格に圧迫されてきた肺臓がポンコツ化することによって呼吸不全をきたし、コンピュター仕掛けの酸素吸入器を使う身になって8年目。最近はメカニズムにも慣れ、体調は安定していたので4年ぶりの入院である。
 私が車椅子に乗せられ、ナースにつれられてレントゲン室へ行った後、狭苦しい相部屋の片隅のベッドに横たわり点滴を受けている間、娘は当直医から「この数値では今夜が峠かもしれない。いざとなったら喉元に穴を開けて延命治療をするのか、そのまま死なすのか、この場で決めてほしい」と決断を迫られたとか。娘が「この程度では死なないから心配ありません」と言っても、数値オンリーの当直医は「だいたいこの数値で患者が平静でいられるのが信じられない」とのこと。
 いざ入院となって、この病院にはヘッドギヤー式マスクが無いことが分かった。鼻孔に酸素の噴出するビニール管の先端を差し込むだけの吸入器では、炭酸ガスの排出には何の効力もないが、マスクで鼻と口を覆うと炭酸ガスを排出する分酸素の吸入も多い。私はこの道具を岐阜大学病院に入院した際、実験第1号に使ったものをそのまま貰い受けたのだが、これは個人的にはめったに手に入らない新兵器なのだ。そこで娘はむずかる赤ん坊をあやしながら、わが家の道具を取りに往復60キロの道をとばしたのである。(酸素吸入器は健康保険と重度医療保護の福祉により無料リース)
 翌朝、主治医の診断によれば、痰の原因はウイルス性の風邪であり、抗生物質による撃退が宣言された。そこで私の最も信頼する主治医に、昨夜娘が当直医から決断を迫られた喉に穴を穿つ件について尋ねたところ、「無知な医者がいて申し訳ありません。山田さんは未だそんなことを心配する段階ではありません」と謝られた。そこで延命治療について尋ねたところ、次のようなことが分かった。
1.喉元に穴を開けた場合、呼吸器系と食道器系は分離させる。
2.鼻は呼吸作用と臭覚を失う。
3.口は摂食と発声が可能である。
4.発声の場合は喉元の空気弁を塞いで、吐気を口腔に送る。
 延命治療が意思表示もできない寝たきりの植物人間になることならお断りだが、意識が明晰で話すことができる以上、延命治療を拒否する理由はない。喉元に穴を開けた状態で、4年間も当病院へ通っている外来患者もいるとか。そんな話を聞くと、簡単には死ねないと思う。生活にはかなりの介護が必要だろうけど、文章を書くことは出来そうだ。ただし、もう大麻は吸えない。煙は吸えないが、個体にして食うことは出来る。どんな境遇であれ、生きられるだけ生き抜き、アナナイ様のお慈悲によって、「私」という神秘を極め尽くしたいものだ。
 とはいえ、これは旅立ちの絶好のチャンスでもある。喘息の苦しみに耐えかねて、ビニール袋を被って自殺した患者もいたが、それは最後の敗北であり、裏切りである。しかし延命治療の拒否は自殺ではない。生に執着せず、死を恐れず、苦しみの長い助走のあと、ホップ、ステップと、苦しみの勢いをつけて、ジャンプであの世へ飛びたつ瞬間、延命治療は喉元にバイパスを通して、ジャンプの踏んばりをファウルにしてしまうのだ。それは私が神秘なる「私」と合一する至福の瞬間に「待った!」をかけ、もう一度助走から苦しみのやり直しをさせるのだ。延命治療など無意味なことだ。
 とはいえ、未来の死を想像して思い煩うのも馬鹿げている。死ぬに時あり、生きるに時あり、今この時を生きることしか何も出来ないのだ。痰が切れて、息苦しさから解放され、一週間で退院した。こんな早い退院は初めてだが、当分は外出注意だ。勿論、数日後に予定されていた「チェルノブイリ20周年イベント」への出演は断念した。クスリ漬けで抵抗力の無い我が肺には、新宿地下室のオールナイトの空気は物凄すぎるだろう。
 そう言えば今回の入院中、一度も大麻を吸いたいと思わなかった。大麻は喘息の予防薬であって、治療薬ではない。従って重症に陥った場合は効力がないし、煙は有害である。必要なのは清らかな空気と、ゆったりとした息使いだ。(06.4.30)


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