1.神宮大麻ファシズム

 大麻が民衆と共に在って、自由に吸ったり食ったりできる社会は健全な社会である。では大麻取締法のなかった戦前の日本は健全だったかというと、法律ではなく洗脳によって大麻は民衆から奪われ、自由に吸ったり食ったりするものではなく、神棚に祀って礼拝するものであった。
 麻縄、麻布、麻油など、生活用の大麻は一般に“麻”と呼ばれたのに対し、大麻は祭祀用のものを指した。「広辞苑」によれば大麻の第一義は「伊勢神宮および諸社から授与する神符」とあり、皇祖神アマテラスを印した紙切れのオフダが、「神宮大麻」と称され、各家庭の神棚に祀られた。
 この祭祀用大麻は中世以降、伊勢神宮の御師と称する神人たちが、庶民の間に大麻札を配りながら、伊勢巡拝のおかげ参りを組織するなど、伊勢信仰の普及に努めたもの。最初のころのオフダは大麻そのものだったという説や幕末には天から大麻が降ったため「ええじゃないか」と踊り狂ったという話もあり、大麻を吸う風習があったようだ。
 明治政府は「国家神道と現人神」という国家プロジェクトを組むに際して、全国の神社や家庭などに漏れなく大麻札を配布し、神棚に祀らせ、全国民に「富国強兵」を祈願させた。そのため吸ったり食ったりする大麻は忘れられ、神宮大麻が神国日本の象徴として国民を洗脳し、軍国化した。そしてアジアへ武力侵略した皇軍は、植民地にアマテラスの神社を建立し、「天皇の赤子」たちに大麻札を授けたのである。(*1)
 戦後GHQによる「神道指令」により国家神道は廃止され、アマテラスは歴史から抹消され、大麻取締法が制定されたが、神宮大麻は廃絶を免れ、神社本庁に委託され、全国の氏神を通して配布されており、その総数は800数十万体にのぼっている。(*2)
 戦前の最高神格から、戦後は一転して「大麻汚染」などとマスコミから差別され、国家一元の汚染源とみなされることを恐れた神宮大麻は、権威失墜のアマテラスとともに鳴りを潜めているが、あわよくばの出番を待っている。いわば大麻取締法が歯止めになって、「神宮大麻ファシズム」の復活を阻んでいるに過ぎないのだ。
 法律と洗脳、この双方から自由になるためには、大麻を吸ったり食ったりしてハイになって、米帝や日帝の大麻戦略を見破り、大麻が麻薬でも、神権の象徴でもなく、ただの雑草であるというリアリティに目覚めることだ。それは麻、ヘンプなのだ。

(* 1) 天皇を親に見立てた人民の称。アジア植民地人民も日本帝国人民の血族とした。
(* 2) 藤井正雄著「神事の基礎知識」講談社


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