【第4部 4度目は最後の旅 1997・春】
弟2章  バラナシのシヴァ・ラートリィー
   

 [5年ぶりの聖都]

 カルカッタはサダルストリートに安宿を決めた後、ニューマーケット周辺を歩いてポン引きのアクタルを探したが見当たらなかった。そこでポン引き連中に尋ねたところ、アクタルは故郷へ帰ったという。客引きや売人などをしてカルカッタの底辺をうごめき、いずれ金と女房をものにして故郷に錦を飾るという長年の夢を 、アクタルは40歳にして断念し、貧農の現実に還ったのだ。
 旧友に再会できなくてがっかりしていると、バナラシからドレッドヘアーの若者が訪れた。5年ぶりに再会したシュージは音楽修行のため長年バナラシに住み、今日はカルカッタまで楽器の弦を買いに来て私を見かけたというのだ。彼はヒマチャルで自ら作ったというチャラスを御馳走してくれた。久々にチロムで吸って 陶然たる気分の中で、私は「バナラシからシヴァのお呼びがかかった」と思った。
 物価高のカルカッタに長居は無用と、3日目に夜行列車でバラナシへ。同室のカタというクソ真面目な若者が一緒だった。彼は大企業の正社員だが短い休暇が取れたので、インドはカルカッタだけを見て、次はカトマンズへ飛ぶつもりだというので、「せめてバラナシだけは見ておけば」と私が誘ったのだ。
 彼の話によれば、彼の先輩は毎年何百通もの年賀状があったのに、定年退職したとたんに10数枚に激減し、そのショックで廃人同様になったとか。そんな還暦もあるのだ。
 「それで君はその先輩と同じコースをたどるつもりなの?」
 「ええ、他に能もありませんから・・・・」
 バナラシはメインガート近くに宿をとり、未体験というカタにガンジャを吸わせた。カルチャー・ショックのカタは翌日カトマンズへ去ったが、たった一日とはいえバラナシを見たこと、ガンジャを吸ったことが、判で押したような彼の人生に何らかのドラマを期待したい。

 カタと別れた後、私はリュックを担いでメインガートの近くからボートを拾って河を下った。船べりで一服やりながら、ガートに展開する絵巻物を眺めていると、甘美な幻想に浸った。水辺に並んで歌う洗濯夫達も、両脚を縛られた彼らのロバも、沐浴する水牛の群れも、火葬場の煙も、荼毘に付する人々も、沐浴して礼 拝する人々も、ヨガ行者や物売りや乞食も、牛、山羊、犬、猿、そして禿鷹なども、3000年前とそっくりそのまま、ここには時がないのだ。だからその神秘的な荘厳さと華麗さには比類がない。
 今のところその幻想を破るものは、時々波を起こして通過する無粋なエンジン船だけだ。最下流のガート近くで、ボートを降り迷路の奥にシュージのロッジを見つけた。彼はインド舞踊を修行中のイタリア美人と住んでいた。彼らのもてなしに甘えて隣の部屋を借り、そこで10日間ばかりを過ごした。
 シュージのところへは毎日のように音楽修行のフリークスが訪れ、古典音楽のセッションをやっていたので、私はチロムの輪に加わり、ライヴを聴きながら、眼下に流れる大河を眺め、眠気に身を委ねた。昼寝などはしない性分なのに、60年分の疲れがどっと出たかのようによく眠った。食事はプロパンガスを借りて、 白米を炊いて少しずつ食べた。
 体は重くだるかったがスケッチブックを持って散歩した。ラマグルの茶屋にも時々顔を出した。ここだけは何時となくローカル(地元民)や旅人がチロムを回しており、ラマグルの娘たちも美しく成長していた。
 せむしのラムジーはプッシャーを止めたらしく、5年前のたくましさは影をひそめ、笑いを忘れた顔は暗く、杖にすがって歩く全身が小刻みに痙攣していた。病は相当深刻なはずなのに、バラナシで死ねば誰でも天国へ行けるという通説を信じているのか、この40男の悩みはやっぱりまだ嫁さんが見つからないことだっ た。
 サラスヴァティの祭日には最上流のアッシー・ガートを訪れ、日本の仲間たちが主催するパーティに参加した。市街地から外れたその一帯は音楽修行の長期滞在者が沢山住んでいて、この日はシタールのヒロの送別会だった。
 15年前インドで出会ったケンやノリ、5年前のマリ、アミ、コースケ、いのちの祭り仲間のマサやフラのファミリーなど、トビーハウスというゲストハウスを中心に、日本人フリークスのコミュニティが形成されていた。私は久しぶりにサラスヴァティ賛歌とガンガーマントラを歌った。
 そろそろシュージのロッジを出ようと思って、前回娘たちと泊まったシヴァ・ロッジへ行ってみた。紀州のバグース3人組がいたが、オザザの話ではオピウム好きのオーナーとの毎晩の付き合いが大変だとのこと。阿片系はツーマッチなので、シヴァ・ロッジは避けることにした。

 [バラナシ・パワー]

 河を見飽きたわけではないが、カラッと乾いた砂漠が見たくなって、シュージ夫婦に別れを告げ、ラジャスターン行きの夜行列車に乗ったが、何とプラットホームを間違えていたので途中で引き返し、その夜はバラナシ駅の待合室の床にごろ寝した。
 翌朝、予約を済ませ、夕方まで一休みするつもりでリキシャに乗って、アッシー・ガートはトビーハウスのコースケの部屋にたどり着いたとたんに脇腹の激痛に襲われた。それは、年に1度か2度の猛烈なもので身を裂くような苦痛が数時間も続き、コースケの尺八を聴きながらダウン、切符はキャンセルした。
 「やっぱりバナラシにつかまったか!」と、仲間たちから笑われた。風説によれば、バラナシに好かれた者は、彼女のパワーに絡まれ、拘束され、その愛を満喫するまでは解放されることはないという。
 トビーハウスは3階に工事中の部屋を借りて自炊した。食事療法は仲間たちが何かと協力してくれた。ケンの案内でアユルヴェーダの薬局で伝統のナチュラル・メディスンを調合してもらった。とはいえ痛みの原因が十二指腸潰瘍だと判明しているわけではなかった。玄米クリーム療法を2年半も続けても治らず、そのくせ吐血も下血もないということは消化器官の疾患ではなく、神経痛の可能性が高かった。しかし神経痛となると西洋医学も漢方も打つ手がないのだ。
 朝はアッシー・ガートの茶屋に座ってチャイを飲みながら日の出を拝んだ。砂丘の彼方の森の上に太陽が昇る時、ガンガーはサイケを極める。このガートは長期の旅人も多いがローカルも多く、いつとはなく常連の顔なじみができた。中には合掌するだけではなく、私の足に手を触れて礼拝する人もいる。謙虚さを誇って 、どちらが先に相手の足に触れるかを競う人もいる。
 シヴァ・ラートリィまでの1ヶ月近く、私たちは毎日誰かの部屋に集まってチロムを回し、色んな楽器を奏でて、チャンティングをやった。私が昔ガンガーの渡し守から伝授した「シャンカラ シヴァ」のマントラは、ここでも全員で合唱した。 
 トビーハウスとその周辺の日本人旅行者は秋から春までをバナラシで過ごし、雨期の近づく猛暑の頃にはヒマチャルやネパールに避暑して、再び戻ってくる常連が多く、一緒に食事をするようなコミュニティーが形成されていた。勿論リーダーもボスもおらず、出入り自由、決めごとも規制もない日本的な馴れ合いの集まりである。そこへある日、型破りの新顔が登場した。
 小柄ながら派手なドレッド・ヘアーのリナは、20代前半か。彼女の部屋は2階のコースケの隣だったので、さっそくコースケと訪問した。室内はすでに数名の客人がいて、中央のリナは手製のチャリスを広げて、ガンジャ・セレモニーの準備中だった。チャリスというのはジャマイカのラスターたちの大麻喫煙具のセッ トで、葉を刻む俎板や数十センチのパイプ付きの水煙管などである。
 60年代のヒッピーにも大麻を吸う女性はいたし、チャリス・セレモニーには女性も参加するが、大麻の世界では常に男が主、女が従の関係にあった。特に日本では女性のスモーカーが非常に少なく、チャリスを持ち歩いてガンジャ・セレモニーを仕切る女性が出現するなどとは予想だにしなかった。これは、ムーヴメン トそのものの進化だ。
 リナに関しては更にとんでもない事実を知らされた。彼女は最初のインドの旅で出会った日本女性から「あんたインドの旅をするなら「『アイ・アム・ヒッピー』くらい読むべきよ」と言われ、いったん帰国して「『アイ・アム・ヒッピー』を読み、改めて今回の旅に出て、ばったり著者にめぐり会ったというわけである 。
 ウルトラ女性ヒッピーリナの登場に目を見張ったが、男でもユニークな連中が何人かいた。特に印象的だったのは、ヨガのグルから譲られたというガートの一画に居坐ったツキサンと呼ぶ若者だ。黒い布を腰に巻いた堂々たる体で、長髪にヒゲ、童顔、特に説法するわけでもなく、時々河に飛び込んでいたが、いつも傍に何人かのインド人がはべっていた。若いのにその存在感は圧倒的だった。
 彼のシャクティらしき小柄で無愛想な日本女性は「マーサマ」と呼ばれていた。マーは母、または女神。そこで私が「マーサマでなく、マーサンではだめなの?」と訪ねたところ、「だめです。マーサマです」と毅然と答えるのだった。
 奇しくもこの年はヒッピームーヴメント30周年。インドを愛し、ガンジャを愛してきたオールドヒッピーにとって、同じ流れを汲む若者達との出会いこそ祝福である。どんなに細くなっても、この流れの絶えることはないだろう。それはいのちの流れだから。

 [祝福されざる者]

 ヒッピーにとってインドとは精神文明の根源であり、インド全土が聖地であり、アシュラマだった。従ってそこに住む人々や、そこを旅する人々に対する敬意と親しみは極めてナイーヴなものだった。ところがこの年、インドを訪れた日本の若者の中に、とんでもない人種が出現した。
 彼らと初めて接触したのはバナラシ駅の待合室であった。2人の女性を含む10人近い日本人の若者が床に坐って雑談していた。長髪もヒゲもない学生風の連中で、個別に旅をしていてたまたまこの場で出会ったという感じだった。傍で聞いていると口々にインドの悪口を言い合っていた。
 そこで私が「みなさん バナラシはいかがでしたか?」と話しかけると、彼らはびっくりして沈黙してしまった。しばらくして「汚いだけですよ」という返事があり、「最低!」「ツーマッチ!」などという声があった。
 そこで「ガンジャは吸いましたか?」と尋ねたところ「冗談でしょ!」「麻薬じゃないですか」などと、信じられないような反応があった。かつてインドを訪れる旅人といえば洋の東西を問わず、先ずはガンジャやチャラスがお目当てだったから、この拒否反応に私は面食らってしまった。
 そこでトビーハウスの仲間にこの話をすると、「それは猿岩石の連中だよ」とのこと。無銭旅行で世界を旅するアバンチュールをドキュメントするテレビ番組「電波少年」のインドを旅する「猿岩石」に影響されて、春休みの学生たちがドッと押し寄せてきているのだという。
 無銭旅行といえば60年代のヒッピーを想定しているようだが、私たちは無賃乗車しようとただ飯にあずかろうと、感謝の念を欠くことはなかった。ところが猿岩石の連中はインド人をあざむき、差別し、無銭旅行をゲームとして遊んでいるのだ。何という心の無い旅、さもしい若者たちだろう。
 日一日とシヴァ・ラートリィが近づき、バラナシ全土が祭りの興奮に盛り上がってゆく中で、私はガートのあちこちで猿岩石の連中が肩を寄せ合って不安げに怯えているのを見かけた。
 「どうかしたのかい?」
 「この街は日一日と狂ってゆくみたいです」
 「祭りが近づいているから、皆が興奮しているのだよ」と私が説明しても、彼らは本気にしなかった。もっとも祭りといえば、商業主義に絡め取られ形骸化したイベントしか知らない日本の若者にとって、シヴァ・ラートリィは桁違いの祭りだった。
 すでにヒマラヤの洞窟からはナーガ派の全裸のヨガ行者たちが2,30人やって来て、灰まみれの男根をぶら下げてメインストリートをのし歩いていた。メインガートの石段にはインド各地から集まった乞食たちが並び、ボロ布をパッチワークした晴れ着に、ジャスミンの花束などを飾って奇形や片輪を誇り、巡礼団や観光客を相手に物売り、大道芸人、見世物師などが稼ぎを競っていた。
 この豪奢な祭典を楽しむためには、ガンジャは不可欠だ。そこで私はポケットからガンジャを取り出し、猿岩石たちに勧めた。しかし誰も手を出さない。それどころか「あんたはぼくらに毒を盛る気ですか?」などと反発する。おまけに「それは非合法ですよ」と言う奴もいた。インドの聖地へ来ても、まだ日本の法律に縛られているのだ。驚くべきマインドコントロールだが、他人の親切を全く信じようとしない心の貧しさには呆れるばかりだ。
 「縁なき衆生は度し難し」と言うが、私は彼らを説得することは不可能と諦めた。だがこれにはそれなりの理由があることを、トビーハウスの仲間から知らされた。それは『地球の歩き方・インド編』というガイドブックで、その中に次のような注意書きがあった。
 「インドではヒッピー風の旅人に御用心!彼らは麻薬中毒のジャンキーであり、日本人の旅行者に親しげに話しかけ金を無心するタカリなのだ。相手にしない方が賢明である」
 何という言い草だろう。『地球の歩き方』は、インドを旅する若者のベストセラーである。彼らがインドで迷って誰かに質問するとしたら、現地語も英語もろくに話せない以上インド通の日本人ということになるだろう。そしてインドの長期滞在者は例えヒッピーでなくても、自然にヒッピー風になってしまうところなのだ。
 結局、猿岩石の学生たちは、ヒッピー風の旅人を避けて、没個性的なサラリーマンタイプの旅人ばかりが集まって、貧しくて汚いインドを嫌悪し、呪い、怯える結果になっているのだ。要するにインドは彼らの旅するところではなく、バナラシは彼らを祝福してくれなかったのだ。
 かくてガンジャの守護神シヴァの結婚を祭って、聖都丸ごとガンジャの乗りに恍惚たる一夜、猿岩石の連中だけが不安と恐怖におののいたのだった。


[詩 シヴァ・ラートリィ]
大麻といえば 警察情報たれ流しの
マスコミに洗脳された 日本人観光客にとってインドの聖地バラナシの春一番
シヴァ・ラートリィの祭りこそは
集団発狂の地獄の狂宴でもあろうか
だがそこには日本の祭りが失った祭りの本質があった

フーテン乞食のシヴァ神と
ヒマラヤの娘パールヴァティ女神との結婚を祝って
聖地バナラシへやって来る 有象無象(うぞうむぞう)の魑魅魍魎(ちみもうりょう)たち
花形スターはヒマラヤの洞窟から出て来た
男根丸出しで 灰まみれのヨガ行者たち
もう一方の主役はメインガートの雛壇を彩るファッションショーの片輪や奇形の乞食たち

何処から来たのか 蛇使い 猿回し 大道芸人 物売り 星占い 辻音楽師 エトセトラ
いずれも年に一度の荒稼ぎ
インド中からの巡礼団 世界中からの観光客
百万都市がその何倍にも膨らんで
おまけに 牛 ロバ 猿 豚 水牛 犬 リス 象 カラス ハゲタカ インコ 河イルカなど
近づく祭りに テンションが上がり
ガンガーの容姿が 痩せ細るころ
新月闇夜の結婚式は ピークに達する

大麻の守護神シヴァを讃えて
大人も子供も 男も女も ポリスもプッシャーも
バング団子を食らい バングジュースを呑み
ガンジャやチャラスを吸って ハラハラ ボンボン
浄化のハラ 破壊のボンで ハラハラ ボンボン
日常生活の秩序の中で 無意識下に鬱積したシコリやストレスを発散する ハラハラ ボンボン
精神の高揚と 乱痴気騒ぎの ハラハラ ボンボン
礼儀を無視し 貴賎を問わず ハラハラ ボンボン
夜通し大通りから 路地やガードを駆けめぐる 発情男たちの ハラハラ ボンボン
悲鳴を上げて逃げ惑う女たちの ハラハラ ボンボン
欲望と信仰の葛藤にのたうつ ハラハラ ボンボン
乞食に小銭をばら撒いて 走り去る男たちの ハラハラ ボンボン
通行人にバングやガンジャを振舞う男たちの ハラハラ ボンボン
熱狂とトランスの坩堝と化した ハラハラ ボンボン
何百年 何千年の昔から伝わる ハラハラ ボンボン
未来 永劫に続く ハラハラ ボンボン
小宇宙から 大宇宙まで ハラハラ ボンボン
ガンガー ナマステー ハラハラ ボンボン

お> ガンジャ吸いの旅人たちよ!
インドはまだまだ健全なり
聖地バナラシでは 狂気と紙一重の正気が
あなたの「バビロン症候群」を癒してくれよう
いつか帰らん わが魂の ハラハラ ボンボン


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