第2部 2度目の旅 1982・春〜83・春
第7章 サドゥたちの世界へ  デリー、ハルドワール、リシュケシ

挿絵

  [怪僧ボム・シャンカールババ]

 首都デリーでロンドンへ発つビコを見送った。彼はカトマンズ以来の肝炎が悪化し、かなりだるそうだった。雨期のカトマンズの生水は危険だと言われているが、当時はまだペットボトル入りのミネラルウォーターなど販売以前だったから、少しづつ耐性をつけるしかなかった。
 そう言う私自身もカトマンズでは湯ざましなどを飲んでいたが下痢が止まらず、体力が衰えたところを、肝臓でなく腎臓を冒され、脚にむくみが出はじめていた。
 さて、ビコと別れた後、シヴァと2人でデリーの街をうろつきながら、先ずは1服しようと場所を探したが、いずこもポリスの目が光っていた。ところが小さな三角公園の片隅で、黒ずくめのサドゥを囲んで10人くらいの男たちが車座になっているのを見かけた。すぐ近くの交差点にポリスがいたが、彼らは明らかにガンジャを吸っているようだった。
 「おや ボム・シャンカールババじゃないか! 彼と一緒なら大丈夫だ」とシヴァは言い、私を促して三角公園へ入っていった。
 ボム・シャンカールババという長身のサドゥは、髪もヒゲも黒々として、彫は深く、眼光鋭く、黒い衣をまとった姿には、周囲を圧倒するような異様な存在感があった。
 シヴァは恐れることなく車座の中へわり込み、「ボム・シャンカール!」とババに挨拶し、私のことを「ジャパニーズ・サドゥ」だと紹介した。ババは「ボーム・シャンクワール!」と奇妙な声で答えたが、その口には歯が1本も無かった。
 私たちはガンジャ・パーティの仲間になり、チロムを受けた。交差点からポリスが見ていたが何も言わなかった。まるで黒魔術師のようなサドゥに向かって、ポリスもクレームをつける気にはならなかったのだろう。
 さて、私の次の目的地はヨガで有名な聖地リシュケシだった。ヨガの修行をする気はなかったが、そこにはガンジャ吸いのサドゥたちが集まっていると聞いたからだ。ところがボム・シャンカールババは明日、ハルドワールに立寄った後、リシュケシに行くつもりだという。渡りに舟と、私たちは一緒に行く約束をした。
 サドゥというのは世俗を放棄して出家した修行者である。日本では「出家」といえば、寺へ就職して僧侶になることだが、インドの出家とは世俗のカルマ(業、仕事、義務)を果たし終えた家住者が、家族や家系を断ち、名誉や地位を捨て、名前や履歴を消し、住居と所有物を持たず、欲望を浄化し、神を求めて托鉢のみにて生きることなのだ。それは世俗とは一線を画した異次元へ移行することである。ラーマクリシュナの言葉から、2つの例を引こう。
 ある村にうだつの上がらない百姓がいた。ある日、仕事を終えて家へ帰ると、玄関先で待っていた女房が例によってグチを言いはじめた。
 「あんた聞いたかい。村のラジャ(王様)が10何人もいた妾(めかけ)を1人づつ整理することにしたんだって。さすがに偉い人は精進もなさるんだね。そこへ行くとあんたは何年たっても、ちっとも進歩しないんだから……」これを聞いて百姓は言った。
 「おまえはバカか。1人づつ整理するだと。フン、そんなことで放棄ができるものか。放棄というのはこうやってやるのだ。見てろ!」
 と言うと、くるりと背を向け、汗まみれのタオルを肩に、そのままスタスタと歩いて行ってしまい2度と帰って来なかったとか。
 もう1つの話は、夫に出家された妻が、それから長い年月を経て、憧れの整地バラナシへ巡礼に行ったところ、路上で転倒してしまった。そこへ通りかかった老いたサドゥが、老婆を助け起こし、手当てをして顔を合わせたとたん、双方共に「アッ!」と驚き、それきり老いたサドゥは姿を消してしまったとか。

[聖地ハルドワール]

 翌朝バススタンドでボム・シャンカールババと落ち合い、彼に従ってハルドワール行きのバスに乗った。バスも汽車も、サドゥは無賃乗車がインド中で認められていた。金を持っていないのだから払いようがないが、そこにはサドゥに対する敬意がこめられていた。サドゥにくっついていたおかげで、私もシヴァも無賃乗車だった。
 相棒のシヴァは厳密にはサドゥではなかった。放浪するインド製ヒッピーではあったが、世俗を完全に断っていたわけではない。彼はハンピーの実家にヨーロッパのヒッピー、フリークスを受け容れ、共同生活をしながら、観光ガイドの出稼ぎで妻子を養っていた。しかしある時、交通事故に遭い、傷まみれになって帰宅したところ、女房がイギリス男と不倫しており、愕然として争う気力も体力もなく、プーナのラジニーシ・アシュラマにて傷を癒したのだった。
 体力さえ回復すれば再度帰宅して、結着をつけるつもりだったが、それから1年、サドゥまがいの旅(ただし布施は受けず、オイルマッサージで路銀を稼いでいた)をするうちに体力は回復したが、世俗への執着が稀薄になり、決断は日一日と弱まってゆくのだった。
 ハルドワールに到着すると、ボム・シャンカールババは私たちをダラムサラ(無料巡礼宿)に案内し、リシュケシには明日行くと言って、そのまま姿を消してしまった。
 聖なるガンガーは天界からヒマラヤに住むシヴァのドレッドヘアーの上に落下し、そこで勢いを緩めて水源地ガンゴトリーの氷河の下から湧き出し、支流を集めて谷を走り、山地から平野に躍り出たところが、聖地ハルドワールである。
 同じシヴァの聖地でも、ガンガー中流のバラナシと比べると、ハルドワールのガンガーは流れが速く、水も透明だ。また市街地にしても、混沌と汚濁のバラナシに対して、ハルドワールの整然とした清潔感は対照的だ。
 なお、「ハルドワール」とは、シヴァをハラ(Har)と呼ぶシヴァ派のドワール(門)であり、ヴィシュヌをハリ(Hari)と呼ぶヴィシュヌ派にとっては「ハリドワール」なのだ。ここは両派の聖地であり、12年に1度の大祭クンブ・メーラには、町の人口の30倍にあたる1000万人もの巡礼者が沐浴し、時には死者も出るという。
 街の中心地から中州へ渡る橋の下の浅瀬では、子供を含む10数名の男女が、膝まで水に入ってザルで砂利をすくい、何かを探していた。一体何をしているのだろうと、しばらく観察していたところ、彼らは巡礼者がガンガーに喜捨した小銭や指環や装飾品などを、砂利の中から見つけ出しているのだ。時々歓声の上がる宝探しの一族である。見つかった宝はきのう今日のものとは限らない。何十年、何百年も前のものだって出てくる可能性はあるだろう。何とも夢のある仕事ではないか。

 [ヨガの殿堂 リシュケシ]

 聖地ハルドワールからガンガーに沿って北上すること20数キロで聖地リシュケシである。標高は300数十メートル。
 緑の山々に囲まれて蛇行するガンガーの水は清く、流れは速く、河畔にはシヴァナンダ・アシュラマや、ビートルズで有名になったマハリシュ・マヘーシ・ヨギ・アシュラマなど、沢山のヨガ道場があり、ヨガを学ぶために長期滞在する外国人が多い。
 ハルドワールがヒンズー教徒一般の聖地なら、リシュケシは修行者のための聖地であり、サドゥの姿も多く見かける。とはいえ観光ブームの波は、ここへもホテルやレストランを並べ、修行者たちの世界を俗っぽくしている。
 ヨガ、又はヨーガとは、別々に隔てたものを「つなぐ」ことを意味し、個人霊の普遍霊への合一をめざす伝統的方法である。とはいえ一般にヨガといえば、健康と美容のためのハタ・ヨガを指すようだ。ストレスいっぱいの現代人には、心と体のバランスをとり、自己をコントロールするための方法として、ヨガはますます必要とされるだろう。
 しかしヨガの根本原理はもっと霊的なところにある。あらゆる人間の内部に潜在する霊的エネルギー「クンダリーニ」(蛇の力)は、体内にある六つのエネルギーの中心(チャクラ)の最下端ムラーダーラにとぐろを巻いて眠っているが、禁欲と瞑想と呼吸法によって目覚めると、脊柱に沿ってスシュムナー管を上昇し、五つのチャクラを次々と通過し、ついに大脳中のサハスラーラというシヴァの座に到達する。これがラジャ・ヨガと呼ばれるヨガの完成であり、涅槃(サマーディ)である。
 リシュケシから更にガンガーを遡って、チベットとの国境を接する標高4000メートルの氷河地帯、ガンガーとヤムナー両大河の水源である聖地ウッタラーカンドには、洞窟に住んで厳しいヨガに励むサドゥたちがいる。残念ながら私の体力ではそこまで行く気にはならなかったが、時代がどんなに変っても、そこには永遠不滅の真理を探求する名もなき聖者たちが必ずいるに違いない。
 私自身はハタ・ヨガはほとんどやっていない。ゲイリー・スナイダーから基本的なアーサナ(体位法)を学び、自分に可能なアーサナをしばらくやってみたが、長くは続かなかった。また私のように肺活量が常人の半分(現在は3分の1)程度の者には、プラーナヤマ(呼吸法)に制約があった。そのためクンダリーニを目覚めさすようなプラーナヤマはやらなかったが、朝夕のガンジャ・タイムの瞑想には腹式呼吸は必須であり、マントラ・ヨガも呼吸法が鍵を握っている。
 ところで大麻を吸う時の呪文「ボム・シャンカール」の「ボム」とは、破壊神シヴァの破壊の音であり、「シャンカール」とは吉祥、幸運をもたらす者としてのシヴァの別名。従って「ボム・シャンカール」とは、無知、迷信、虚偽、欺瞞、絶望などを破壊する目出たい音、福音という意味だ。
 そこで我らがボム・シャンカールババだが、ハルドワールでもリシュケシでも、我が物顔のババと一緒に歩いていると、出逢うサドゥたちが丁寧に挨拶して行くが、そこには敬意というより、敬遠を感じさせた。さわらぬ神に祟りなしというわけだ。
 シヴァ派のサドゥといえば、明るいサフラン色の衣をまとって、三叉の鉾を持ったシャンカラチャリア派のサドゥを良く見かけるが、黒ずくめのボム・シャンカールババは、死と破壊の神シヴァの不吉で不気味な面を象徴しているかのようだった。
 リシュケシでもボム・シャンカールババは私たちをダラムサラに案内すると、何処へともなく姿を消してしまった。時々ダラムサラに現れて皆と一緒にチロムを交し、権威と存在感を示したが、たまに泊っても翌朝は姿を消し、何処で何をしているのかシヴァも知らなかった。 
 ダラムサラには常時、数人のサドゥや巡礼者が滞在し、飽くことなくガンジャを吸っていた。しかし朝の一服が回ると、全員がゴホンゴホンと咳込んでいた。睡眠中にたまった痰ならともかく、彼らの咳は明らかに呼吸器疾患によるものだった。私はそれを「コッフィング・ヨガ」(咳のヨガ)と名づけて、シヴァを笑わせた。
 しかしある日やって来たでぶっちょのサドゥには驚いた。彼の胸は広く、部厚く、肺活量は常人の何倍もあった。彼は両手でチロムを支え、静かに吸い始め、常人の3、4人分くらい吸い続けるとチロムの中間あたり、ガンジャの詰まっている部分が真赤になって、土がガラス状に透けて見える。そこで周囲の者が「もうやめろ!」「やりすぎだ!」などと声をかけるが、ガンジャが無くなるまで吸いきるのだった。
 でぶっちょサドゥの超人的な吸いっぷりはその場を沸かせたが、おかげでチロムが回らなかった連中から文句が出て、全員がガンジャの大量消費を非難した。その結果、排除したわけではないが、でぶっちょサドゥは2度とダラムサラへは来なかった。
 サドゥたちは世俗のルールや見栄、予定や計画に縛られることなく、食うための努力も要らず、生活がないから、ある種の幼児退行をするようだ。そのため各人がユニークで、単純で、短絡的で、滑稽そのものだ。だからこそ、ガンジャを吸えばヨガの苦行なども平ちゃらでやるのだろう。
 ダラムサラから少し歩くとガンガーのガートがあって、そこでは朝のうちサドゥたちが集って沐浴し、体じゅうに灰をまぶし、額にシヴァ派の横三本の白線を入れるなど、念入りに化粧をしている。世俗を放棄した人間は、見かけの美醜など超越しているものと思ったが、なかには手鏡を持ったサドゥもいた。

[相棒シヴァの試練]

 リシュケシでは2、3人の日本人フリークスや、ヨーロッパ人のフリークスとも知り合った。いずれもヨガを修行中のガンジャ吸いだった。
 ダラムサラでは色んなサドゥと出逢ったが、ある日、南インドからやってきた知り合いのサドゥに再会したシヴァは、ハンピの実家の事情を聞いて落ち込んだ。シヴァの女房はまだイギリス男とくっついたままだというのだ。
 シヴァは迷っていた。体力が回復した以上、妻を奪回するために挑戦すべきではないのか、戦わずして諦めるのは自己欺瞞ではないのか、という彼の苦悩が十分に理解できたが、私には何も言うことはできなかった。
 困窮するシヴァ、そして弱り目に祟り目とやら、マラリヤがシヴァを襲ったのだ。ダラムサラの片隅で高熱に浮かされ、寝込んでいるシヴァを見守りながら、私には打つ手がなかった。時々日本人のフリークスやサドゥが心配して見舞ってくれた。ボム・シャンカールババも覗き込んだが何も言わずに去った。
 3日目か4日目、今夜がピークだと思った日の夜半、シヴァは腹這いになって、ギラギラと熱に浮かされた目で私を見つめ、苦しそうに語りかけた。
 「オレは死ぬだろう……しかしシヴァは死なない……オレはシヴァだ……シヴァは死なない……いや、オレは死ぬ……では、オレはシヴァではないのか……いや、オレはシヴァだ……シヴァは死なない……」
 ジーヴァ(個人霊)とシヴァ(普遍霊)の識別がつかなくなった相棒の果てしない空論を聞きながら、私は彼が疲れ果てて眠入るまで起きていた。
 朝方、私が寝袋の中で目を覚ました時には、シヴァは熱が引き、蘇生していた。高熱は脳細胞を破壊することなく、煩悩を焼き尽くしたのか、死線を突破して帰還したシヴァの表情は実に爽やかだった。
 日一日と体力を回復する中で、シヴァの復活パーティを催すことになり、日本やヨーロッパのフリーク数人がダラムサラに集って、簡単な料理を作った。 
 夕方、病み上がりのシヴァを主席に、その脇に私が坐り、フリークスが車座になった。サドゥも2、3人加わっていたかも知れない。祝辞を述べてチロムが回り、いざ食事という時に、突然ボム・シャンカールババがやって来て、玄関口で何事かを叫んでいた。
 そのうち興奮した彼は、ドカドカと足音を響かせてシヴァの前に立ちはだかり、雷のような大音声で怒鳴り始めた。歯のない口から発する奇声は、怒りと憎しみをぶちまけるような物凄さで、時々は跳び上がって地団駄を踏んだ。その場にいた者たちは、ヨガの神通力を目の前にしたかのように震え上がった。
 しかし当のシヴァは平然として、口許には皮肉な微笑さえ浮かべていた。死線を突破して帰還した者に、恐れ戦くものなど何もないかのように。
 勝負は明らかだった。哀れなボム・シャンカールババは、自分が全身全霊をあげて威嚇しても、相手がビクともしないのを知ると、ブツブツ文句を言いながら去って行った。はったりが地に墜ちたのだ。
 その場の緊張が和らぐ中で、私はシヴァにボム・シャンカールババの主張を尋ねたところ、シヴァは苦笑しながら答えた。
 「彼は君たちが私のためにパーティを催しているのに、自分のためには何もしてくれないと腹を立てているのだ。要するに嫉妬だよ」
 「えっ ジェラシー?」
 私は驚いた。嫉妬などという最も世俗的な感情に支配されて、サドゥが怒り狂うとは、すさまじい幼児退行ではないか。
 ついでにシヴァの話によれば、ボム・シャンカールババは、60年代のヒッピーに大モテで、パリへ招待されたのだが、そこでヘロインにはまり、歯が全部抜け落ちたとか。
 ひょっとしたら、ボム・シャンカールババが、いつも姿を消すのは、阿片窟へでもしけ込んでいるのかも知れない。サドゥの道も魔が多いようだ。
 ラーマクリシュナの高弟ヴィヴェーカーナンダは、出家について次のように語っている。
 「放棄を焦って、出家を早まったサドゥのうち、85%は軽薄な自惚れ屋で終わるだろう。10%は世俗への執着が断ち切れなくて狂うだろう。うまく行くのはせいぜい5%だ」


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