「planted」#9 2009.1.20発行 (毎日新聞社)
大正生まれのビートニクは
今も歩き続け、森を想う

INTERVIEW SAKAK NANAO


.style1 {font-size: 12px; line-height: 170%;}日本のビート、元祖ヒッピー。
ナナオはそう呼ばれるのを好まない。
では、あなたは何ですか?と問えば「宇宙人」と答える。
詩人は1950年代からずっと地球を家とし、宇宙を放浪している。
photo by Kaori Sakurai text by Atushi Kadono

 「森を歩いていますか、君は? 原生林はわかりますか?」
一一いえ。
ないだろうね。今の日本には、原生林はほとんどない。
 日本人は森と縁がなくなった。本当にさびしい。
 だから日本にいたくないんだ。
 森がない。悲しいですね」

 ある老詩人に森の話を聞いた。張りのあるゆったりとした思慮深い声。彼の発
する力強く短い言葉はポエトリー・リーディングのようであり、禅問答のようでも
あった。彼の名前はナナオサカキ。85歳。 1950年代にアメリカで巻き起こったビー
ト・ジェネレーションの詩人や作家たちと交流し、ジャパニーズヒッピーのゴッド
ファーザー的な存在として、50年代から現在までの半世紀あまりずっと放浪の生
活を続けている。
 詩人・ナナオサカキに会えたのは、半分奇跡のようなことだった。「僕はいつ
も行方不明」というように、詩人は定住する場所を持たず知人の元を転々として
いる。おまけに日本という国や物質文明・大量消費社会を見捨て、別の価値基準
の世界に生きているものだから、マスメディアにもほぼまったくといっていいほ
ど顔を出さない。だから世界的な詩人であるにもかかわらず、日本ではあまり知
られていない。

自然にインスピレーションを受け
放浪と詩作にふける人生

 幼いころから山の中に入るのが好きだった。森に入って、見るもの・感じるも
のすべてが面白かった。自然に影響を受けたのか、そのころから詩が頭の中に溢
れてくるようになった。
一一小さなころから山や森を歩いていたのですか?
 「13〜14歳かな。ひとりで歩き出した。(他の人は山を)ほとんど誰も歩かなかっ
た。ちょっと変わった子どもだった。何で山に行くんだ?とよく言われた。詩を
書き始めたのも、山に行き出したころだ」
 詩人は18歳で海軍に召集され、最前線のレーダー基地に配属された。長崎に
向かうB29をレーダーで追い、特攻隊を見送った。最新機器だったレーダーを扱
う部隊は特別扱いで、軍隊でありながら今と同じようなロングヘアと髭を伸ばす
ことをなぜか許されたという。当時からカウンターカルチャー的な嗜好があった
のかもしれない。終戦後、改造社という、当時、中央公論社と双璧をなしていた
論壇系の出版社で社長秘書となるが、途中でドロップアウト。以来、上野でフー
テンになり、サーカス巡業に付いていき、‥‥やがては放浪の詩人として日本中
を歩きめぐった。バックパッカーの先駆けのようなものだ。うち数年間は屋久島、
奥秩父、知床半島、鹿児島の大峰山などの原生林を旅し、洞窟に住んでみたりも
した。今度、屋久島へ行く話をしたら滞在期間があまりにも短いと驚いた。
 「たった3日間!それは本当にもったいない。気の毒だ。僕は半年以上いた。毎
日歩き回った。‥‥屋久島に行ったらもう帰って来たくない」
 ナナオが屋久島に行ったのは50年代のこと。そのころは大規模な伐採が始まっ
ていたとはいえ、まだまだ原生林が残っていた。今はわずかに面影を残すのみで、
当時の風景はナナオの記憶の中だけにある。
 「屋久杉はいい。ああいう木は滅多にない。僕が行った時はまだ木をそんなに切っ
ていなかったからな。すごい森でした。サンセイ(かつて共に活動した詩人・山
尾三省)は僕の話を間いて屋久島へ行ったんだ」
 詩人がその名を知られるようになったのは60年代の後半だ。 50年代に生まれ
た文学活動、ビート・ジェネレーションが日本でも影響を及ぼしつつあり、権力や
お金中心主義の社会を否定して生きる若者たちが新宿にいた。「新宿ビートニク」
と呼ばれた彼らの中に詩人ナナオの姿もあった。彼らはのちのヒッピー・ムーブ
メントのリーダー的な存在になり、各地に自然に回帰した共同体=コミューンを
作るようになる。京都に滞在して禅を学んでいたゲーリー・スナイダーに会い、ゲー
リーの元を訪れたアレン・ギンズバーグと知り合うのもちょうどそのころ。
 そしてゲーリー・スナイダーらと鹿児島のトカラ列島にある諏訪之瀬島に入植し、
数十人のコミューンを作って開墾、魚釣り、瞑想をしながら自給自足に近い暮らし
を始める。70年ごろの話だ。しかし、彼らが「日本で最も現代文明から隔絶した
聖地」と呼んだ諏訪之瀬島は、折しもの離島ブームで巨大リゾートの開発の手が
伸びる。空港と観光ホテルを建設するというのだ。当然のことながら、ナナオた
ちは自然破壊につながる開発には反対だった。そこで彼らはキャラバンを組んで
日本列島を縦断しながら反対イベントを開く。この運動は、『スワノセ・第四世界』
というドキュメンタリー映画になり、日本のみならず海外にまで知られることに
なる。自然にナナオの詩にも注目が集まって運動は徐々に大きなうねりになった。
詩が今よりずっと社会に影響を与えていた時代だったのだろう。
 ナナオはその後も80年代に沖縄・石垣島白保のサンゴ礁保護運動、90年代に
岐阜・長良川河口堰に反対する長良川行進などに参加し、詩を発表する。護岸工
事でコンクリートだらけになった川や海を嘆く詩も書いた。中には富士山を世界
遺産にするために、詩人を利用しようとする者もいたが「ゴルフコースとスキー場、
自衛隊の演習地、セメントで固められた道路が消えて自然に戻るなら」と一蹴し
たこともある。とにかくナナオは一貫して、経済中心主義とは無縁の大地に根ざ
した生き方をしてきた。

森と砂漠の話
そしてコヨーテに出会う

一一日本人はいつから森と離れたのですか?
 「戦後だね。戦前は森は命で、森がなくなることは恐怖だったから。さびしい話
です。森の話をしたくないぐらいにね。あまりに悲しすぎて。森を再生すること?
 それはほとんど絶望的だ。話題にする人がいない。森のことを」
一ー昔は森とどう付き合っていたのですか?
 「森は命だったから。そういう感覚ですね。そこに行くと命がある。……今は命
を感じないじゃない。獣がいるわけじゃない。狼がいるわけでもない。狼がいな
いっていうのはさびしい話よ。僕が見た限りでは、日本にオオカミはいない。そ
れは無理だ、この貧しさでは。山が貧しすぎる。とてもじゃないが狼がすめるよ
うな世界じゃない」
 詩人は何度も「悲しい」と「さびしい」を繰り返し、いまだ狼がいるアラスカ
やコヨーテがいるアメリカ大陸を懐かしがった。詩人は諏訪之瀬島で数年暮らし
た後、アメリカに渡りヨセミテやシエラ・ネバダ、果てはアラスカまでずっと歩い
て詩を書いていたという。
 「アメリカにはコヨーテがいるからね。シエラ・ネバダでコヨーテと会うとうれし
いです。やっぱり生きてたかい? 元気かい?と言いたくなる。アラスカまで行
くと狼がいるからな。あの鳴き声を聞いたら、たまらんわ」
一一アメリカに行ったのはなぜですか?
 「突然、飛行機のチケットが送られてきた。ゲーリーがアメリカヘ来い、と。僕
はニューメキシコとアリゾナ、あの辺が好きでね。いわゆるサウスウエスト。そ
れからメキシコ。あの辺を歩き回りました。よく知っています」
一一あの辺は森ではないですよね?
 「森はない。砂漠だ。ネイティブが住んでいる。ホピとかズニとか、ナバホとか。
彼らと一緒に何をしていたかって? ただ遊んでた(笑)」
一ー森と砂漠は全然違うところですか?
 「いや、違わない。両方とも豊かだ。砂漠は人工のものがないじゃない。砂漠は
いい」
 ナナオを招いてくれた比登志さんと精子さんのお宅で夕食をともにしながら、 
僕たちはいろいろな話を聞いた。ナナオは興が乗ると手笛を吹いてくれた。「ホー
ホー、ホウ・ホッホー」というその音は、森にすむ精霊の遠吠えのようで、とても
澄んで美しかった。
 ひとつ印象的だったことがある。僕らはナナオサカキの人生や考えてきたこと、
詩に触れてそれらがやっと今、僕らにも身体感覚として理解され始めたような気
がした。10年前はあまり実感のなかった環境問題にしても、自然と共存しスロー
に暮らすという生き方にしても、やっと見えてきたことのように思えた。だから、
こんなことを聞いてしまった。「ナナオさんの価値観や生き方をもっと理解する
ために、僕たちができることはありますか?」と。詩人は答えに窮し「……いまの
質問は面白いけども、大変だね」と言って黙りこんだ。少し間を置いて、比登志
さんがその意を酌んで翻訳してくれた。
 「ナナオという人間がいて、こうして生きてきたということ、それは現代社会の
中でコヨーテに出会うというのと同じような意味でとんでもないことなんだよね。
そんな衝撃を受けることから、何かが始まるんだよ。ナナオは何かを教えようと思っ
て生きてはいないわけだし」
 そういう意味では、今の社会は少し親切すぎるのかもしれない。自分で考えて
行動するより、まず誰かに問いたりマニュアルを探したり。何をしたらいい?じゃ
なくて、それぞれがナナオの生き方を間いたり学んだりして、どうやって自分の人
生に生かしていくかを考えてみることが、僕たちに必要なことだったのだと思う。
自らが興味の赴くままいろいろな人に会って感じて、生きることを言葉にしたり
しながら、自分たちはどうやってこれから生きていくのか?ということを考えるチャ
ンスをもらうのだ。ナナオサカキに出会うことで。

昔 地球は 双子星
地球Aは 太陽系に 宿を借り
地球Bは 天の河の向こうへ 飛んでった

地球Aは 今や ロボット数十億の大スラム
地球Aは 青と緑 色あせて
虹の前に うなだれる

風の便り
地球Bは
森と水 豊か
花 鳥 けだもの あでやかに
人は 虹の綾ぎぬ 身にまとい
踊りと歌で 語るとさ

 ーー「雪の海 漕いで行く」より。


 

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