神奈川県小田原市出身。
10代後半からロックバンドのベーシストとして活動。
70年代には喜多郎らと共にロックバンドZEROを結成し、東京や横浜を中心に活躍。以後、ギターと寝袋をかついで音霊を求めて旅に出た。
日本、カナダ、アメリカを放浪の末に北海道にたどり着き、根を生やし、15年間 大雪 山麓で暮らした。
80年代には当時草分け的な無農薬野菜の生産流通グループをつくり、農薬問題と取り組むかたわら、メッセージを歌にのせて活動を続けた。
放浪の詩人、故ナナオサカキとの出会いから詩と音楽のコラボが始まり、共に山歩きしながらライブも共演。詩の朗読と音楽を合わせたアルバムも共作した。(*「地球Bからのメッセージ」)当時からシンガー・ソングライターとしての全国的な活動が始まり、詩人としてゲーリー・スナイダーや故アレン・ギンズバーグらとも共演を重ね、活動の場を世界に広げていった。
90年春には、革命直後のチェコスロバキアを、ギンズバーグ、ナナオ、内田ボブ&ローリングドラゴンらと共にライブ・ツアー。ハベル大統領もライブ会場に訪れ、原発や環境問題に関するメッセージを伝えた。
92年に渡米。北カリフォルニアの山中エルク・バレー(標高1000m)をベースに泉の水、薪を使うシンプルな暮らしから生まれる歌を日本語&英語のバイリンガルで10年歌い、活動を続けた。シュタイナーカレッジやニューエイジの教会、ヒーリング・ギャザリング、レインボー・ギャザリングなどで歌ってきた。
2002年、再び日本へ移住。長野県上伊那の廃村シピラ(標高1200m)にて明治時代の廃屋を再建し、日本での活動を復活。
イワクラやストーン・サークルなどの縄文の遺跡の慰霊とライブが不思議なシンクロをするようになり、日本の古神道や阿波忌部族、ユダヤの古代日本との関わり、龍神や精霊とのシンクロから多くの出会いと体験を重ねて来た。
2006年から自分の暮らす入笠山(南アルプスの諏訪側の先端、標高1955m)にて縄文の心の復活を目ざし「白いアナグマの祭り」を4年間続けた。実際に自分の暮らす山で純白のアナグマと出会い、人と自然界との再融合のメッセージを受け止めている。
3人の男の子を自ら取り上げた自宅出産や山暮らしでの野生や精霊との関わりの話や旅の体験談などを交えたトーク&ライブコンサートで全国をツアーする。現在、徳島の剣山麓に暮らす。同地で暮らし、アコースティックギターで生の響きを表現することを追求する音楽家・ミヤと共に、メッセージを込めた音楽活動を行う。