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追悼 どんと


 伝説のロックバンド=ローザルクセンブルグやボガンボスの音楽活動で多くのファンを魅了しカリスマ的な人気を発揮、95年からは沖縄に移住してソロ活動を続けてきたどんと(久富隆司さん)がバカンス滞在中のハワイで脳内出血のために急死した。ここでは本誌87に登場してもらった中野郁子さんが生前どんと一家と家族同然の親しいつきあいをしていたので、追悼文を書いていただいた。


 1月28日早朝、ハワイからの電話で「どんとが肉体を離れた」との知せを受ける。
とうとう来た、いつかこの日が来ることをどこかで知っていた気がした。
仏像が好きで、奈良が好きで、インド、ヒンドゥーの神々が好きで、ついにハワイの女神ペレに魅せられたどんと。天才ロッカーは私にはカリスマというより、本質的な聖職者のようにも映っていた。
 どんと一家とは10年来のつき合いで、親戚のように濃かったから、自分の親の死よりもショックだったが、ちーこ(奥さん)や桑名晴子からどんとの最後の様子を聞いて、否定的な思いはすべてふっ飛んだ。
 詳細はちーこが本に書くといっているので省くけれど、どんとの死はすべてセットされていたようだ。私自身、シンクロニシティとしか思えないどんとの夢を見たし、ちょうど「ユングとチベット死者の書」を読んだところだった。
 あれほどたくさんのうたと絵を残し、類稀な才能を発揮したどんとは、こっちの世界での役目を終え、光の中へ喜びと共に旅立ってゆくのだろう。羨ましいほどの安らかな眠りについたらしいどんとは、ある意味で自然死といえるのではないか。天才の早過ぎる死は哀しい結末ではなく、セレブレートそのもので、最後まで愛に満ちていた。チベット密教では解脱の為の修行をするが、どんとは十分修行を積んだのだと確信している。
 告別式も最高のビッグイベントだった。どんとと共に素晴らしい時を過ごした人々が集ったから、場の波動が強力なものになり、深いところでひとつにつながるマツリとなった。
 私自身も死は怖いものという認識が一瞬にくつがえされ、もっと身近に向き合う勇気を貰った。
真摯に生きて真摯に逝ったどんとはお見事というしかない。ローリンヒルがボブ・マーリー教の伝道者だとしたら、どんと教の愛と笑い、何よりあの清々しさを伝えていく人はきっといるだろう。
おめでとう、どんと。本当にありがとう。                 (中野郁子) 


★どんとのホームページ→ http://www5a.biglobe.ne.jp/~diddley/rockon.htm
★追悼コンサート「どんと院報恩会」4月1日pm1〜神奈川県藤沢市遊行寺(出)
 小嶋さちほ、桑名晴子、内田勘太郎、他多数 カンパ制 →0463-21-5590
★「浜降り祭」4月7日 沖縄県玉城村 浜辺の茶や(出)アマナ、桑名晴子、他  
  


No.99=2000年3・4月号

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