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名前のない新聞93=1999.2・3月号より

緑のリサイクル

〜油と森を交換する

  ユーズの森の古本屋をオープン

染谷ゆみさん

旅の話し、仕事の話し

おしゃれな古本屋ユーズの森 長文注意! ダウンロードしてお読み下さい。

ユーズの森のフリースペースで話すゆみさん

廃食油と森の交換のしくみは‥‥

染谷商店といえば、知る人ぞ知るどころか、最近では都の大賞を受賞するなどすっかりマスコミでも有名になった廃油のリサイクル会社だが、昨年暮れ、新たにユーズの森の本屋という古本屋をオープンした。といっても、次女のゆみさんが社長のこのユーズの森はただの古本屋ではない。古本や廃食油を森と交換していると聞き、墨田区の八広にある真新しく広々としたお店を訪れた。(聞き手・文:浜田)        


緑のリサイクル

ゆみ● 家庭で出る廃油って、環境にやさしいからといって新聞紙でふき取るとか固まらせて排水に流さないようにしてる人が多いと思いますが、結局それもゴミにしちゃうわけですよね。でも、うちに送ってもらえれば100%リサイクルできるんです。家庭から出る廃食油って年間20万トンと言われてるんですが、業務用と同じくらい出るんです。うち(染谷商店)は元々業務用の廃油の回収が仕事なんですが、家庭用の廃油もどうにか集めてリサイクルさせたいという思いがあって、その時にたもかくが本と森の交換をしているのが面白いから、じゃあうちもたもかくと提携してやろうかってことになったんです。うちで扱っている廃食油というのは元々は植物から出来たものですから、本も森も同じで緑の循環が出来るんじゃないかって。
いざはじめてみると、開封していない期限切れの食用油なんかを送ってくるケースが多いんですよ。こういうものは捨て場に困るんでしょうね。食用油ってお中元とかお歳暮でよくもらいますけど、そういうのをもらう人ってけっこう年が上だからあんまり油を使うのはよくないし(笑)、揚げ物とか食べる若い人でもいると使うんでしょうけどね。で、余って置いておくうちに賞味期限が切れて、押し入れの中にゴソゴゾ余ってるっていうのがうちに送られて来るんです。

━━この仕組みとしては、まずここの会員になるんですか。

ゆみ● ていうか、送ってくれると自動的に会員になりますよっていうことなんですが、今までは本屋をやってなかったんで、これからどうしようかなと思ってるところです(笑)。
たもかくがやってるのは、本を送ると定価の10%で評価するので、たとえば1000円の本を送ると100円です。で、たもかくの森の値段は坪あたり1670円なので、1万6700円分の本を送ると1坪もらえるんです。ですからうちも同じように、本は定価の10%で評価して、ユーズマネーっていう交換券を発行して、それを使ってここで本も買えるし、たもかくの森とも交換できるし、たもかくの本も買えるっていう仕組みにしたんです。
今は提携してるのは染谷商店とたもかくだけなんですけど、それをもっと増やして、地域の活性化みたいな、同じビジョンや夢をもってやってるようなところと提携してけたらと思っています。

【注】★たもかく:森林保護、地域活性化の狙いから福島県奥只見にある森を本と交換するユニークな活動をしている。その中に2000Fのユーズの森もできた。
ある人が、これはエコマネーだって言うんですよ。で、ふ〜んって考えてるうちにユーズマネーっていうことにして、1ユーズを10円にしたんです。ほんとは1ユーズを1670円とかにしようかと思ったんですが、計算間違えそうだから(笑)やめたんです。
それで、これがエコマネーとして面白い方向に育っていけばいいなって思ってるんです。お金の使い方とかがそういうことで変わってくるじゃないですか。本当に必要なところにお金が流れていくような仕組みづくりにつながるかもしれないですから。

★提携先が増えていけば、ユーズマネーというのは今のお金に替わるものになりうるかもしれない。リサイクル社会の通貨? これまでにも話としてはあったことだが、日本でこうやって具体的に使われるというのはなかったんじゃないか?

アジアの旅が私の原点

━━ゆみさんは海外に長いこと旅をしてたそうですね。

高校を卒業したての18の時に日本を出て、中国に行ったんです。鑑真号で上海に入って、あちこちまわって中国だけで3ヶ月くらいいたんですが、それからチベットのラサに陸路で入って、そこから山越えをしてカトマンズに抜けたんです。そこらへんが私の原点かなと思ってるんですよ。
中国の旅も苦労が多かったというか苦行の旅だったと思うんです(笑)。今ぐらいタフだったら何でも受け入れられたんですけど、18の頃って子どもなりの常識で凝り固まっていて、世の中こういうもんだとか思ってたのが、中国に行ってみるとドタバタに崩されて、まさしくカルチャーショックを受けて。やめちゃえばよかったのにと思うんですけど、ほんとに辛い思いをしながら旅をしたんです。

━━ 一人旅だったんですか?

ゆみ● いえ、友達というか年上の女性と一緒だったんです。25くらいの人で、旅に出るということで、私は卒業の年だったので何となく一緒の旅になったんです。私は大学に行く気がなくて、高校までで学校にうんざりしたっていうのがあったんです。で、勉強よりも世界を見たいっていう気持があって。
旅に出るときに父から犬飼道子の書いた『人間の大地』ていう本を持って行かされたんです。それで南北問題とか東西問題、日本が資源を使いすぎていることとか、飢えている人たちがいるとか、その本を読んで考えながら旅をしてたんです。
チベットから山越えしてネパールに抜ける時、雨季だったんで道がなくなってるんです。それで何人かでボロボロの車をチャーターして国境まで行ったんですが、3日くらい車で走って5000m級の峠をいくつか越えたりして、最後に土砂崩れで車を降りて歩かなきゃいけなかったんです。だいたい10kgくらいの荷物をもってたんですが、それをかついで歩いてやっとのことで町に着いてホッとしたと思ったら、カランカランていう音がするんです。あれ?何だろと思ったとたん、まわりにいた50人くらいの人たちがダーッと逃げるんです。それにつられて何だろうと思いながら一緒に逃げて、あるていどまできて見たら、土砂崩れです。もうすごい大きな岩とかがごろんごろんと落ちてきてるんです。それがちょっと前に自分がいたところで、もし10分くらい遅れて歩いてたらと思ったらゾッとしました。ああもしかしたらあの時自分は死んでたかもしれないなという経験をしちゃったんです。やっぱり怖かったし、でもそれが今の力になったというか、一回死んだかもしれないんだからもういいやっていう開き直りもあるしね(笑)。
その後、その町からしばらく歩いた時にも、50人くらいの部落が今つぶれちゃったというところなんかも通って、ほんとに考えさせられましたね。
というのは、天災みたいなことで人が死んでいくんだけど、山岳民族が山の木を切りすぎちゃうという人間の害もあるんです。そういう経験が私の今の原点だなと思いますね。

弱っちい自分を見せられた

やっとカトマンズに着いて、カトマンズはパラダイスだなんて思ってたら、その前から喉に細菌が入ってたみたいで扁桃腺がすごく腫れちゃったんです。もう唾も痛くて飲めないくらいに。それで病院に行ったら混んでいて、いつになっても診てくれないので又宿に帰って。そしたら宿の主人に、ネパール唯一の国立大学が併設している病院があるから行ったらいいよと言われたんです。そこは日本の援助で建てられた立派な病院で、海外協力隊員が入っていて日本人の看護婦さんに助けてもらいました。喉が痛くて水が飲めなかったので脱水状態寸前だって言われたんですが、点滴打ってたら3日で回復したんですけどね。その時も抗生物質に漬かってる自分が何て弱っちい存在なんだろうって感じました。日本人にとっては高くないんですけど、カトマンズの普通の人たちにとってはその病院は高くてはみんな行けないんですよ。
それで快復したと思って、おいしいもの食べて体力をつけようと思ってたら、今度は盲腸になってまたその病院に入院して手術することになったんです。日本の家に電話したらバ〜ッて笑うんですよ。入院費用が安くて良かったって。でも全身麻酔をかけられたんですけど、それで死んじゃう人も多いんですってね。
その後もインドに行こうと思ってたんですが、カトマンズの水って悪いんですよ。それであたって下痢しちゃって、なかなか治らないんです。それで一時帰国することにしたんです。
でも1ヶ月くらい日本にいて、またすぐ韓国からバンコク、マレーシア、シンガポール、インドネシアに行ったんです。ビルマとかベトナムにも行こうと思ったんですけど、その当時ビルマでは学生運動で入国できなくなっていて、ベトナムもまだ入れなくて、結局アジアといっても資本主義国だけなんです。そのあとインドに行って、リシケシから北インドをずっとまわってカルカッタまで来たら、もう南の方をまわる元気がなくなっていて、もう旅はこれでいいっていう気持になって日本に帰ってきたんです。

アジアの次は仕事の旅

あの時は19才くらいでしたけど、日本に戻ってきて少しフラフラしてたんですよ。それで友達に会ってもアジアの話したり、割り箸は使わないっていって飲み屋に行ってもみんなに箸を渡したりしてたんですけど、結局みんなから嫌われるんです(笑)。嫌なヤツになって。それであんまりそういうことやってたら、うちの父親に怒られてね。おまえは旅に出て大変だったかもしれないけど、みんなが日本で一生懸命生きて働いている中にそんなことをガチャガチャ言っても何にもならないって。自分の家が東京にあってごはんも食べられるような、そんな甘えた状態で言うな、もっとしっかりしろっていうんです。
それで、そうかー、それなら仕事をしてみようと思って、環境関係とか自然食関係の仕事をしたいなって探したんですが、なかなか自分がぴんとくるところがなくて、たまたまHISっていう旅行会社にバイトで入ることになったんです。今よりもずっと小さな会社で、社長が夢をもっていていい会社でしたね。それでしばらく働いたあと一段落したときに、ロスへのチケットが残っていたのでやめてアメリカに行こうかと思ってたら、HISの香港支社に行かないかって言われて、前に香港に行った時にここなら住んでもいいなってすごくエネルギーを感じてたのでやることにしたんです。香港は資本主義の権化みたいなところでしたけどね。それで結局半年くらいしかいなかったわけですが、香港では英語の勉強になったし、今でも香港訛の英語なんでよく笑われるんですよ。こんなんで通じるのかって。アメリカとか行っても日本人に思われないし(笑)。

東京は大きな油田なんです

その後、ほんコミとかネグロスのバナナを輸入するオルタトレードとか、いろんな仕事したんです。その合間にうちの仕事が忙しい年末にちょっと手伝ってと言われてやってみたときに、エッ、もしかして自分はここじゃないかって思ってわくわくしたんですよ。それが23才くらいの時かな。
それで染谷商店に戻って、自社商品の開発とか自社回収とかを提案したんです。というのは、そのころうちはリサイクル工場の経営だけをして、回収は回収業者にまかせてたんです。以前から廃油は燃料以外に家畜の餌とか石けんの原料とかに百パーセントリサイクルしてます。そうするとうちにとっては廃油は原料なんですが、それを回収業者にあんまり頼ってしまうと、相場が悪い時に原料が入らなくなってしまうわけです。そういうこともあるので、染谷商店で自主回収した方がいいって提案したら、じゃあ自分でやれって言われて、それで回収部隊を作ったんです。それから3年位してVDFができたんですけど、その頃から後継者不足とか3Kといってきついとか汚い仕事は嫌われる傾向がありましたね。それで、なんであいつはそんなことやるんだって聞かれたときに、「油を回収するって夢があるんです」って応えてたんです。「東京は大きな油田なんですよ」って。そしたらまさしくその言葉通りにVDFが生まれていったんですよ。最近では環境問題も注目されているから、若いスタッフもけっこう充実してきてます。

ユーズの森でやりたいこと

97年の3月にユーズを設立。染谷商店から歩いて3分くらいのマンションの一階部分を借りて改装、本屋をオープンした。この本屋は基本的には集まってきた古本ばかりだが、なるべく自然環境や食、ソフトエネルギーなど、ほんコミやほびっと村に置いてあるような本を中心にしていきたいそうだ。また墨田区は雨水利用が盛んなので、そんな情報もここに来れば得られるような場所にしたいという。

ゆみ● 墨田区というのは元々ものづくりの街なんですよ。いろんなものづくりの人がいて、ここに置いてるテーブルやミニチュアの車なんかもそういう人たちが作ったものなんですが、ここでギャラリー風に見て欲しいんです。もちろん地域の人たちに一番愛されるスペースにしたいし、同時にたくさんの人が墨田の街に足を踏み入れて、近所でジュースの一本でも飲んでくれれば地域活性化に少しでもつながるかなと(笑)。ユーズがオープンしたおかげで隣がもうかったと言われたら嬉しいじゃないですか。

ユーズはひろびろとしたぜいたくな空間で内装もお洒落だ。全体で百坪ほどある中で3分の1ほどづつの事務所スペースと本屋のスペースとフリースペースに分かれている。本屋ではすべて定価の半額で売ってるので、中には掘り出し物も見つかりそうだ。
フリースペースには椅子やテーブル、ピアノなどが置いてあったり、VDFの機械が展示してある。しかもそれぞれのスペースの間に仕切がほとんどなく、一体感があるのでよけい広く感じる。講座やミニコンサートなどのイベントもやっていきたいと、ゆみさんの夢はふくらむ。きっとこの地域の新しい文化の渦の目玉になっていきそうだ。

VDFが都産業技術大賞受賞

このインタビューをしたつい数日前、染谷商店が独自に開発したVDFが第1回目の東京都産業技術大賞を受賞した。VDFは本誌でも昔紹介したことがあるもので、廃油を原料にしてディーゼルエンジンの燃料を生み出すという、環境問題解決の一石二鳥の機械だ。

ゆみ● これからの新しい循環型社会に役立つと認められたんです。他にももっと技術的に高いものがありましたけど、VDFが大賞をとれたのは面白みと一般の人に分かりやすいということがあったと思いますね。今までやってきたことが認められたっていうことで、私よりも父親の方が喜んでました。染谷商店は私の祖父が始めたんですけど、今年で50周年なんですよ。今でこそこういう仕事はリサイクルだとかいってイメージ悪くないですが、昔は廃棄物を処理する工場ということで近所からも嫌がられたり、汚れたきたない仕事だってコンプレックスもあったんです。こういう燃料の開発ができたってことが大きいですけど、それがこうやってみなさんに認めていただいたのは感無量みたいですね。     
★ユーズでは現在日曜日に休んでいる本屋を開けるためスタッフ募集中!


右手のものが廃食油のリサイクル機械

★ユーズの森(株式会社ユーズ):
〒131-0041 東京都墨田区八広3-39-5
Tel. 03-3613-1615 Fax.3613-1633
E-mail: yu-z@vdf.co.jp
染谷商店ホームページ:http://www.vdf.co.jp

93=1999年2・3月号

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