amanakuni Home Page | なまえのない新聞ハーブ&アロマテラピー | 八丈島の部屋

名前のない新聞No.92=1998.11・12月号より

「五体不満足」

でもボクは毎日が楽しいよ

      〜乙武洋匡くんに聞く

長文注意! ダウンロードしてお読み下さい。

一緒に食事をしながらのインタビューで、器用な食べ方に見とれてしまった。途中で友人?からかかってきた携帯電話に出るなど、大学生してるーと感心。笑顔がとってもさわやかな印象でした。


 乙武洋匡 (おとたけ・ひろただ)くんは現在早稲田大学政経学部の3年生。生まれつき手足がない彼は、特注の電動車椅子に乗ってどこにでも出かける。大学だけでなく青山にショッピング、鎌倉にデート……春休みには仲間と海外旅行、ふつうの大学生と変わらない。変わらないどころか、たいがいの大人以上にポジティブな発想ではっきりと自分の考えを人に伝えることができ、頭も良くさわやかな印象の青年だ。

 そんな乙武君が、いま最も力を入れているのが講演活動。「講演の合間に大学に行っている」とは本人の弁。「心のバリアフリー」を説いて全国を飛び回っている。また、この10月には彼のはじめての本『五体不満足』が発売されたので、講演会でどんな話をしてるのか聞いてみたくなった。(聞き手・文責:浜田)


-- 本のタイトルがすごいですね。

乙武● この本で何が言いたいかというと、題名も『五体不満足』という、クレームがつきかねないようなショッキングなものなんですが、なんでそういう題にしたかというと、普通子供が生まれてくる時に親がはせる思いにいろいろあるんですが、最低条件として五体満足であってくれたならどんな子供でもいいやっていうことを言いますよね。その点、僕は五体が不満足どころか五体のうち四体がなくて生まれてきたわけです。それはすごく親不孝な息子で、生まれてくる価値がなかったかというとそうでもないと思う。親はほんとにかわいがって育ててくれたし、何より自分自身が毎日楽しく過ごしている。だから五体満足であろうが手足が無かろうが、幸せな人生を送るっていうことに関しては関係ないんじゃない?ってことを言いたいんです。

 そして障害者に対して、もっと元気出していこうよっていうのは、障害者でないと言えないって思うんです。健常者に対してだと誰が言ってもそうかって思うけど、障害者に対しては健常者が言うと、それはオマエが健常者だからっていう言葉が絶対出てきますから。

-- 講演が多いそうですが、どんな話をするんですか?

乙武● 何を話すかというのは対象によって違って来るんですが、多いのは小中学校の子ども達相手です。僕が一番大切にしてるのも、その世代への語りかけなんですよ。こういう活動自体、手足のない僕にしかできないことと思ってやってるんですが、しばらくやってみて気づいたのは、同じ僕でも今の僕にしかできないことってあるだろうなって思ったんです。僕が四十代、五十代になってから子供達に語りかけるのと、まだ十歳くらいしか開きのない今、まだおにいちゃんと呼んでもらえる今語りかけるのとではやっぱり彼らの心の中では違うと思うんです。もちろん四十代にならないとできないことも当然出てくるはずなので、そういうことを考えると今の自分にしかできないこととして子供達に語りかけることがあるなと思ってるんです。その中でメッセージとして一番大切にしてるのは、「ほらね何にも変わらないでしょ」っていうことです。やっぱり子どもって正直というか残酷ですから、身を引いちゃったり、「なんだあれー気持ち悪い」って言うんですよね。それは今まで見たこともないんだから当然のことだと思うんです。でも僕が少しお話したり、僕は中学時代にバスケ部だったんで、子供達の前でドリブルを見せたり、ボールを投げてもらってそれを遠くまでバットで打ったりとかすると、子ども達はへ〜とびっくりして、なーんだおにいちゃんと一緒に遊べるじゃないっていう感じを持つんでしょうね。それでみんな慣れてきてくれて真剣に話を聞いてくれるようになるんです。そのあと一緒に給食を食べたりゲームをしたりすると、それまでは何だあの変な車椅子に乗った人はと思ってたのが、そのへんのおにいちゃんという感覚で接してくれて、帰るときは乙くんまた来てね〜!って言ってくれるんですよね。

 子ども達って元々はバリアが無いわけです。障害者の人にあんまり触れちゃいけない見ちゃいけないって思いは全くないですから、そこで彼らの疑問を解きさえすれば、バリアはなくなってると思うんです。逆に街で親子連れとすれ違ったりして、子どもが「お母さん、あの人変なものに乗ってるよ、何?」と聞いたときに、大人が子どもに見ちゃだめって子どもを引っ張って行ってしまうみたいなことがあるわけです。   もっと心のバリアを取り除くためには、お互いに交流することが大事だって思ってるので、子ども達への講演活動を今一番大切にしてるんです。

 大人対象の講演会というと、だいたいは行政主宰で、障害者にとって住みやすい街とはという福祉の街づくりみたいなテーマが多いです。そこで、モノのバリアについての話をしてくれと言われた時は、前半ではそういう話をしても最後は敢えて心のバリアを取り除くことの重要性を話すんです。いくら物理的なバリアを取り除こうとしても、何もわかってない人が作れば、傾斜が急すぎて上れないスロープができたりするわけで、ハードを作る人間自身がいかに高齢者や障害者に対する理解や配慮があるのかということになるから、まずは心のバリアなんですよって話すんです。

 子どもの頃から普通クラスに通って勉強してきたという乙武くんだが、よほど主張しないと養護学級などに行かされてしまう状況はあるようだ。学校も行政だから、何かあった時の責任を一番恐れるのだろう。校長先生がOKを出してくれても教育委員会から異議が出て何回も足を運んだりした経験がある。

 四肢切断、両手両足がない者が普通学級に入るのは明治で学制が敷かれて始めてのことだったという。でも字もそのころから書けたので、授業自体は別に問題なく、また勉強の中でも体育が一番好きだったので、見学させられるのがいやで体育の授業も積極的に参加したという。先生や自分で工夫して、みんなと全く同じことをするというのではなくても、差をもうけて同じ様な課題を課すなどしたそうだ。

 いまは早稲田の町づくりにも関わっている。早稲田の商店会が、ゴミとか環境面だけでなく福祉だとか防災を含めた総合的な街づくりを目指してエコサマーフェスティバルやゴミゼロ平常時実験という街づくりのイベントをやりはじめ、早稲田大学の学生がまだほとんど参加していなかった頃、バリアフリーというなら当事者に参加してほしいと誘われて参加するようになった。

 今では商店会長の安井さん(本誌7月号に登場)と二人で講演に呼ばれることも多い。「掛合漫才をやってるようなものです」と笑う。

-- 心のバリアっていう言葉は最近よく耳にしますが、では実際にどうすればいいんでしょう。

乙武● 心のバリアを壊すには慣れることが一つと、もう一つは特に子でも達に言ってることなんですが、もっと自分に誇りを持つことだと思うんです。今の子たちって、どうせ自分なんてって思う人が多いじゃないですか。でもそれによってどんどん自分の人生をつまらなくしていってると思うんです。僕が今どうしてこういうことしてるかっていうと、大学に入ってから自分にしかできないことは何だろうって考えたんです。世界中を見渡しても自分と全く同じ人間ていない、全員が違う。ということは絶対その人にしかできないことがあるはずなんです。すると、どうせ自分なんてという言葉は出なくなる。だから子ども達には自分は一人しかいない、自分はすごいんだって、自分に誇りを持ってほしいなと思ってるんです。そしてもしそれができたら、目の前にいる人のその人らしさも大切にできるようになるんです。それが多様性を認められるっていうことにつながっていると思うんです。

-- 重い障害があるのに発想がすごくポジティブだなって感心してしまうんですが‥‥

乙武● もともと障害をマイナスととらえてないんです。子どもの頃、目立ちたがりやだったんですよ。車椅子に乗って街を歩いてると目立つじゃないですか。すれ違う人すれ違う人が僕を見るわけです。普通の人なら自分はなんでこんな体なんだろうって思うかもしれませんが、僕の場合は喜んでたんです。目立ってるなって思って。だから大人になるまで障害者でいやだなーって思ったことは全然なかったです。それがそのまま来ちゃって、ある時ふと自分はなんで障害者なんだろうって考えてみたときに、これはきっと何か役割があるんだろうって思ったんです。だから、よく「障害を乗り越えて」とか「ハンディキャップを克服して」って言われるんですが、そういう想いが僕にはないんです。

 僕の場合大きかったのは先天性だったことだ思います。浜田さんだって自分の手が4本あったらよかったのにって思ったことないでしょ? 僕も最初から手がなくて生まれてきたので、あったら良かったのにってあんまり思わないんですよ。途中で手がなくなったのなら違うと思うんですが、最初からこれでしたから。僕の感覚では、僕が手足があったらあれもできるこれもできると思うのは、一般の人間がもし自分の足がもっと長くて顔がきれいだったら芸能人になれたのにって思うのと一緒じゃないかなって思うんです。

 人間にとって何かマイナスと一見思われるようなことって、ほとんどの場合、あとでその人にとってプラスになってると思うんです。さっき言ったように、誰でもが自分にしかできないことを持っていて、それを自分の人生でするっていうのが使命だと思うんですが、僕の場合は手足がないことによってそれを見つけやすかったと思うんです。そういう意味では手足がなかったことはプラスになってると思うし、子どものころの目立って良かったなと思っていたのとはまた違う意味で良かったなと思いますね。

-- 自分の役割とか使命がわかって生きられるってすばらしいことですね。

乙武● 僕がこういうことやっていて嬉しかったのは、去年の夏くらいに話しに行った小学校で登校拒否の女の子がいたんです。あとで担任の先生から聞いたんですが、僕が話した日は来てくれていたらしくて、感想文を全員に書かせたところ、その子が「乙武さんはあんな体でがんばってるのに、自分はほんとにつまらないわがままでみんなにも迷惑をかけて恥ずかしいと思いました」って書いて、その後学校に来るようになったというんです。それを聞いて、すごく自分のやってることに自信がもてたしやって良かったなって嬉しく思いましたね。

 世紀末の時代にはいいも悪いも一気に押し寄せてきて、若くして悟ってしまう人もたくさん出てくるという話しを聞いたことがあるが、乙武くんはその一人なのかもしれない。自分にしかできない、自分ならではの役割を心得て生きることができたら、波瀾万丈の生涯でも心の内はやすらかだろう。将来が楽しみな青年というのは陳腐な表現だが、ほんとにそう感じたインタビューだった。(聞き手・文責:浜田)


【BOOKS】

発売されたばかりの本『五体不満足』で、彼はこう書いています。

〜声を大にして言いたい。「障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ」。

健常者として生まれても、ふさぎこんだ暗い人生を送る人もいる。そうかと思えば、手も足もないのに、毎日、ノー天気に生きている人間もいる。関係ないのだ、障害なんて。(あとがきより)〜

そう考える乙武君の22年間の人生すべてを綴ったのが本書。堅い話は抜きにしても、乙武君の22年間には抱腹絶倒のエピソードがいっぱいで、しかも読めばちょっぴりやさしい気持ちになれる……そんな本だと思います。       定価:1600円(税別)(講談社刊)

その後、12月はじめの段階で、もう40万部売れたとか。100万部、いや300万部いきそうと、まわりの人が盛り上がっています。

なまえのない新聞のHome Page

amanakuni Home Page