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LOVE & PEACEの時代〈IMAGIN〉

名前のない新聞35周年記念に寄せて

アイデコしんや


 「名前のない新聞」35周年記念おめでとう! 思い出せばあの頃「名前のない新聞」は面白かったネエ! 70年代という時代の面白さもあったけど、若者の反抗心や時代に対する自分たちの姿勢もよくでてて、あのガリ版刷りのペーパー、次の号を早く読みたいものでありました。当時35才くらいだった僕にとっても新鮮な刺激・情報を与えてくれたものです。
 そう! あの頃といえばロック、ヒッピー、カウンターカルチャー、学生運動、ドラッグ、ウーマンリブ、精神世界、サイケデリック、LOVE & PEACE、など色んな要素がからみ合って燃えてた時代だったんだろうね。あの時たまたま僕が吉祥寺にロックのライブハウス“OZ”をプロデュースし若者達に全部運営をまかせた事がある。その時「名前のない新聞」も一時OZに事務所を置いてた時もあった。時々しか顔を出さないオイラはよく知らなかったけど、あの時あの“解放区”で色んなドラマがあったらしい事はあとで少し聞いたぞ。あれから35年、「名前のない新聞」あるいは「OZ」を通過した若者たちが今どこでどんな「LOVE & PEACE」を送っているかな?と時々想う事もある。
 ところでかく言う僕も今や71才と立派?にジジイとなっている。そしてあの頃は思いもしなかった人生をやらされているんであります。たしかに僕はロック好き、そしてジミヘンドリックス、ボブディラン、ジョンレノン、ミックジャガーには大変影響をうけてた事はたしかだ。リスナーとしてね。
 でも東京生活34年、いいかげん東京もあきて田舎暮らしをしたいという想いがあった頃、なぜか茨城県は笠間に引っ越した。今思えば笠間がどんなとこかもよく知らず、1回来ただけで笠間に住む事に決めた事自体、自分でも不思議なんだけど、この縁はあえて言えばジョンレノンの導きがあったとでも言うしかないような「アッ!」という間の展開であった。
 そして今日は折しもジョンレノンの命日、ジョンの訃報をラジオで聴いたあの日、僕は殆ど悲しまず「ほびっと村」の前の道路、天空に向け大きいスピーカーでガンガン、ジョンの歌をかけまくった。実年齢はジョンより僕の方が上なんだけど、ジョンは兄貴という存在だった。そして「ジョン! 及ばずながらジョンの跡はオイラが受け継ぐよ」と心の中で言ったのだった。これはあくまでも僕のイメージだからね。でもイメージがあれば現実化されるという事実もあるようだ。
 僕が笠間に来たのは平成元年、念願のハタケをやってみたら、あまりにも実って驚いた。「食べる方が間に合わない!」それを日記風に書いてみたところ、自然に曲もつき、僕の初めての曲「はたけの唄」ができたのであった。又笠間に来て思いがけなかったのは、「笠間まつり」という焼き物の祭りがあった事だ。平成2年、焼物屋たちのその祭りに参加し始めた事から、僕は思いがけず55才で人前でウタを歌い始めたのであった。カサマのマサカ?!な展開の始まりでした。そんな事を重ねているうち芸人としての自覚も芽生え、今から8年前頃、はずかしさを超えて「笠間の芸人アイデコしんや」と名のることとした。しかし恥を超えてこんな事を自分から言い出すなんてバカだから出来る事だと自覚しております。
 そして60才にしてバンドが出来、10年後、70才にして初CDをリリースしたってわけです。シカシ笠間に来てウツが始まり、死にたいくらいの状況を味わった事も事実です。大変つらい事であります。生きてると良い事もあれば大変な事もあるというわけでして、でもウツをやったおかげで今ウツ力(ヂカラ)というものを獲得し、少しは強くなったと思えるのであります。
 いつの間にやら自分の事を長々と書いてしまいましたが、ポイントは70年代のLOVE & PEACEが今この時、新たな2008年に向けどうつながってゆくかのライブです。このちょっと閉塞感のあるこの時「今」だからこそLOVE & PEACEにかけるそれぞれのライブが大切・必要なんだと思う今日この頃です。
 さて、お金の事を言うのもなんですが、僕はこの12月に2つのライブでギャラをもらうという生まれてこの方初めての体験をすることになっております。
 一つは今日、12月8日、日立のホテルでサーファー達と忘年会があり、よばれております。もう一つは70年代ほびっとで出会ったポラン広場系の今井君からのさそいで、16日東京青山での「有機農業推進法成立」一周年記念集会&パーティによばれているのです。集会には超党派国会議員の方とかいろいろいらっしゃるようです。そこでも一曲と所望あり、今手ぐすね引いている状況カナ? 青山クレヨンハウスで行われるパーティでは藤本&加藤登紀子さんの次女であられるYAEさんのライブに次いでオーガニック芸人アイデコしんやのライブという段取りだそうです。そんなわけで超オクテの宇宙人の僕にもやっと表現の時がやって来た。71才になった今が僕にとっての今が一番のリアルタイムかもしれないぞーと思えるのです。力をぬいてやってみよう。
 ところで名前のない新聞編集長アパッチへの提案ですが、タイムカプセル開けてくれ! 70年代初期の記事を1ページでもいいから見せてくれ! ついでに初心思い出せ!ということで、そこんとこよろしく! 
 最後に、皆様、我がBBS、http://aideco.net/にも気軽に遊びに来て下さい。では SEE YOU!

●プロフィール:
 1960年 武蔵野美術学校西洋画科卒
 1972年 吉祥寺にてライブハウスOZプロデュース
 1973年 西荻窪にWORK SHOP ジャム ハウス OPEN
 1974年 西荻商店街の空き地で西荻街まつり開催
 1975年 ジャパニーズヒッピー達と西荻にほびっと村設立。
        笠間移住まで村長職
 1989年 笠間ひまつり参加
 1996年 アイデコバンド誕生
 2005年 CD「It's アイデコワールド」リリース
 2007年 ロックンローラー、芸人として活動中



No.146=2008年1・2月号

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