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第11回

ありのままに生きるうつくしさ

映画『ロバート・イーズ』を見た
ある日に感じたこと

 (文・写真:ほった さとこ)


   ロバート・イーズさんは1945年にアメリカのウエストヴァージニア州で、バーバラというおんなの子として生まれ、おんなとして2回結婚、おとことして1回結婚、2回目の結婚でふたりの子供に恵まれた。35歳になりおっぱいを取る手術をして、ロバートというおとこになる。そして、いまから6年前の1999年に亡くなった。病院に行ったときには癌が子宮や子宮頸、卵巣にまで広がっていて、末期の癌だった。
 そういう彼の最後の一年間を追ったドキュメンタリー映画が『ロバート・イーズ』だ。「女が“女”を語る瞬間(とき)inドキュメンタリー」で3本の映画が上映され、その中に『ロバート・イーズ』があった。ロバートさんについて何もしらなかったけれど、映画の案内を見て、どういう人で、どんな人生を送ったのか、知りたくなった。
 映画の中のロバートさんは、黒いカウボーイハットにGパンで片手にはいつもパイプやたばこ。そして髭をはやした顔で穏やかに笑っているおじさんだった。男としては声がちょっと高めかなと思うけど、バーベキューでがんがんお肉を焼いているアメリカ人のおじさん。
 映画は4つに分かれていてspring(春)から始まる。ロバートさんは元気。自分の病気のことを知っていて、静かに受け入れている。ロバートさんと同じトランスジェンダーのともだちやその恋人や家族は時間を惜しむかのように、頻繁に集まり、食事をして、会話をする。それらの映像から、わたしはロバートさんたちのおかれている状況や過去の体験、喜び、悲しみが伝わってくる。身体を自分の自然な性にするための手術費用の高さ、医師の対応や施術のずさんさ、家族からの孤立、社会から差別されていること。ロバートさん自身、もっと適切な医療が受けられる環境にいたら、ガンの発見も早かったかもしれないし、もっと長く生きる可能性があったと思う。
 ある日、ロバートさんに息子さんが会いにきて「母からは自分に正直であれ」と教わったというシーンがある。ロバートさんは現実はよく知っているし体験してきたけれど、息子が、両親が、孫が会いに来る。ロバートさんは過去を受け入れている。彼の父親は世間には甥であると伝えつつも、ロバートさんを受け入れている。
 映画は季節とともにロバートさんの身体が弱っていく様子を映す。映画の始まりの頃にお互いに引かれ合っているローラさんという女性(この人もトランスジェンダー。おとことして生まれたけど、おんなの感覚を持っている。でも仕事ではおとこで通している。)がいて、ロバートさんとローラさんはこれ以上なかよくなるとお互いにつらいので、深くなっていくことを躊躇していた。しかしお互いがもっと必要な存在となり、ロバートさんが一人で生活していくことが困難になると、ローラさんは自宅に引き取り一緒に生活をする。そして、ロバートさんはローラさんを見つめて「自分の理想の女性に会えた」とカメラを前にぬけぬけという。とてもうれしそうに、そしてかっこよく。そしたらローラさんは顔を赤くして照れるのだ。ローラさんはロバートさんとの出会いによって、ありのままでいていいんだということ、それを受け入れてくれる人がいるんだということを知った。そしてローラさんはがんばって自分を守っていた壁や飾りを落とし、シンプルな人になる。それを見ているわたしまで、自分がそのままの自分でよくて、生まれてきたことはすばらしいんだと言われているような、うれしい気持ちになった。ローラさんとロバートさんのシーンはどれもほんとうにきれいだった。映像が完璧でうつくしいという意味ではない。人と人とが出会い、信頼して、心をひらいて、愛がそこにあることが見える。その二人が出しているやわらかい視線、深いよろこびがきれいなのだ。
 秋になり、ロバートさんは一人で歩くことがあぶなっかしくなる。痛みなどを抑える薬の影響もあるのか、言葉もろれつがまわらない。でも、ロバートさんがぜひ出たいと望んでいるトランスジェンダーの大会(ワークショップや勉強会、コンサートなど盛りだくさん)があった。仲間たちは心配をしてサポートを申し出たりする。だけれども、ロバートさんは一人で舞台に上がり、そこに集った人たちをわたしのもうひとつの家族と呼び、愛を伝える。そしてその日の夜には、タキシードを来て、ローラさんとダンスを踊った。
 冬になり、ロバートさんは亡くなった。このドキュメンタリー映画の監督はケイト・デイビスという1960年生まれのNYに住むアメリカ人女性。ドキュメンタリー映画の制作で訪れたトランスセクシュアルの大会でロバートさんに出会い、生き方や人柄から映画を撮りたいと思ったそうだ。映画を見ていると、ケイトさんが撮影をしながら、ロバートさんや仲間たちと一緒に泣いたり笑ったり心が揺れたりしている感じがした。きっとなかよしになっていたんだね。わたしはケイトさんの目を借りて、ロバートさんを見ることができた。映画はニューヨークの映画館で2週間上映されて、次はアメリカのHome Box Office(アメリカ最大のケーブルテレビネットワーク)で放映。そして、サンダンス映画祭やベルリン映画祭、ヴェイナ・ゲイ&レズビアン映画祭、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭など、多くの映画祭で上映、絶賛された。そして、2005年のある冬の日にわたしは日本でロバートさんを知った。おんなからおとこへ性転換したトランスジェンダーのロバートさん。ロバートさんは自分をありのままにあらわし、生きていた。
 わたしは、エコロジーとかヒッピーとかオーガニックとかネイティブっていう言葉や思想が当たり前にある世界にわりといて、そこで出会うひとたちの多くは、やさしくて、正直で、その人らしい生き方をしていたり模索したりしている。そんな世界にいてもトランスジェンダーの人に会ったことがない。ましてや、近所や仕事先、いろんな場所で、トランスジェンダーだという人になかなか会わないものだ。もちろん言わなきゃいけないことではないんだけど隠さなくちゃという社会がまだまだあるんだろうな。狭くて淋しい世の中だ。ただただ人がその人らしく生きていける社会、弱者も強者もなく、負け組も勝ち組もなく、人間だけが偉いところに立っていない社会がいいのにな。愛をいっぱい持っていて、過去を乗り越えて、生ききったロバートさんだって、映画の出演には躊躇したし、公開が自分の死後だから受けたという話もある。差別の根深さを感じる。人が人として生まれてきて一番悲しいことは、あるがままのその人を否定されることだ。この映画からわたしはたくさんの悲しみを感じた。でも、ロバートさんにはそういうものに対する恨みはなかった。恨みや憎しみが幸せをもたらさないこと、あるがままの自分が充分すばらしいこと、愛をはぐくむ幸せをすごく、ほんとうに深く知っていたんだろうな。

トランスジェンダーとは、自分が生まれたときの性別と自分の認識にギャップがある人たちのこと。この中に、トランスセクシュアルや性同一障害も含まれます。詳しくは「Trans-Net Japan/TSとTGを支える人々の会の公式サイト(http://www.tnjapan.com/home.htm)」をご覧ください。普段の活動は、プライバシーへの配慮から参加者を当事者やその家族、パートナー、支援者に限定していますが、サイトの中に、性同一性障害、トランスセクシュアル、トランスジェンダーに関する用語集や性同一性障害のための医療機関等リストなどが掲載されています。とても丁寧でわかりやすいです。
『ロバート・イーズ』(原題:ROBERT EADS)は2000年にアメリカで製作されました。現在は、今回のような機会以外に日本での公開はありません。興味を持たれた方は配給会社の(株)パンドラ(電話 03-3555-3987,  公式サイト http://www.pan-dora.co.jp/)まで問い合わせください。また、DVDでの販売はあります。 



No.134=2006年1・2月号

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