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カムナ葦船プロジェクト代表 石川仁さん インタビュー

みんなの思いやメッセージを積み込んで発信する葦船

次の目標は、太平洋横断!

葦船とは、行きたい場所に向かう船ではなく、
自然とともに行くべき場所にたどり着く船のこと。
前から風が吹けばバックして、
横から風が吹けば横に流れ
風が吹かなければ、ジーッと待つしかない船。
そもそも、風は最初から最後まで
一直線に吹くことなんてないのだから。
いつどこにたどり着くかわからないという
一見無謀な航海は
人間が自然をコントロールしていくのではなく
自然にゆだねるという感覚を思い出すための旅。

 葦(アシ)といえば、日本の水辺の原風景。強い浄化力があって、水を清らかに保ってくれる植物だ。古代の人たちは、その葦を束ねて船を造っていた。メソポタミアの壁画(6000年前)をはじめ、世界中にその記録は残っていて、かつての海洋民族たちは葦船で大海原を渡り、大陸間の文化交流をしていたと考えられている。
 今年の5月、日本中から集められた葦を使い、のべ300人の手で葦船「カムナ号」が誕生した。潮の流れと風まかせ、無動力の昔のままの船だ。8人のクルーをのせて四国の足摺岬を出発、約13日後に伊豆諸島に到着した。大島の港で出迎えに立ち会うことができた私は、まずその姿の美しさに感動してしまった。
 キャプテンの石川仁さんは、これまで世界各地を旅し、様々な先住民と生活を共にしてきた。そしてチチカカ湖で葦船に出会い魅了されて以来、いくつかの航海プロジェクトに関わり経験を積んだ。日本では「葦船学校」を通し、子どもや大人達に葦船づくりの楽しさを教えている。今回は仁さんの長い旅のプロセスや、これからの展望についてお話してもらった。 (聞き手・植草ますみ)

●葦船との出会いを聞かせて下さい。

仁: ペルーでガイドの仕事をしてる時、チチカカ湖に浮かぶ葦船をみて「生きものだ!」と思った。生きていると感じてしまったのね。その時スペイン人の冒険家であるキティンさんに出会い、プロジェクトに参加しないかって声をかけられた。彼は古代の海の道の検証、民族の移動が葦船であったことを証明するために、太平洋横断を計画していて。俺自身は学術的なことはともかく、葦船という乗りものにすごく魅せらて。100%天然の素材、シンプルで性能がよく、人間がコントロールできないっていうところがまた気に入っちゃってね。
 初めての航海は98年、南米チリ〜ポリネシア・マルケサス諸島までの8千km、88日間の旅。4ヶ月前に現地に入って職人から技術を学びながら、共同で大きな葦船を作って。

●海の上の生活ってどんな感覚なんですか?

仁: 魚を釣って食べて、海から栄養をもらう。自給自足の生活だよね。俺たちが出したウンコをまた魚が食べて。海というお母さんと、葦船という胎盤を通してへその緒でつながってるみたいな感覚かな。時計も曜日も関係なく、誰かに連絡しなくちゃなんてこともないし、お金も関係ないしね。お酒もたばこもない。座ってゆっくり、ポケっとする時間がいっぱいある。赤道の近くの無風地帯なんて、それは静かなんだよ。さざ波ひとつたたない、揺れてないから音もない。きれいだよ。鏡のよう。場がゼロの状態。見張りや舵もお休みだから、皆穏やかに座ってる。そういう時って「何もしてない」ように見えるけど、逆に、色んな情報をダウンロードしてるんじゃないかなと思うのね。頭で考えることや、やらなきゃいけないことがある時とはまた違う回路で。やるべきことをやって、すっきり安らいでゆるんだときに、はじめて受けとれる色んな情報というか、何か大事なものがあるんじゃないかな。それに、海の上って地面からすごい離れてるでしょ、特に太平洋の真ん中なんて、何千mもある。そうすると磁場の影響がほとんどない。ラジオや携帯もない。だから海の上というのは、もっとクリアな生命感のある空間なのね。

航海中の葦船カムナ号↓

●それは古代の世界により近いですね。

仁: そう、だから海の上にはおそらく、数万年前と変わらない情報が降り注いでる。水は、色んな情報を蓄える媒体でしょ。光も音も波動だから、星が光って水に反映されたとき、その星の情報が水にうつされる。ニュートリノや目に見えない素粒子、宇宙線っていうのかな、そういう情報がつまったつぶつぶが、海の水にたまっているんじゃないかと感じるんだよね。海は大きなパラボラアンテナのようなもの。その中でポケっとしてるときに、色んな言葉をダウンロードして聴くことができる。自分がもう一皮むければ、たとえ東京のど真ん中でもそういう空間を作り出せるとは思うんだけどね。

●海の生命体との出会いもあるでしょう。

仁: 一番印象的だったのはマッコウクジラかな。潜って船を修理してたとき、目の前で2頭がクロスしたのね。それからまたUターンして、触れんばかりだった。その瞬間、髪の毛が逆立つような感動。そのとき初めて、「海の世界」があるんだ!って実感した。自分はずっと陸にいたけど、地球には、海の中や、地面の中にも独自の世界があるんだってことを初めて意識した瞬間だった。イルカやクジラは、元々は陸の世界の記憶も残ってるはずなんだよね。彼らは息を外側で吸うでしょ。ということは水の外の情報を呼吸という形で取り入れてる。陸の情報を海の世界に翻訳している。彼らには海と陸とを結ぶ大事な役目があるんだね。将来、彼らと人間がもっとうまくコミュニケーションできるようになったら、海側と陸側のバランスがとれるようになって、この星は本当にいい音〜本来の音をだしはじめると思うよ。葦船の一つの役割は、海からの手紙を運ぶことだと思ってるの。それが何だか、俺もまだわからないけどね。わかる人はきっといるはずだから。

●ところで、航海のルートって、予想通りにいけるものなんでしょうか?

仁: そのプロジェクトの時はチリを出発して、最初はハワイ経由で日本を目指すつもりだった。でも無風地帯で立ち往生したり、結局赤道を越えられなかったんだよね。2ヶ月半たった頃、葦の束を括ってたロープが膨張して、船が真ん中から壊れ始めてね。それで舵のある前半分を切り落として、後半分の船体で航海を続けたの。にもかかわらず素晴らしい旅だったな。

● まっ2つに割れても浮いていられる船なんて、葦船以外にないですね。そんな時パニックにはならなかったの?

仁:半分でも航海は続けられるって安心感はあったからね。それは体で感じること。でもその時、一番近い島まで千キロ。周囲360度の中のたった1つの島が千キロ先だったから、確率としてはゼロに近い。舵があったとしても、たどり着くのは至難の業。なのに、舵さえなくなって、完全にゆだねたときに、船はまっすぐその島に向かって行ったんだよ。感動したよ。島が見えたとき、皆それはもう大喜び! 死ぬかもしれないっていうプレッシャーから解放されたわけだから。“運ばれた”って俺は思ってる。船が2つに割れたのは、ロープの質がよくなかったこともあるけど、乗組員が2手に分れて調和しきれなかったことの象徴だった気もする。でもそのお陰で、またひとつに結ばれるきっかけも出来たり。葦船自身が、自ら2つに割れる意志も持っていれば、千キロ先の島へ運んでくれる意志も持っている。そういうのがあるからこそ、葦船で旅するということへの信頼感があるんだ。自分たちが、そんなにへんてこりんな考えでいかなかったらだけどね。そうでなければ門前払いをされる。自分だけのために何かしようとか、コントロールしようとかね。そのとたん、出直せ!ってなる。それは海に限らずどんな世界でも同じことだと思うけど。

● 全面的に信頼するって大切なことなんですね。でも、いざ本当に命をゆだねられるかっていう状況では、私なんか体が先に逃げちゃいそう‥。

仁: 頭ではわかってても体が反応しちゃうからね。本当の自分が出てきてしまう。信頼しきれないと、恐怖に食われちゃう。カッコつけてられないし。免疫力が足りなくなって病気になっちゃう人もいるよね。そういう意味で、船という限られた空間は、本当の自分を知るための場でもある。

だから船の上で心をひらくと、
風からの声、星からの言葉、
そして海の世界の知恵がきこえてくる。
その時、自分と自然との境目が消え、 
“自然とともにある”とか“ない”とかの
向こう側まで行くことが出来ると思う。
そして、そんな海から学んだ感覚を
伝えていくことが、
葦船の目的であり、役割であるような気がする。

● ところで、仁さんは葦船に出会う前も、サハラ砂漠をラクダで単独横断したり、アラスカでイヌイットの人達と生活したり、南米のジャングルをカヌーで川下りと、命がさらけだされるような旅を沢山してきてますね。いつ頃から旅がはじまったんですか?

仁: 旅に目覚めたのは大学2年の頃、ヨーロッパの旅で荷物を全部なくしたときかな。初めてお金がまったくないという体験をした。最初の一晩は、新聞紙を体に巻いてマドリードの公園で寝て。翌日、日本人の旅人が通ったから声をかけたの。お金借りられるかと思って。そしたら彼も、「僕も荷物とられちゃったとこなんです!」。彼も「お金貸して‥」って言おうかと思ってたんだって(笑)。それでその木村君、「僕もないけど、君ももっとないから」っていって、30ドルだけ残ってたチェックのうち10ドルを俺にくれたの。貴重な10ドルだよね。嬉しかったな。それで元気になっちゃって、歩いてたら道端で足の悪い人がハーモニカを吹いてた。たまたま俺のポケットの中には、ハーモニカだけが入ってた。それでその人と一緒に俺も吹き始めて。そのうち、彼の友達が集まってきて。みんな貧乏なんだけど、すごいよくしてくれた。寝袋も貸してくれて、終電の後の地下道がいいよって教えてくれたり。そこにはいっぱい寝てる人がいて、俺も並んでその寝袋をパッとひろげた。そしたら中からコロコロって、リンゴと缶詰とパンがでてきたのね。朝飯に食べろよって書いてあった。その時体の芯から、じわーって感動が広がった。荷物がなくなって辛い思いもしたけど、それとセットで受けとるものが必ずある。旅の醍醐味なんだな。これを続けていきたいって、その時思った。
 それで、もっと身軽に行動したかったから、次のインドの旅はバッグも地図もなし。完全に手ぶらで出かけた。荷物の量は不安の量。減らすだけ減らしたら、ポケットの中に正露丸一個になっちゃった。結局飲まなかったけど(笑)。ガイドブックがあるとそれに限定されちゃうじゃない。だから先入観、知識というのをなくしていきたかった。

● テーマや目標をもって毎回旅してたんですか?

仁: その頃考えてたのは、“心地いい時間や空間”を、どうしたら俺はつくりだせるんだろう?ってこと。南インドの漁師さんの家族に出会ったときに、そんな疑問が生まれたの。ビーチで寝てた俺に声かけて泊めてくれたんだけど。その椰子の葉でできた小さな家には、本当に何もない。土の床にゴザ。鍋と竈とランプ。なのにしみじみ心地いいんだよね。バナナの葉のお皿のカレーを手で食べる。言葉がわからないから、「ご飯おいしい?」「おいしい!」「よかったよかった!」‥。それくらいなんだけど、優しさが伝わってくる。子どもたちも人なつこい。自分が生きてきた日本では、ものやお金があって、いい学校や会社にいくのが“幸せ”って教えられてきた。でもそういうのとは全く関係ないところで、この人達は生きてる。なのにこんなに“心地いい時間と空間”を作りだしている。これってどういうこと?。
 それじゃぁ「時間をさかのぼる旅」をしてみよう。もっと文明から離れて昔の生活に戻れば、ヒントが見つかるかもしれないと思ったんだね。

カムナ号制作風景(高知)↓

● それで次はどこに?

仁: 次のアフリカでは、真剣に求めて旅を続けてる本物の旅人達にいっぱい出会ったな。ある日ゲストハウスで、みんなで食べるカレーを作ってたのね。すっごい暑い中、玉ネギを1時間もずーっとかきまぜてた。何でこんな大変な思いをしてかきまぜてるのかなー俺は。それはやっぱり、みんなにおいしいカレーを作ってあげたいから。そうか、人に幸せな気分になってもらうのが、自分の“幸せ“なのかも。とはいえ今の自分に、人にあげられるだけの“幸せ”ってあるんだろうか?。“幸せ”っていうのは、自分が満ち足りていて、そこからあふれ出るから伝わるものだよな。自分が本当に幸せだと感じてなければ、それはない。もし一番の“幸せ”があるとしたら、どんな感覚だろう? それはきっと、“生まれてきただけで幸せ”って思えることじゃないかな‥。その時の俺はそう思ったのね。それだったら一度、“死ぬ”ということを体験しよう、と思ったの。ぎりぎりの状態を体験してみよう。そして生きて帰って来ることができたら、“生きているだけで幸せ”と思えるんじゃないかと。それで砂漠を2700キロ、ラクダで半年かけて単独横断した。

● 砂漠を渡るノウハウはあったの?

仁: 何も知らないまま、気持ちだけで行ってしまった‥。で最初は、遊牧民の人に「1週間だけ一緒に旅をしてほしい」って頼んで、ラクダのことや料理、水の飲み方なんかを教えてもらった。水は一日に飲める量が決まっててね。それは砂漠の人の体にあった量で、2リットル程度。俺はもっともっと飲まずにいられないのに、彼は絶対に飲ませてくれなかった。それはすごいストレスで、もう怒っちゃったよ。でもそのお陰で、体が細胞レベルで急激に変化したんだよね。一週間後には、そんなに飲まなくても平気な体になってた。地元の水には、体を適応させるための情報が入ってるんだと思う。あの時もしペットボトルみたいな、日本や外国から持ち込んだ水や食べものばかりをとってたら、もっと適応が遅かったはず。砂漠に限らずどこでもそうだけど、「地のもの」には、その場所で生活するための知恵が詰まってるよね。砂漠は色んなことを教えてくれたな。一人きりだったから、樹や風や、小さなハエにまで話しかけてた(笑)。自分と話して、心の古い引き出しをじっくり整理できた。そうすると風通しがよくなって、感覚がすごく冴えていった。

● そうやって極限の孤独みたいなものを旅してきた仁さんが、やがて葦船をライフワークとしてゆくわけだけど、今度は自然だけが相手じゃなくて、社会生活がプラスされるでしょう。船という限られた空間に、大の男が何人も。それって大変じゃないですか?

仁: だからこそ、一人の旅を終えて、みんなでの旅に挑戦しはじめたんだと思う。でも実際、船を狭いと思ったことは一度もないよ。ただの乗組員であった頃は、自分もうまく機能できてたと思う。コック長をしたときは、台所でお母さん的な役だったし(笑)、腕を生かして、鮫にアタックされながら船の修復もかってでたし‥。それに船長さんのことも、ある意味気楽に、批判的にみてもいられたんだけどね。でも今度のカムナ号で、いざ自分が船長という立場で中心の部分にたってみて、それがいかに大変なことだったかを実感してる。長であるためには、器もでかくなくちゃならないし、シャープな判断力や思いやり、自分がブレない強さをもっと身につけなくちゃって思う。

本当に大切なことは、
いつも外側にはない。
自分の心の声を聴くこと。
そうすると
本当の自分のことが
わかってくる。

葦船学校で講演する仁さん↓

● 話は戻りますが、2度目の世界航海プロジェクトはどんなだったんですか?

仁: スペインで葦船を作り始めてから出航までに、11ヶ月かかってしまったのね。台風シーズンを避けたり色々あって。作ってすぐに出航できてれば、目標の大西洋を渡れてたはず。でも水の上での放置が長すぎて、船の強度が落ちてしまった。結局、出航後1ヶ月で船が壊れて終了することに‥。ここでもまた、物理的なことだけじゃない、人間のトラブルもあってね。経由地のモロッコで、8人のうち4人のベテラン組クルーが降りてしまった。この流れは何かおかしいっていうことで。俺も迷った末に、「降りる」って船長に伝えたの。このとき初めて、俺は“自由”になった気がした。それまでは、理不尽なことでも、葦船に乗りたい一心で、我慢して受け入れてきたことが沢山あったからね。船長は、俺に「もう一晩考えて、明日答えてくれないか」って頼んできた。船が朽ちつつあって、もうあまりもたないのは誰の目にも明らか。でもスポンサーのことや色々考えると、彼としては旅を続けざるを得ない‥。そして俺はその夜、最後だから葦船に泊まったのね。解放された気持ちで、船とゆっくり話をしたの。
 「おまえはどうしたいのか?」。俺が断った理由は、死ぬ可能性があったから。でも自分の心によく聴いて、死ぬか死なないかをさておいたならば、どうか? その答えは、やっぱり「思いをまっとうしたい」。心の底にずっとあったその思いに、その時あらためて気づいた。そして「すべては自分が描いているビジョン」だってフッとわかったの。こんなふうにうまくいってない状況も、そして生まれてから今まで体験してきたビジョンもあらゆる出会いも、全部自分が創り出したものなんだ。ということは、その先も自分で創ることができる。俺が今本当にやりたいのは、この船で旅を続けること。そして死なないで帰ってくる。そのビジョンを描くこと、信じることができたのね。

● それで再び、「乗る」という選択を! 大事な選択をする時、私はそれが魂からの選択なのかどうか、わからなくなる時があります。

仁: 俺もわからなかったんだよ。最初の選択をしてみるまでは。逃げたいけど逃げられない‥みたいな、悶々としたね。でも一度「降りる」と宣言したことで精算されて、その状況からポンと外に出て、ニュートラルに戻れたのね。だから最初の降りるという選択も、プロセスとしては正解だった。悶々としたまま乗ってしまっていたのと、一度自由になった上で乗ることを選ぶのとでは、全然違う状況になっていたと思う。
 それで出航して、結局1ヶ月で船が壊れたんだけど、これも危ういところでうまくいった。本当ならダイレクトに大西洋を渡るつもりが、最寄りの島に急に停泊することになってね。着いたその日に壊れたの。その前に壊れても、通り過ぎてからでも、大変なことになっていたはず。俺にとってその旅は、結果はともかく、究極の選択を自分ができたということで、すごく意味のある旅だったな。

● その後日本に帰り、カムナ号のプロジェクトにつながるんですね。

仁: 伊豆大島で解体されたカムナ号の葦の半分は土にかえし、残りの半分はこの8月に、素敵な家に生まれ変わって命をまっとうしました。今後の目標は、太平洋横断。実現が何年後になるかはまだ未定だけど。今度は世界中の葦を集めて、大きな船を作りたいと思ってる。日本を出発して黒潮に乗り、アメリカの西海岸か、北はアラスカか、南はハワイあたりに着くのかな。もし生きて帰れたら、計り知れないメッセージを伝えるプロジェクトになると思うよ。 

カムナ号の葦を使い、制作中の葦小屋と、踊りで祝う地元の名手(伊豆大島)↑

【あとがき】 はじめて葦船と仁さんに会ったとき、「日本にもまだこんなにスケールの大きい“遊び”に命をかけちゃう人がいるんだなー」と思ってわくわくした。実際「葦船大作戦」には、そんなわくわくした人たちが老若男女とわず、全国から様々な形で参加している。汗を流す人、知恵を出す人、オーガナイズする人、“夢カード”に思いを託す人、お金を出す人‥。「葦船は、みんなの色んな思いやメッセージを積み込んで発信する乗りもの。葦の一本一本を束ねた葦船のように、一人一人が生かされてひとつになるこのプロジェクトを通して、不可能といわれていた夢がかなうことも伝えていけると思う」と仁さん。現代の希望そのものみたいな船だ。でも今回、その中核にいる仁さんが淡々と話してくれた現実のエピソードは(全部書ききれなかったけど)、短気な私なんかにはとても乗り越えられないと思ってしまうようなシビアな課題がいっぱいで唸ってしまった。予定調和とは対極にある葦船の冒険に、成功とか失敗とかの価値づけはあまり意味がない。旅の過程の一瞬一瞬をどう受けとめ、行動するかが一番大事なこと。どんな出来事にも、必要な学びがちゃんと用意されている。実は今回のカムナ号の航海も、予期せぬ事態に究極の判断を迫られる場面に何度も遭遇したそうだ。特に海の知識や技術、海上に巡らされている法律も熟知していなければ現代の海を渡れないことを痛感したという。「諸手をあげて大成功とは喜べない結果」に、仁さんはリーダーとしての責任もあり落ち込んだ。「成功を一緒に喜びたかった人たちに申し訳ない」。でもそれらのシビアな問いかけの一つ一つが、次なるより大きな夢の実現の予行演習となってくれた。「もし今回なんの問題もなく有頂天のまま、次の太平洋横断航海に出ていたら、逆に怖いことになっていたかもしれない。人に迷惑もかけたし、痛い思いもしたけれど、すべての反省材料を練り直して、また一からやり直すつもり」。この経験が生かされるときが必ずくる。そんな貴重な学びの旅を提供してくれたカムナ号に、ありがとう。
 地球のどこかで誕生し、独自の物語を生き、朽ちてはまたどこかで土にかえる葦の船。今またみんなの思いと力によって、誕生の準備が整うトキを待っている。この次はいつどんな姿でどんな旅をするのか、私もすっごく楽しみです! 
(マスミ)



No.132=2005年9・10月号

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