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連載第2回

オープン・ザ・ゲート・ラーフィング

Open the Gate , Laughing

植草 ますみ


  今回は、前号に続きハワイ島の小田まゆみさんの農園・リトリートセンターにて、この11月に出版された新画集のことなどについてお話しを伺いました。


 マスミ◎ まゆみさんは画家だからアトリエに籠っているのかと思ったら、気がつく といつも畑にいますね。すごく生き生きして。それにしてもなんて心地よい畑なんで しょう。中央に一本の菩提樹の木。そこから放射状の円を描くように色んな野菜たち が勢いよく育っていて、まるで曼陀羅みたい。だから“マンダラ・ガーデン”と呼ぶんですね。畑全体が、刻々と変化する一枚の絵のようです。ところで、今度出版された本のタイトルは『ガイアの園』。まゆみさんの30年以上に及ぶアートの集大成みたいな本ですが、これまでもずっと畑をやり、野菜やスピリットたちの姿を描いてきてるんですね。
まゆみ● 若くしてアメリカに渡り、離婚してシングルマザーになり、禅センターが あるカリフォルニアの“グリーンガルチ農場”に入ったのは79年頃のことです。そこで禅と農をやりながら、自分をみつける作業を20年近くしたの。種をまき、いのちが芽をだして、育っていく、その過程をみながら生活するのが、私にとってとても大切なことだった。私はせっかちだから、いのちのリズムに添うというあたり前のことから、教えられることが多かったんです。いのちのサイクルの中にいる実感、草とりや、大根の葉っぱを摘んで料理したりという毎日のことがこの上もなく嬉しい。元気な大地に育つ野菜って、びっくりするほど美しいでしょ。それが絵で伝わればと思って。
◎ 禅と農がセットになった共同体で生活してたんですか。西海岸のカウンターカルチャーが最も盛んな頃のアメリカで、その真只中を体験しているんですね。今度の本には絵のほかに、その頃の興味深いお話しも色々書いてありますが、どうして禅だったんですか?
● プロとして絵を描き始めたときからずっと、女神が私の表現のテーマになっていたの。子どもを産むことは、女性がいのちをつくること。そんなすごい経験を自分がすることによって、非常に力をもらった。自分が強くなきゃいけなくなるからね。子どもを育てながら絵を描き続けるのは大変なことだから。そういう過程を女神の絵で表現してきたけど、それはまだ外側に向かっての表現という感じだった。ウーマンリブ、平和運動、ドラッグ‥、外側に向かうことをひと通りやりつくした30代の半ばになって、自分の内側に向かってみたいと思い始めたのが、禅をはじめるきっかけでした。
◎ 自分の内側を見つめるとは、具体的にどういうことなんでしょう?
● 座禅というのは、ただただ座るわけです。そのうちに、濁っていた水が沈殿して澄んでゆくように、自分の中にあった余分なものがだんだんおちてゆく。もやもやしていた頭の中がスーっとしてくると、自然に目が、耳が、心がクリアになる。六根(眼耳鼻舌身意)がきれいになることで、この世界がひと続きで、神さまも自分も同じ、この中に素晴らしいものがあるんだって気づいた。ただ静かに座って、ひとつづつ呼吸が整っていったら、そういう世界がそこにあった、という発見なの。
◎ 東洋と西洋が融合した、独特なまゆみさんの世界の原点がその辺にもありそうですね。
● 当時は他にもネイティブアメリカンの教えや、ヨーガ、ビパサナ、チベット仏教、スーフィー、ヒンズー、道教、そして自然食ムーブメントと、精神文化がスーパーマーケットのように花開いた時期でした。日本の固定された仏道に対し、アメリカでは、どうやってそれを生活に密着させていくのかという実験の段階で、すごくフレッシュなものがあった。西と東の、交配種のカルチャーの息吹き。どんどん交配してこそ、文化は活きたものになってゆくでしょ。60年代アメリカのコミューンの延長としての“サンガ”での生活は、本当に楽しかった! 他のシングルマザーたちとも助け合って、大きい子が小さい子たちをみててくれるので毎朝の座禅や接心にも出られたし。母親が生活の中でそんなふうに学べる場所って、日本にはたぶんないでしょう?

 ☆  ★  ☆

◎ ところで、画集の中のエッセイは「I Opened The Gate Laughing」という原題で、私この言葉が気に入ってるんですが、訳すと「門をあけたら、笑っちゃった」っていう感じ‥?。
● エピソードがあってね。農場内に買った土地で、あの頃英国風ガーデニングをやっていたの。美しい花園を思い描き、バラやハーブを植えて得意になって。あのあたりは野生の鹿が多く、よく農作物を食べに来るんだけど、ある日足跡をたどって、鹿よけの垣根をでて森のほうへ歩いてみた。振り返ると、垣根の反対側から自分の家が見えた。鹿の視線ではじめて見たのね。そうして見た自分の庭は、きれいでしょと言わんばかりで、人工的でどこか不自然。鹿の住む森の方が、神秘的でずっと素晴らしい。それに気づいたとき、垣根をはずそう!と思って、そうしたの。そして門をあけたら、ぶあーっとすごいエネルギーが入ってきて、ひと続きの世界がむこうに待っていた。
◎ 垣根によって何かをせき止めていたんですね。
● そう。でもね、プロセスの中では、安全な場所を作るのも私にとって必要なことだったと思う。その中で癒され、子どもも育ち、大学へ行って。やがてちょうどいい時がきて、垣根をはずし、外にでた。そうしてみたら、日本も大変な問題を抱えてるし、世界も‥、ということがだだんだんわかってきて。その後長いこと、絵を描くのをやめて、活動家になり、反核や反原発運動など、また社会と、そして日本と、真剣に向きあっていけるようになったの。
◎ 鹿よけの柵をはずすのは勇気がいりますよね。実際はどうでした?。
● 鹿がきてみんな食べていった(笑)。でもそれでいいんだ、あんなことしてる必要なかったって。それで大声で笑って。

ハワイのセレ モニーで歌うまゆみさん(中央)

 ☆  ★  ☆

◎ 現在はハワイ島に移住されたわけですが、こちらも本当に風通しの良い生活の場 ができていますね。内外からユニークな人たちが沢山が出入りして。
● 私はもう20年以上、色んな人と共同生活をしてきました。現代は多くの人が、隣の人のことも知らない核家族で暮らしてるでしょ。だけどその10軒なり5軒が一緒になって、ひとつの洗濯機を共有したり、分けあって色んな事したら、どれ程リッチに効率的に、楽しくできることかと思わない?
◎ 本当ですね。でも外国で、自分の文化と違う人たちと生活するのは、大変なこも多かったでしょう。
● 日本の文化は、言わないでもわかってる、そうよね、うん‥っていう感じでしょ。アメリカは絶対そういうことない。全部きっちり意志表示をしないと、こちらの心をくみ取ってはくれないから、初めは辛かった。でも慣れれば、難しいことじゃなかった。難しいと思っていたのは、自分の中の壁だったのね。こうあるべきというコンセプト、文化や社会や家族からもらった色んな概念にがんじがらめになって。でも、がんじがらめにしていたのは自分だったことに気がついてゆけば、楽になるよね。そのぶんだけ。
◎ みんなが楽になって、世界中で笑いあえる日がくるといいなぁ。ありがとうございました。

小田まゆみ著

「ガイアの園〜小田まゆみの世界」
(原題:I opened the Gate, Laughing An Inner Journey)

2004年11月刊(原著:2002年刊)

現代思潮新社刊 A5判 上製カバー装

168頁 2415円

2004女神のまつり in 天河について


No.127=2004年11・12月号

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