自分の中の、神聖なチカラやもっと自由な喜びを、私はどこかにしまいこんできている気がして、ずっともどかしかった。私が「私」だと思ってきたものは、社会や時代や文化の中でプログラムされ、つくられたイメージだ。その小さな枠のなかで、日々の出来事や人間関係に一喜一憂し、環境汚染や世界の荒廃に心を痛める自分がいた。でもそこでどんなに真面目そうに頑張っても、アタマを駆使してツジツマを合わせようとしても、世界は決して一筋縄ではいかない。年を重ねて、それがわかってきた。夢か冗談のようなこの人生のつづきを充実して生きてゆくために、できれば一度みんなリセット、リプログラムして、まっさらになりたかった。ふるい自己イメージや信念に、いつまでもしがみついていたくない。過剰なこの自意識が、生命の源の深い智慧と自分とのつながりを妨げている。潔く手放して、もっとかろやかな私になれますようにと、毎日祈っていた。
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私の女神修行のはじまりは、小田まゆみさんの画集を初めて手にした頃だと思う。様々な女性たちの姿がのびやかに描かれていて、衝撃的だった。虹をわたり、波と踊る女。花に舞い、雲と遊ぶ女。嵐と戯れ、雷を呼ぶ女。大きなお尻と乳房をお日さまにさらし、森羅万象と響きあってる。裸で泳ぎ、草の上にくつろぐ。何もまとわぬからだと、何もまとわぬ心。そこには、とってつけたような道徳観念も媚びもない。ただ、心おきなく、大地や海をうたい、その化身としての存在を謳歌している。地球で生きるよろこびが、私の胸にも色鮮やかに溢れてきて元気になった。同時にどの絵も、向き合って思わず手をあわせたくなる、そんな神聖さがある。彼女らは、この美しい地球の創造エネルギーの、スピリットそのものなのだ。そのからだに、無限のい
のちを生み出すとてつもないチカラを秘めた女性たちの姿を、「女神」として、まゆみさんはずっと描き続けてきた。そして、絵の中の女神たちは、私にくり返し伝え続けてくれた。「あなたも女神なんだよ」と。
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4年前、離婚等で落ち込んでた私の所に不思議な女性が突然訪ねてきた。夏至の朝日を海岸で拝むのだという。圧倒的なパワーで貫く太陽の光を身に受けながら、彼女は小さな木彫りの女神像を私に手渡した。「たくさん旅することになるわよ」と彼女が言った通り、その一週間後には私は最初のハワイにいた。女神像と登ったマウイ島・ハレアカラ山頂で、まん丸い円の虹をみた。向かいの山に映った虹の、完結した七色の輪の中央に、背後から太陽の光をうけた私のシルエットが映っていた。
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私が求めていた“ハワイ”にやっと出会えたのは、今年に入り、ハワイ島(通称ビッグアイランド)に降りたってからのこと。地底から吹き上げたマグマの溶岩が延々と海まで注ぎ、火山の女神ペレの息吹きが充満している。“地球のおへそ”と呼ばれるパワースポットの磁場。白く光る波がしらをみても、夜風がはこぶ花の芳香をかいでも、そこらじゅうにまるで人格をもったスピリットの存在を感じてしまうのは、私がパラダイスハイになっているせいか? でもたしかにこの島の人々は、あらゆる自然現象の中に宿るスピリット(精霊、祖先、神々)に、深い敬意を払って生活している。豊かな生命の“気(ハワイ語で「マナ」)”が、そこから自分たちに注がれていることを知っているから、人々も感謝のこころを、様々な表現にしてかえすのだ。そのためにフラはあり、チャント(ウタ)や儀式がある。古代の智恵の継承というと、日本では形だけなぞって中身を感じないことが多いけど、こちらではもっと現在形で生活の中に浸透しているのがうらやましかった。(とはいえここ数年、最後の楽園を求めた移住者が、なだれこむようにこの島を変えつつある。それも今のハワイ島の現実だ)。
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滞在していたのは、小田まゆみさんのリトリート・センター“ジンジャーヒル農園”。画業のほか、環境活動家や禅、瞑想などの指導者としても長年活躍してきた彼女は、4年前に本格的にハワイ島に移住。コナの美しい土地で野菜を育てながら、自宅を開放し、パーマカルチャーや自己表現などのワークショップを度々開いている。
私はそこで二度にわたり、長期の“女神修行”を体験した。生活をしながら、農や食、伝統文化、癒しや浄化の技術を身につけ、自信を取り戻してゆくための場だ。夜明けの座禅とともに一日が始まる。天からふりそそぐぐ鳥の声、植物の勢い、イルカやクジラが泳ぐ目の前の大海原。皆でチャントを唱え、気功や整体やヨーガをし、とりたての野菜を料理して食べる至福の朝。宇宙の源とつながる感覚が、私の中で飛躍的に深まった。それにしても毎日よく笑った。よく踊ったし、歌ったし、食べたし、泳いだし、働いた。日本では会えないような刺激的な人たちにも沢山会った。テレビでなく直観を情報源とするシンプルな暮らし。ためこまずに何でもシェアし、こまめにクレンジングをする。人もものも大切にする。感じたことはすぐ行動にうつす。そんな習慣が、陽気でクリアな場を保っている。奇跡みたいなことが日常茶飯事。やがて私のハートチャクラの芯が疼きだし、忘れていた小さな塊が、雪どけのようにほどけていった。(絵は私が描いた等身大ボディマップ。ハワイ島での自己表現ワークショップにて)
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抱き合うハグの挨拶も身についた。お互いの出会いをよろこぶその仕草のなかに、時空をこえて相手の存在の波動だけを静かに受けとめる一瞬がある。人間に限らず、あらゆる出会いは小さな瞑想で、言葉を超えている。ハワイの伝統的な挨拶はさらに、お互いの鼻先を軽く触れ合わせる。“アロハ”の語源がここにある。With(一緒に)という意味の“アロ”と、Breath(息)という意味の“ハ”。つまり呼吸をあわせるということ。大いなる宇宙の息吹きの中で、あなたと私の生命の呼吸がともにあることを確かめあう挨拶、なんて素敵なんだろう。
女神修行はだから、「アロハの修行です」とまゆみさんは言う。これまでの人生でどんな大変な時も、座って自分の呼吸をじっとみつめる作業を彼女は欠かしてこなかった。呼吸の偉大さが、だんだん私にもわかってきた。それがすべての創造の源とつながっているということを。(次号につづく)