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日常生活の中に種をまく

近藤直子


 近頃、どのようなテーマであれ、どのような友人達とであれ、雑談を始めると、必ずと言っていいほど、「シンプルな生活がいいね」という話題が浮上します。環境問題、南北問題、エネルギー問題など、「問題」と名のつくほとんどのことに対して、これが一番有効だというわけ。でも、「シンプル」の具体的な内容を挙げた途端、多くの人は「難しい」と言い始めます。例えば、スーパーで1年中売られているトマトは「複雑」。農薬・化学肥料を加えて、ビニールを張って、長距離輸送して、パック詰めして…、膨大なエネルギーを地球から搾取して…。それでも、裏の畑でトマトを採る方が「難しい」。

  難しくしているものは何か。私は、自分自身だと思っています。お金さえ払えば何でも簡単に手に入る現在の社会システムに問題があるのは確かですが、それはただのシステムです。オートマチックに動いていくベルトコンベヤーから、降りることが第一歩なのでしょう。主役は自分。まずは、自分を信じることです。

  私は、'88を知りません。近代社会システムには問題がある、とすでに声高に叫ばれていた時代に、私は生まれてきました。それでも、派手な万博やイベントやショーやライブなどは、小さな頃から頻繁に身近で開催されていて、両親や友達と一緒に、何が何やらよくわからずに足を運ぶこともよくありました。そして、あくまでも個人的な思いですが、今はもう、そんな遊園地のように派手なお祭りには魅力を感じていません(もっと主観的に表現すると、あんまりかっこよくない、という感じ)。90年代には、いろんな人々に、いろんなことが怒濤のように起こったと思います。変化を促す激しい出来事。そして、今も、世間的には極端な事件などが頻発しているようです(新聞・テレビを見ないので詳しくないですが)。私個人についても実際には今だに様々な変化が起こっているのですが、ここにきて何故か、内的には静かな時期が訪れ始めているようです。年齢のせいかもしれませんが、なんとなく、さらに大きな時代の流れのような気もします。本当に、今はそういう時代だと感じています。

  内的な静けさの中で感じるのは、やはり、日常生活の重要性です。一人一人の中にあるスピリチュアルなものを生かし切る、淡々とした日常生活。本当に「ゆとりある」生活ではいろんなことに、にっこりできます。自分自身の外にではなく、内にある答え。お祭りがすばらしいのは、その後に続く日常生活に大きな種をまくことができるからかもしれません。8月の「いのちの祭り」の後には、21世紀の日常生活が続いていきます。とてもとても意義深い時期です。それはお金・動員数・時間・空間などの枠組みで計れるようなものではないはず。看板アーティストだけのプレイではなく、一人一人の中に生きるアーティストがプレイ(祈る)できるような、内的静けさのある場であってほしいと思います(音響設備が大きい・小さいということではありません)。地域通貨が導入されるということですが、それは未来への可能性を開く、大きな種を地に落としてくれるのではと期待しています。いや、正確に言うなら、私自身が種そのものになるのです。「シンプルな生活」「複雑な生活」…、すべての問題に大きく関わる貨幣制度について、一人一人が意識的に考えることのできるチャンス。実際、私の周囲の友人たちは、皆、地域通貨にかなりの関心を抱いていて、実際に体験したくてウズウズしているのです。

  「88は良かった、悪かった」、「2000は成功するか、失敗するか」…、過去を振り返り、未来を慮る多様な解釈。88を知らない私が言うのも変かもしれませんが、それは一人一人が勝手に事の前後に判断するだけで、その瞬間には、良いも悪いもないことだと感じています。私は、良い悪いを超えたところにある、「いのち」と「祭り」を体験したいです。自分を信じることは、人を信じ、今を信じること。「お祭り日常生活」を送れば、すべてを信じ、すべてに感謝して、にっこりできるのでしょうか。結局、すべてはひとつなんだね、と、星空を見上げるように。

近藤直子(Rupa/奈良)
 E-mail:YHE03204@nifty.ne.jp




No.101=2000年7・8月号

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