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インド洋津波被害について

★グローバル・ピース・キャンペーン★
OPEN-J BOOMERANG 481【TSUNAMI】より
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■転送・転載・大歓迎■

■山田成雲■

オープンジャパンに届く【TSUNAMI】関係の情報の中で、特に読んでいた
だきたいイギリスの藤澤みどりさんからのメールの一部をご紹介します。

現地報告など貴重な全文は一番下にある、みどりさんのサイトの中のバックナン
バーからお読みください。また、メールマガジンの登録もお忘れなく・・・。

それにしても意外だったのは、日本とEU各国の温度差です。日本では大晦日に
マツケンサンバを踊っているというのに、EU各国ではキャンドルをアジアに向
けて灯してくれました。

地球激動期に入った私たち。この試練に淡々と立ち向かった先に、私たちが望む
穏やかな日々が待ち受けているのかも知れません。そう信じて・・・・・バウ。

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◆藤澤みどり◆

ヨーロッパは一昨日(2005年1月5日水曜日)、南アジアの津波被害者への
共感をこめて、EU加盟国25カ国で4億5000万人が、正午の鐘の音ととも
に3分間の沈黙のときを持った。この大がかりな3ミニッツ・サイレンスは、死
亡が確定した人々や行方不明者への追悼として行われただけでなく、けがをした
人や親をなくした子どもたち、家を失った人々、親しい人を亡くした人々すべて
への連帯を表すために行われたものだ。

わたしは、まだ冬休み中の息子と自宅でその時を過ごしたが、ビッグベン(英国
国会議事堂の大時計)がテレビ画面の中で正午を告げると、同時に近所の教会か
らも鐘の音が響き、それから静けさが、ウイークデイの日中としては信じがたい
ような静けさが訪れた。

こんなに規模の大きなサイレンスは初めてだが、いままでに経験したダイアナ妃
やクイーンマザー、セプテンバー・イレヴンの被害者を追悼するサイレンスなど
では、あたりがほんとうの静けさに包まれるのにいつも驚かされた。サイレンス
の開始時刻が近づくと地下鉄もバスも最寄りの駅やバス停で停車してその時を待
ち、路上を行き交う車も路肩に寄って停車する。商店のレジや銀行の窓口にはサ
イレンスの告知と、その時間帯にはサービスが行えないとの但し書きが張り出さ
れ、動きを止めることによって支障がある事象を除いたすべての動きが停止する。

かつてもっとも驚いたのはラジオがまったく沈黙することで、初めてラジオを通
じてサイレンスを経験した際に、いくらなんでもラジオが完全に黙ることはない
だろうと、鐘の音か静かな音楽が流れるのを予期していたので、サイレンス開始
を告げる教会の鐘の後に完全な沈黙が訪れたとき、ちょっとどきどきした。この
静けさの中でサイレンスに参加するそれぞれが被害者を思い、神か自然か、ある
いは自分自身と対話し、祈る。

一昨日はテレビを見ていたのだが、やはり音は何もなく、全国の何カ所かに置か
れたカメラがとらえた映像が、あらかじめプログラムされているのだろう、一定
の間隔で次々に切り替わっていた。取引のその場で立ちつくし頭を垂れるシティ
の人々、ショッピングセンターのアトリウムで沈黙する買い物中の人々、赤絨毯
の階段の途中で立ち止まった外務省のオフィサーたち、支援物資の荷造りの手を
止めたエイドワーカーたち、仏教寺院の人々・・・。動いていたのは、額を床に
こすりつけたり立ち上がったりして沈黙の祈りを繰り返すムスリムの人々と、寺
院の床をくったくなく這い回るスリランカ系の小さな男の子だけだった。

ロンドン市民にとって、これは大晦日の2ミニッツ・サイレンスに続く津波被害
に対するふたつめのサイレンスになる。しかし、世界の多くの場所で多くの人々
が悲しみを共有した大晦日のサイレンスや黙祷の儀式とは違い、この日の3ミニ
ッツ・サイレンスには悲しみや傷みだけでない、何か希望のようなものがかすか
に感じられた。

欧州各地のNGOに対して、それこそ洪水のように押し寄せる人々の善意が、ま
だ引きも切らずに続いているせいかもしれない。そして、そうした市民の志によ
る圧力が、政府の財布を緩ませている事実がある。あの日、ホリディ客として滞
在していた地で被災したにもかかわらず、そこにとどまったばかりか新たにボラ
ンティア組織を立ち上げた少なくない人々がいる。地域の経済を応援するために
休暇先を変更せずに、もしくは他の場所からこの地域に変更して、あえて新年の
ホリデイ客となった多くの人々がいる。そうしたことのすべてが始まりの予感に
満ちている、ように思える。思いたい。

3分間の沈黙を通して、ヨーロッパの人々の気持ちが南アジアに正面から向き合
った時間、もしかすると、これが今世紀はじめの転換点のひとつかも、と思わせ
る3分間だった。何かが変わるかもしれない。何かを変えられるかもしれない。

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■インド洋の大津波被害についての情報を更新します■

お伝えしたい情報がたまり過ぎて、またまた今号も長くなりました。テキストは、
情報量の少ない地域のものを中心に集めました。プリントアウトしてどこでも読
めるように、またインターネットにアクセスのない人と情報を共有できるように、
テキストはアドレスだけでなく全文を掲載するようにしています。時間のあると
きに読めるものだけお読み下さい。そして、もしお気持ちがあれば、確実に援助
を形にするNGOにどうか寄付をしてください。(藤澤みどり)

*このメールマガジンは転送を歓迎しますが、紙媒体への転載についてはそれぞ
れのテキストの筆者および訳者にご相談ください。

[MAGCHIMERA WARTIME 17] 2005年01月07日発行
CONTENTS

▼ アチェ:アラン・ネアンとのインタビュー(Zネット)
▼ アチェ被害状況、救援に関する情報(続報)
▼ 核施設に何が起こったのか、明らかにされない津波被害(インド)
▼ スマトラ島沖大地震とビルマ ー 被害状況と支援について

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アチェ:アラン・ネアンとのインタビュー(Zネット)
益岡賢・訳
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*Zネット掲載のインタビュー和訳と訳者による解説
(訳者の許可を得て掲載の順番などを適宜編集しました。また、一部のテキス
トをやむを得ず省略しています。ぜひ下記アドレスにて全文をお読みください)
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/aceh0501.html

*Zネットの当該ページ
Aceh: An Interview with Allan Nairn
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?SectionID=44&ItemID=6954

2004年1月4日
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*訳者による解説

(前号マグキメラ16号に掲載した)「アチェ:占領と津波の犠牲」と重なりも
ありますが、日本語の情報が絶対的に限られていること、また援助の具体的なこ
とについてもそれなりの言及があるので、紹介します。

アラン・ネアンは、ジャーナリスト・人権活動家。とりわけインドネシア・東チ
モールを中心に取材と活動を重ねてきた。1991年東チモールのサンタクルス
虐殺の際の目撃者で、同じく現場にいた「デモクラシー・ナウ!」のエイミー・
グッドマンをかばって、インドネシア軍に米国製M19ライフルで頭蓋骨を割ら
れた。米国によるインドネシア軍への軍事援助停止を訴え、米国議会でこのとき
の体験を証言。つい最近、アチェに入っていて米国に戻ったばかり。

アチェへの災害援助募金をお考えの方は、インドネシア民主化支援ネットワーク
のウェブサイトを是非ご覧下さい。
http://www.nindja.com/
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デリック・オキーフ:先月の地震と津波が引き起こした破壊の最新の状況を、特
にアチェについて、教えて下さい。

アラン・ネアン:アチェの海岸沿い地域は地震と津波に襲われました。バンダ・
アチェのかなりの部分が水につかり、海の一部となりました。被害が最も大きか
ったのは西岸で、村全体が完全に破壊されました。けれども、これがアチェを襲
った最初の破滅ではなかったのです。その前にアチェは不必要かつ避けることの
できた貧困により大きな打撃を受けていました。アチェは資源が豊富で、天然ガ
ス産地としては世界でも大規模な地域の一つです。天然ガスの大部分を韓国と日
本に輸出していながら、それによる収入はエクソンモービル社とジャカルタの中
央政府の懐に入り、貧しいアチェの人々にはほとんど何も行かないのです。その
結果、アチェの子どもたちの間で栄養失調と低栄養の子どもたちが40%にもの
ぼるという状況があります。

オキーフ:米国の活動家グループの多くが、インドネシア政府がアチェの災害援
助を妨害するのではないか、そしてこの状況を利用してアチェの政治活動家をい
っそう弾圧するのではないかと恐れています。そうしたことがアチェで起きてい
るということについて耳にしたり証拠を得たりしていますか?

ネアン:今こうして話しているときにも、インドネシア軍がそうしています。軍
は、海岸から離れた東アチェや北アチェで1ダース以上の村々に攻撃を続けてい
ます。インドネシア大統領スシロ(・バンバン・ユドヨノ)が戒厳令を解除する
と言っているにもかかわらずです。実際、戒厳令を解除はしていません。そして
インドネシア軍の報道官が出てきて言うには、「大統領が止めろと言うまでは攻
撃を続ける」のです。

インドネシア軍はまた援助の流通を妨害しています。軍は、バンダ・アチェ空港
で国際的な援助供給の輸送を統制しており、そこでハンガー(格納庫)を徴用し
ました。さらに、今日の午後、いくつかの村では供給品が配布されたけれども、
その際「紅白」証を持っている人々にしか供給品は与えられなかったという報告
を得ています。この「紅白」証は、インドネシア警察がアチェ人に発行する特別
なIDカードなのです。そうしたIDカードを入手するためにはインドネシア警
察署に行かなくてはなりません。そして警察は、軍に反対したり政府に批判的で
はないと認めた人々にしかそれを与えないのです。もちろん、多くの人は警察に
行ってカードを申請することを恐れています。

人々は非常に大規模な援助を提供しています。世界中で人々が寄付を行なってい
るのです。けれども、そうした寄付のほとんどは国連機関や大規模な主流派慈善
団体を通して行われています。そこに大きな問題があります。そうした機関や団
体はすべて、インドネシア政府と契約関係にあり、その契約のもとでは資金をイ
ンドネシア政府を通して提供するか、政府と調整して活動するかの義務を負って
います。つまり政府官僚や軍士官が援助品を盗むことが可能なのです。そして、
実際それが起きていることがわかってきています。そして援助が盗まれなかった
としても、軍が援助を使って人々を統制しようとする可能性があるのです。

オキーフ:アチェの政治的対立の背景はどのようなものですか?

ネアン:アチェを襲った破壊の第二波は、インドネシア軍でした。アチェは世界
で最も弾圧の激しい地域の一つなのです。何年ものあいだ、実質上の軍事戒厳令
下に置かれてきました。現在、国際援助隊員や外国のジャーナリストがアチェに
どんどん行っていますが、津波があるまでは、こうした人々はインドネシア軍に
よりアチェ立ち入りを禁じられていたのです。アチェの人々が自由選挙を望んで
いるというのが理由です。アチェの人々はジャカルタの中央政府とインドネシア
からの独立を選ぶ選択肢のある住民投票を望んでいるのです。

1999年、バンダ・アチェのグランド・モスク前でデモがありました。そのと
きには40万人から100万人の人が集まりました。アチェの人口が400万人
ですから、全人口の10%から4分の1です。人口比率で言うと、最近の世界史
の中で最大の政治的デモの一つです。軍はこのデモに対して、住民投票を呼びか
ける文民の政治運動を弾圧することをもって答えました----活動家を暗殺し、失
踪させ、強姦し、そして虐殺を続けてきたのです。津波が新たな大量墓地を作り
出す前に、インドネシア軍の虐殺によりアチェのあちこちで大量墓地が作られて
いたのです。

インドネシア軍は、実際、軍とGAM(自由アチェ運動)----独立派の武装ゲリ
ラです----との間の武力紛争を促しました。インドネシア軍はときにGAMに武
器を売りさえしたのです。軍はアチェでの戦争を好んでいました。というのも、
第一に、軍事的に負ける可能性はなく、第二に、軍の政治的存在を正当化するた
めに使えるからです。インドネシア軍は世界でも最も抑圧的で腐敗した軍の一つ
で、スハルト退陣後はインドネシアで極めて不人気になっていました----軍に反
対する強固な人々の運動があったのです。けれどもアチェで戦争を長引かせるこ
とにより、インドネシア軍は人々に対して、「どうだ、我々は武装反乱に直面し
ており、お前たちを守るために我々が必要なんだ」ということができたのです。

そして第三に、アチェの戦争を通してインドネシア軍士官は多くの汚職に手を染
めて儲けることができるのです。軍士官たちはビジネス、小規模事業主や貧しい
人々から体系的に金を強請りとっているので、アチェに居座りたいのです。また、
自分たちが負けるかも知れない政治的な場での挑戦を避けるために民間人の運動
を弾圧し、自分たちが確実に勝つ唯一の場である軍事的紛争を促しているのです。

オキーフ:今日アチェの人々が置かれた状況は、スハルト独裁下と同じくらい悪
いように聞こえます。アチェ独立運動とジャカルタ政府の対立が始まったのはい
つですか? そしてもともとの理由は何だったのでしょうか?

ネアン:アチェはインドネシアより古い国(nation)なのです。アチェはいにし
えの王国として現アチェと現マレーシアのかなりを支配していました。第二次世
界大戦後、インドネシアという国が、植民地主義者オランダに対する蜂起を通し
て誕生したとき、アチェはオランダを打ち負かすのに主導的役割を果たしました。

それからアチェは実質的な自治と自ら望む道を行く自由を確保しながら新国家イ
ンドネシアに参加するということで、インドネシアを構成する他の島々と取引を
成立させたのです。けれどもすぐに、ジャカルタの中央政府はその約束を破棄し、
アチェ人たちは大きな不幸に陥りました。そして1965年から67年にスハル
トと軍が権力を握り、権力を確実なものにするためにインドネシア全土で虐殺を
行なったときに、アチェの独立運動に対する軍事的弾圧の時代が幕を開けたので
す。

アチェの人々は永年にわたって政治的解決の道を探りましたが、それはうまく行
きませんでした。それから1970年代に武装ゲリラ運動であるGAMが結成さ
れました。けれども、GAMが結成される前から、インドネシア軍と警察は、ア
チェの人々を殺してきたのです。

オキーフ:アチェでは、米国企業の利益とインドネシア軍による弾圧との関係は
どんなものでしょうか?

ネアン:大きな関係が一つあります。それはエクソンモービル社です。エクソン
モービル社の天然ガス施設がアチェの経済を支配しています。さらにエクソンモ
ービル社は自社の敷地内にインドネシア軍を兵営させています。エクソンモービ
ル社はインドネシア軍に防衛費を支払い、インドネシア軍は虐殺犠牲者の遺体を
エクソンモービルの土地に埋めます。エクソンモービル社からの収入はジャカル
タ中央政府の大黒柱となっています。アチェにはほとんどその収入は環流しませ
ん。

オキーフ:米国で活動する立場として、米軍ヘリがこの数日援助提供のために飛
んでいる光景、例えばここ2年のイラクでの米軍の作戦と大きく異なるこの光景
については何を思いますか?

ネアン:苦々しいまでに皮肉なものです。米国が果たした役割を見るためにはイ
ラクと比べるまでもありません。インドネシア軍はずっと米国に雇われてきたの
です。米国は、軍がスハルトを政権に就けるときにこれを支援し[*下記参照]
1965年から67年に40万人から100万人を虐殺していたとき[*下記参
照]にも軍を支援してきたのです。インドネシア軍が東チモールを侵略する際に
米国は青信号を出し、この侵略で東チモールの人口の3分の1にあたる20万人
が殺された[*下記参照]のです。

[*米国とインドネシアの関係の理解の助けに]
*インドネシア・1965年:米英の共謀
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/usukindon65.html
*地獄の記憶:1965/66年の「忘れられた虐殺」を巡って
http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/indon65.html
*東ティモール回想 −概観と教訓−
http://www.asahi-net.or.jp/~gc9n-tkhs/bunseki5.html

米国議会が介入して米国による対インドネシア軍事援助のかなりを削減すること
になったのは、1991年のディリ虐殺[*下記参照]後、米国で草の根のロビ
ー活動が功を奏してようやく実現したのです。インドネシアへの軍事援助停止に
対して、米国政府は反対し、ブッシュ一世大統領は反対し、クリントンも反対し、
現ブッシュ大統領も反対しています。そして今、ブッシュはインドネシアへの軍
事援助を再開しようとしているので、米国議会では大きな争点となるでしょう。
人々が議会に十分な圧力をかけて議会がブッシュの動きに抵抗できることを期待
したいと思います。

[*1991年のディリ虐殺* 東チモールの首都ディリ、サンタクルス墓地で
非武装の平和的デモにインドネシア軍が無差別発砲、約300人を虐殺した事件
で、この虐殺は15年におよび東チモールでインドネシア軍が繰り返してきた多
数の虐殺のなかではじめて映像に収められたものが持ち出され、世界に伝えられ
た]

いずれにせよ、米国は永年にわたってインドネシアによる虐殺に深く共謀してき
ました。占領下の東チモールで、そして最近ではパプア、そして今まさにアチェ
で。ですから米軍ヘリが援助品を提供するためにアチェに行くというのはとても
皮肉なことなのです。

オキーフ:大きなNGOがインドネシアとアチェで活動することの問題について
言及していました。人々が救援活動に貢献する方法、そしてもっと広くアチェの
一般的な状況への関心を高める方法はありますか?

ネアン:はい。幸いにして、インドネシア軍が国連や大規模な主流派救援経路と
協力している状況を迂回する方法があります。アチェ人たちの草の根グループに
直接募金することです。こうしたグループは永年にわたって難民キャンプで活動
し、また----自ら危険にさらされながらですが----人々に直接援助を提供するこ
とができます。というのもこれらの草の根グループには、インドネシア政府や軍
との契約関係がないからです。そうしたグループの一つは「アチェ人民危機セン
ター」(PCC)で永年にわたりインドネシア軍が設置した「再教育キャンプ」
----追い出した農民の思想を軍のプロパガンダ担当者が「浄化」するための施
設です----の中に入って活動してきました。こうしたキャンプの子どもたちは餓
えていることが多く、きれいな飲み水も得られず、学校にも行けず、そこでPC
Cの人々がキャンプに入って子どもたちに教育や自足の支援をしてきたのです。

現在これらの人々は災害援助でも活動しています。何年にもわたってこのグルー
プの組織者たちはインドネシア軍に狙われてきましたが、これまで持ちこたえて
きました。とても勇敢な人々なのです。

現在、米国の東チモール行動ネットワーク(ETAN)が、援助をPCCをはじ
めとする草の根グループに提供するチャネルとなっています。ですから、募金し
たいときには、ETANのウェブサイト <http://www.etan.org/> にアクセスし
て下さい。
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*訳者による解説

1999年。東チモールでインドネシア軍が虐殺と破壊を欲しいままにしている
中、最後までインドネシアの肩をもち続け、破壊と虐殺に「貢献」した日本政府
は、その後、自衛隊の海外派遣という憲法違反行為を既成事実化するために、東
チモール復興支援という名目を利用しました。NGOや民間人による援助のほう
が遙かに安価で効率よく、また技術移転もきめ細かくできるにもかかわらず。

同様に、軍事戒厳令下で弾圧・殺害・失踪・虐殺・強姦が続けられていたアチェ
の状況についても放置してきたにもかかわらず、今自衛隊を「災害支援」として
つぎ込んでいます。アチェに関して言えば、軍や政府の妨害や盗みを回避させ、
援助が国連や大規模援助団体を通してもきちんと人々に届くためには、政治的な
働きかけが必要ですが、日本政府はそれを行なってはいません。

現在まで、アチェは密室状態に置かれてきました。内部からの、とりわけ「大手
メディア」の情報が非常に限られていました。インドネシア軍はアチェを侵攻す
る際、米軍がイラクで採用した「軍属メディア」システムを借りてきて強化し適
用したためです(この点でも、米軍のイラク占領とインドネシアのアチェ侵攻と
はよく似ています)。こうした状況で起きた今回の地震・津波です。

直接の支援としては、日本では、インドネシア民主化支援ネットワークが呼びか
けを行なって募金を集めています。アチェの人道支援や人権ロビイングを着実に
行なってきたNGOです。ぜひ、そちらもご覧下さい。(益岡賢 2005年1月6日)

(編者より・・・益岡さんのサイトでは、この後に、バングラディッシュの少数
民族ジュマへの冬季衣類配布計画の募金依頼が掲載されていますが、ここでは省
略しました。お志のあるかたはぜひそちらにもご協力ください)

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アチェ被害状況、救援に関する情報(続報)

 役人、ボランティア、メディア、産業界へのメッセージ
 インドネシア政府と軍、災害に対して遅い対応
 エリート・ボランティアと政治的ボランティア

インドネシア民主化支援ネットワークのメルマガより
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*インドネシア民主化支援ネットワークのメルマガより適宜抜粋編集して掲載しま
す。割愛したその他の情報や最新情報は下記サイトでお読みください。
http://www.nindja.com

■スマトラ島沖地震:アチェの被害者への緊急カンパのお願い
◇振替口座 00190-8-76398 アチェ人道支援キャンペーン
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■2005年1月2日

●役人、ボランティア、メディア、産業界へのメッセージ
 (Tim AirPutih, 05/01/02)

<役人のみなさん>
もうアチェに出発するのはたくさんです。わたしたちの大統領は、すでに国民福
祉担当調整相をアチェで任務に就かせました。これ以上の役人が来る必要はあり
ません。役人は勝手な見方をするだけですし、出発しようとするボランティアの
席を奪っています。

アチェは、食糧、医薬品、ボランティアを運ぶ輸送手段を必要としています。海
外のボランティアのほうが、わたしたちより支援の方法を知っている状態です。
わたしたちに恥ずかしい思いをさせないでください。マルクの人びとが、どうや
って支援物資を配給すればいいか悩んでいるのをみてください。数百人のボラン
ティアが、支援できずに呆然としているのをみてください。数万人のシムルーの
人びとが支援を必要としているのをみてください。

<ボランティアのみなさん>
アチェは観光地ではありません。休むところでもありません。あなたが来ること
が迷惑にならないようにしてください。本当にアチェを支援するためには、強い
動機と、明らかな目的をもっている人が必要です。遺体を運び、埋葬し、瓦礫を
取り除き、病人に薬をあげ、食糧を配給する人が。アチェは、写真を撮って、戻
ってから「わたしは、アチェのボランティアよ!」と胸を張るための場所ではな
いのです。

<メディアのみなさん>
アチェを、ドラマの舞台にしないでください。本当に起きていることを伝えてく
ださい。アチェは広いです。まだまだ報じなくてはならないことがあります。ア
チェの人びとを客体としてではなく、主体として伝えてください。

<産業界のみなさん>
この災害が貧困を生み出さないために、一時、ビジネスをするのをやめてくださ
い。彼らの必需品を売りつけ、彼らをより沈めてはなりません。社長さんたちの
訪問は必要ありません。どうか、彼らがいっそう崩壊しないよう施設を準備して
ください。(Tim AirPutih, 05/01/02)

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MAGCHIMERA WARTIME 17 2005年01月07日発行
【編集・発行】藤澤みどり
【melma ID】m00101856
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メールマガジン MAGCHIMERA WARTIME
http://www.chimerafilms.co.uk/children_mag00.html
「湾岸戦争の子どもたち」写真展UKツアー
http://www.chimerafilms.co.uk/children.html
ニューズメール(英語版)バックナンバー
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ニューズメール(日本語版)バックナンバー
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「シュタイナー学校とその他の日常」
http://www2.diary.ne.jp/user/162840/
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