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「いのちの祭り2000八ヶ岳」第二回ミーティング報告 

〈2月26日 蔵屋グリーンズ 参加者40名〉


【奉納】
 今回のミーティングでは、祭りだからすべて奉納で、参加費を取らない祭りを、そ
して本部のない、一人ひとりの自己責任による祭りをという提案を巡って話しがつづ
きました。やりたい人がやりたい企画を持ってやってくる。お金のかからない場所
で、お金のかからない祭り。道なき道を歩きに歩いてたどり着き、持ち寄った食べ物
や智恵や音楽をみんなで分かち合う、アメリカのレインボー・ギャザリングの話
し……。
 どこまで変わってゆくか、どこまで変わってゆけるか。変容の可能性がいっぱいあ
りそう――。

【メーリング・リスト】                   
 変容の可能性へ向けて、「いのちの祭りのメーリング・リスト」を立ち上げ、ス
ムーズな情報伝達と意見交換ができるようにしようという提案。これは、すぐにも、
信州穂高のシャローム・ヒュッテの臼井さんが立ち上げてくれました。「いのちの祭
り2000のメーリング・リスト登録」のリンクが、いのちの祭り2000のホーム
ページのトップページにあります。登録して下さるようお願いします。そしてそれが
「いのちの祭り2000」の情報交換ばかりでなく、自律的なエコロジカルな社会
――「エコ・アソシエーション(生産=消費協同組合連合)」社会――をつくり出し
て、地球を再び生命の踊り場としてゆくための様々な叡智や智恵や技術の交換、討論
の場となってゆけばと思います。またそうしたものとして機能してゆくようにしたい
と思います。いのちのネットワークです。そうした意味で「いのちの祭りのメーリン
グ・リスト」は2000年を超えてつづけてゆきたいと思います。
 またリンク機能を使って、それぞれに、いのちの祭りの情報・智恵の蓄積・呼びか
けなどを担おうということになりました。それぞれにいのちの祭りの企画部門を担当
してみようという方がいましたら、事務局にメールでご連絡ください。リンクしたい
と思います。
 キャンプ村での自然エネルギー部門を担当してみようという方、キャンプ村での安
全でより豊かなトイレの作り方などなど智恵をお貸し下さい。

【祭り】
 "祭り"というと、なぜか、みんなの内に、熱い思いが湧いてくるものがあります。
心が躍るのです。それはそこに、心のふるさとといったものがあるからです。祭りへ
の止みがたい衝動がわたしたちの内にあるということです。
 祭り、それは、人々が、天地のスピリットと、いのちのスピリットとつながり、そ
のことによっていのちの再生をはかってゆく時空間です。
 祭りが求められるのは、わたしと社会の再生が激しく希求され、かつその再生はい
のちのスピリットとつながることから、天地のスピリットとつながることからくると
いう予感があるからです。
 祭り(ハレ――聖)という非日常的空間があり、そしてケ(俗世界)があります。
そこには境界が、結界があります。わたしたちはその二つの世界を行き来してきまし
た。
 しかし今、そのハレとケが一つにつながり合わされて、ハレとケを包み超えたとこ
ろにあるもの(時空、フィールド)をつかみとることが真摯に求められています。ハ
レとケ、生と死、あの世とこの世を包み超えたもの(フィールド、場)です。
 ハレとケ、生と死、あの世とこの世という「境界化」にわたしたちは苦しめられつ
づけてきたからです。そしてまたわたしたちは、その存在の本性として、ハレとケ、
生と死、あの世とこの世を包み超えたところ(フィールド)に存在しているもの、そ
こ(そのフィールド)にしか存在しえないものだからです。(この点に関しては、後
に詳しく述べたいと思います)

【地域通貨】
 そうしたところにおいて祭りを、わたしを、社会をとらえてゆきたいと思います。
 まずお金ということについて考えてみたいと思います。祭りは奉納であり、お金を
とるなんて……そもそもお金とは何なのだろうか?

 「人々は“お金”を変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は
変えられます。人間が作ったのですから」
                 ――ミヒャエル・エンデ「エンデの遺言」より

 資本が資本を産むためのお金ではなく、地域の自律的な経済を活性化し、コミュニ
ティの助け合いを生む交換手段として考えられたお金があります。地域通貨です。相
対取り引きでサービスを交換する事でコミュニティへの参加意識や共生の感覚が形成
されてくるようになるといったお金です。
 つまりそれは、お金が、そうしたものとして使われていないというところに問題が
あるということです。お金の在り方の変容です。資本主義ではないお金があるという
ことです。それを呼び醒ましているのが地域通貨です。資本主義経済を超えるための
それです。
 ここにきて、一気に地域通貨の興隆を見ようとしているのは、それほどまでに資本
主義経済体制が行き詰まり、人々に大きな閉塞感を与えているということです。それ
によって、スピリット(精神や心)がなくなり、いのちがなくなり、自然がなくな
り、コミュニティが崩壊し、環境が汚染され、未来が奪い去られていっているという
ことです。
 資本のための資本という論理がそこにあり、人は虐げられ、従属させられ、生きて
ゆくためには、その歯車の中からは誰も出られない。すごい仕組みです。すごい仕組
みを考えたものです。
 お金の変容によって脱資本主義のお金があるということは、まさに錬金術です。
 そう、それがそれとなる変容が問われているのです。
 わたしはわたし以外の何ものにもなることはできません。お祭りに行こうともで
す。ただわたしがわたしになるだけです。お金がお金になること、地域の自律的な経
済を活性化し、コミュニティの助け合いを生む交換手段としてのお金になることなの
です。
 お金に関しては、そうしたお金の在り方を探ってゆく祭りになればと思います。

【自律的な相互扶助】
 祭りもまた、企業や特定のお金を持つ人の奉納で支えられるものではなく、自律的
な相互扶助の下にある、みんなで知恵と力と、そしてお金が伴うものなら、みんなで
それぞれに出し合ってつくってゆくところから、ほんとうの智恵と力が湧き起こって
くるのではないでしょうか。
 一人ひとりが自分で立つ自己責任。しかし一人で立てない人もいます。二人でなら
立てるかもしれません。そこにも自律的な相互扶助ということがあります。一人ひと
りが自分の企画をもってくる。しかし一人ではできないことがあり、100人ならで
きることがあります。みんなが一つになる祭り――それにはみんながそれぞれにわた
しに向かってわたしを包み超えてゆくこと、在るがままへと。
バザールがあるのはいい。でもバザールで稼ぐだけの祭りになっては、おかしくなっ
てしまいます。
 どうしたらこうした祭りを現わし出してゆくことができるか、みんなで考えてゆき
たいと思います。よろしくお願いします。
 それがそれとなるコミュニティの変容――コミュニティがコミュニティになる(で
ある)、農が農になる(である)、いのちがいのちである、科学が科学である、世界
が世界であること……。叡智に耳を傾け、学び、そしてそれらを見出してゆきたいと
思います。いのちの祭りがそうした祭りとして湧き出てきますよう!。

おおえまさのり


*いのちの祭りホームページはこちらへ。(ML参加申し込みも)

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