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ロングウォーク in 東京


 ネイティブアメリカンの聖地ビッグマウンテンを守れとアピールするために今年のお正月からスタートしたロングウォークは、予定通り2月1日にビッグマウンテンに到達して成功裏に終了した。

 ここでは日本でのウォークの事務局窓口として活躍したサキノによる東京でのウォークのレポートを紹介する。

 *長文ですのでダウンロードして読んで下さい。
 *ロングウォーク全体のレポートはこちらまで。


SAKINOようやく、ウォークを共にするの巻

            ----------------1/20 REPORT

 五日市街道、砂川にて、ランチを手伝うことになり、朝のうちに家を出て、屋久島
ポンカンをリュックに背負い、立川からバス。玉川上水を西に歩き始めた。しかし、
行き過ぎたようで拝島から西武線でUターンした。
「西武砂川」下車、上水沿いに戻ったところで、!!
虹色の旗!!あ!カズだ、ハルだ!やぁやぁ。
阿豆佐味天神社の手前でウォーク隊に会えました。
喜びひと塩です。

やさい村の畑には、昔デニスも居合わせていたという、砂川闘争の時のエピソードと、日本山妙法寺の塔がありました。
昭和20年代のお話。その世界では有名なそこ「砂川」がここかという感慨。
20年代とは1945〜1954年までのことですから、多分昨日のメンバーは一人
も産まれてない。そうレクチャーのカズは言っていました。

当時、米軍基地に予定されることへ反対した日本山のお坊さんや反戦に立ち上がった
市民学生達。青年デニスは、その米軍の方にいた訳です。にらみ合いの間に割って入
った日本の警察。何をしたかと言うと、日本人の方の列に暴力を働いて逮捕してく、
そういう様子をデニスは鮮明に覚えていて、後にインディアン闘争に立ち上がって行
く。

こんにち、それから50年、半世紀を過ぎたのどかな、2000年1月の太陽まばゆ
い昼時に、そこに、輪を作り、改めて、平和を思いました。
正否を簡単に言えないから、言えない所に、宿題は残ります。

時間というものの、そのエピソードのあると無いとでは、明らかに人の意識はかわっ
たろうと思われる出来事。記憶があり、歴史がそこで語られて、初めて供養にもなっ
たり、思い出されて改めて語り継がれる物語り。編み合わされようとして迎え出るド
ラマがある。歩くことが、編むことのようだと思いながら、
机の上だけのウォークをしてきた、東京インフォメーション係は、そこで、
初めて一緒に歩けたことを、その地に立ってみられたことも、水にゆかりの
玉川上水ぞいを、吉野川の住民投票を控えて、いのちの水系を辿れたことを
満足してます。ありがとう。

--------------追記、この塔に行って、2/1を迎えるという、この日やはり感じ入ったらしい参加者が、1/31場所の確認の電話問い合わせありました。

--------------1/24息子へのメールより

進化を表向きにして、ビッグマウンテンに取り組む神戸元気村のE-m@il作戦などをみても、地球といのちの時代には、自然を破壊してまで、利潤を追求する事は
もう、できなくなって行くという気持ちが、浸透してるのを感じた。

だから、真に寛げるようになる方向です。やっと、世界が同意しているのを、魂の安
らぎとして、初めて幸せを感じれるように思う。

こういう、大きな規模の集団的な意志表明は、始まるとどんどん雪だるま式に続く。
変わり方をじっくり見物したいな。突っ走って来たなぁと、一気に疲れが出そうです。

とはいえ、まだまだ、一つ一つの小さな工夫と、丁寧な話し掛けとか、世界が新たに
生まれでそうだとしたら、たっぷり愛情をかけて育てるもんだ。自分を育て続けるよ
うに、世界と関われることが、生き甲斐だよね。

Long Walk は今日、成田から夕方の便でアメリカへ渡ります。いってらっしゃ〜い。
出会えて良かったよぉ!っていう、素晴らしい精神と肉体をあわせ持つ人たちです。

アメリカへ向けて出発です。----------サポーター連絡m@ilより

寸前成田空港のウォーク隊に携帯電話を入れ、「1月19日ジャパンタイムス3面に
大きくバヒさんの写真入りで記事が載りました」の報告。追ってホームページに上げ
てもらうので、「向こうからでも見れる」と。いってらっしゃいもしないうちに、切
れてしまった電話でしたが、ビッグマウンテンにはいい土産になりそうです。

今朝は「吉野川」の住民投票で反対多数に大喜び、東海村が脱原発の町長当選、愛知
の万博計画書も国際的非常識と、世論は環境破壊から共生に舵取りしてることを実感
するニュースで、ビッグマウンテンだって、きっと希望はあると信じていこうと思っ
た。

ところが夕刊では、政府が計画を中止する考えはないなんていうので、がっくりです。
ひとこと「国民の意志を反映しない政府なんてリコールだ!」。誰が国政を決めるの?
大いに、騒いで議論をしたいところです。黙っちゃいけない!!

ところで、2/1強制執行はしないことになった、ビッグマウンテンですが、だから
と言って解決された訳では全然なくて、今後どういう風に活動をおこしていくのかが、多分現地でいろんな国からいろんな肌の色のネイションの会議になって行くと思う。

河本カズの地質学的な分析、稀に見る水量の地下水源が雷の豊富な雲を生み、とうも
ろこしの根を地中深く届かせる球心力のある自然生態を永年の間にDNA的にコントロールした結果がホピコーンだという、それくらいの生命のスケールがまさに、美しい。
神様達が合作しているというか、科学的にアートフルな人と環境の互いの努力やコミュニケーションを見る。神髄だなぁと思う。

こういう生命の工夫とか、きっと伝統派長老たちが、決してはずさない宇宙的パター
ンなのだと思う。人と自然が、長い間に築き上げたルールに則って。

22日、100人規模で無事終了した東京パレード最後のクロージング・サークル。
この日は途中見上げる空に日輪があらわれたし、日比谷公園では真っ青なキャンバス
に真っ白な綿雲のエアブラシで描いたようなドラゴンが舞っていた。ありがとう、無
数の協力。1万を越した署名コピーはアメリカ大使館に渡り、元旦から22日間歩か
れた道筋の、 途中大鹿村スウェットは100人以上の参加者を迎えており、その朝
逆さ虹が空にかかったという。
その大鹿村からは鹿の角と、鷹の羽根が、千羽鶴やメッセージの短冊などと共に
アメリカに同行する。ピースパイプの儀式が中の輪で執り行われ、最後はひとり
ひとり、握手をして解散となった。(22日現在で14344名の署名)

恵比須<縄>ベネフィットのライブも、やはり支援者たちのセッティングで時間内に
おさまらない盛況で、先日のほびっと村「ホピの予言」上映会にての100人参加、
カンパ7万円についで、この夜も6万円以上がウォークに渡せたとのこと。

みんながそれぞれできる形で関わって、プロジェクトの代表ハルによれば、ほとんど
口座の支援金には手をつけずに国内のウォークは全行程個人の参加者の割り勘と、地
元のサポートに支えられて完了できたとのことだ。

「関わって、ほんとに良かった」という声が沢山きかれた東京パレード。これから、
どんな流れになっていくか、参加したひとりひとりには、きっと明らかなヴィジョン
が与えられて、それぞれの自分の場でのウォークの様な日々がまた始まってると思う。

アメリカからの報告を楽しみにしつつ、ジャパンタイムスにもあるように、今後もど
んどん署名をアメリカ政府に送り続けながら、幅広く議論の場を持って、国際世論に
のぼる問題として地球の聖地の危機を訴えて行こうと思う。(この他、ホームページ
のプレスリリースのページには、紹介記事あります)

バヒさんも、国連にたびたび文書で語り掛けをしているという。沢山の声が届けばい
いと思う。自分で考え、自分で行動していく、自由なアクションが意外と自分を育て
ながら、地球の自己有機的な成長とシンクロしてるといいと思う。

最後に、「名前のない新聞」の読者からという立場で、今年シリーズでビッグマウン
テン及び、ディネ&ホピ、その他の北米先住民族の現地レポートをしたいという提案
がある。これは、ホピランドに自分も度々行き、現地に日本人の友だちがいる方から
の手紙が発端だった。バヒさんの東京ミーティングに出て、その後ロングウォークの
計画を知って、東京事務局の私あてに、「ディネの主張だけに偏
り過ぎているのではないか?」という意見だった。

「ホピ族とディネ族の永年の歴史をもっと学んでからにしたら?」という、忠告でも
あった。しかし、ウォーク イン ビューティの立場は明確で、一種喧嘩をさせられ
ているような歴史、管理の為の権威からのコントロールもあり得る様な複雑な事情に
くみするのではなく、伝統派長老の意志を尊重するというもの。伝統派長老達からの
引き継ぎなのだということ。

まだまだ、解決にはいろんな糸口から解きほぐさねばならない事があると思う。
このビッグマウンテンに関しては、2000年2/1に退去の法執行はないとはいえ、1月の最後の週、無居住地域指定を解くことを希望し、石炭を採掘するための無制限な地下水の流用に危惧をもって、最後の本当のインディアンの人たちの人権=産まれた土地に住み、住む事で地域環境の守り人であること、を支持するものである。日本からその意志表明の署名をもち、ウォーク一行は今、飛び立って行く。

アメリカへ送りだしました----------------アパッチへのメールより

いろいろなアクシデントが面白かったよ。熱中しました。ウォークの人たちはかなり
の入れ替わりがありつつ、大体30人〜50人くらいをキープして東京に入り、どう
言う訳か断食が流行していて、高校生の女の子達までが断食中でした。
最初、サンダンサーでもある中心的ウォーカーのNAGAIが個人的に断食に入り、彼の
浄化を体現するかのようなエネルギッシュなウォークに影響を受けて、ハルやボブも
断食し、だんだんといろんなウォーカーに伝染したらしい。
常に誰かが断食中という状態の、ウォークしながらの断食リレーが平行していたそう
です。

48歳ドラゴン生まれの内田ボブは、<88いのちの祭り>以来ひさしぶりの再会だ
った、昨秋のレインボーパレード。前夜のリハーサル最中にいきなり登場した時の酔
っ払い状態から思うと、別人と言ってもいいくらい。精悍で純粋な、吟遊詩人らしい
ボブになっていて、とても嬉しかったです。

元旦、ポンと共に第一ウォーカーをつとめ、その後一貫してウォーク隊の女房役に徹
したアキは、愛車の後ろに荷物を積んで東京パレードも、つかず離れずの伴走。
直前に2日間歩いて早くも右足の古傷が痛み出した私は、途中アキの車に乗せてもらって、青山通りを入った公園でウォークを待ちながら、ボブのギターを取り出して借りビル街の青空に<隠れたる魂の声よぉ〜♪><離ればなれ〜に〜ならずに〜♪>と、アキと二人で歌詞を思い出しながら歌いました。

100人くらい、ちょうどいい感じのカラフルなジプシーみたいな連隊が行く。
渋谷警察、麻布、赤坂警察署にお世話になりました。

朝の集合場所で、ナンベイ達のリトアニアからの「ピースライド」(自転車の一行7
人)と交流したのですが、彼等も物珍し気にビデオカメラを向けて、神妙なアメリカ
インディアン流の日本人のセレモニー(四方と天地に祈る)などに参加してました。
(このふたつの移動するイベントが一つの記事で、3月の『OUTDOOR』に載ります)

パレードの注意事項説明含めた30分の<主催者の話>の持ち時間が伸びて来て、
渋谷署の課長さんが私の耳もとに「もう10時8分過ぎてます。10時出発なんだか
らね、早く終わらせてもらって」と。「はい、すいません」。
とはいえ、儀式の最中に、サークルの中に割って入る気にはならなかったから、その
まま。その後2回目の催促で、気付いたみんなの方が、話は聞きながらも一部、道路
に近い人たちから道に出て歩き始める。私は最後に残って、リトアニアの人の持って
来たメッセージ寄せ書きに「LOVE,PEACE,JOY for EARTH」。

後から、追って来た警視庁の担当官、「すいませんね、アメリカ大使館の方が今日も
う一つ別のデモが来るというので、重ならないように時間配分してるもんだから、課
長が気を揉んでて」。この人は、デモ申請で私が2回通った桜田門の警視庁の担当2
人のうちの一人。警備連絡係。
その時に、なぜこういうことをしてるかを、いろいろ聞かれて、ガイア仮説から
なにから、レクチャーしてしまったのですが、ちゃんとメモをとり、まじめに聞いて
くれて、最後に「ちゃんと完遂できるようお祈りしております」と言って、送りだし
てくれた。
私達はひとつながりの生命であり、生きて成長しているこの、かけがえのないたったひとつの惑星、地球の子供達ですと。
もう一人の年輩の方の人も、「私だって、仕事はおまわりさんですが、うちに帰れば子供の父親です」と言って、凄く人間的な対応だった。

そのおまわりさん、呟いていたのは「時間だからって、途中で切れないよなぁ。儀式
なんだから」。どっちの決めごとを優先するのだろう?という、内心の冒険にとって
の解答だった。

青山から六本木に向けて歩いていた。
最後尾、TipiやPaoで羽村のキャンプを支えるなど、
東京サポートに尽力してくれた健吾のバイクに荷物を載せてもらい、
手ぶらで身軽になって、彼の大声の「南無妙法蓮華経」に合わせて歌うように唱えて
いた。なんだか急に踊りたくなって、持ってるパチカのリズムに合わせて
ワンビートのステップで歩き出した。その時、「あ!虹だ!!」という声に、一斉に
空を見る。日輪だった。大きな日輪は、透けた空の太陽光を、淡くプリズムしている。

子供達も歩いてる。
長野から山梨、長期間のサポートを遂げた藤田君は、家族の歩みを適当にはずれなが
ら車道の側のまん中あたりで、拡声器を持ちながら時々全体を見通しては注意のアナ
ウンスを入れる。晴々としている。

アメリカ大使館だ。代表者はカズとアキオくんと私、先に列を外れて路地を入ってし
まったらしい彼等を、見失った私は河千田さんの「大丈夫?わかる?」の声を背中に、うんうんとうなづきながら横断歩道を渡って走り出す。大使館は休館日だけど、ちゃんとものものしく数人のおまわりさんとパトカーに警備された正門。脇の守衛さんに今、二人が話している所だった。「いい感じでお話が進んでますから」と、おまわりさんに逆に諭されて、私は話には加わらずに待った。水色の袋に丸めた署名用紙の束が渡された。1万人を超える人たちの意志を、守衛さんは受け取り、御自分からこの署名活動の代表者に右手を差し出して握手を求めていた。不思議に幸せになった。

この様子を写真を撮っているのは神戸から来た若者SHINGO。
五日市街道を歩いていた日の休憩の時に
「電話で問い合わせした者です。あの時はありがとう」と挨拶
してくれた。こういう風に電話窓口だから経験できる嬉しい挨拶がある。「あ、あの
時の。あ〜よかった。ちゃんと合流してた」という思いが、いくつもあった。

日比谷公園の最後のサークルに、青空は白い綿雲のドラゴンをくれた。
みかん、パン、ボブの新曲の訳が配られる。
アメリカに行くウォーカーが進みでて、みんなの祝福。いろんな各地からのお土産。
シャイアンの持つ大鹿村の鹿の角。鷹の羽根。すべてを受け入れて行くウォーク隊の
止まらない人たち。明日は成田へ、明後日はアメリカへ。彼等の歩みはまだまだ続く
のだ。

インディアンソングを録音して覚えたいと、ウォークマンで追い掛けようと言う参加
者が、成田空港夕方集合という日、電話で問い合わせて来てた。
彼女は小さな頃に事故で臨死的な体験をして以降、子供心にインディアンらしき守護
の存在を意識して成長したという。その恩恵を忘れそうだった最近、ウォークの知ら
せはとても喜びに満ち、彼女は彼と共に参加している。ミュージシャンでもあるパー
トナーと共に、歩きながらうる覚えのそのインディアンソングを録音しに成田に行こ
うとしていた。できたかなぁ?(これは、チナのおハルとじゅんこちゃんです)

ロングウォーク窓口体験でした。



★ロングウォーク資料:ブラックメサについて

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