平成流人日誌〜新住民の田舎暮らし日記(1)

著者近影?
 月日がたつのは早いもので、僕が八丈島に移住してから6年目となった。最初はそんなつもりもなく訪れた八丈島だが、もともと都会生活から早く脱出したいとおもっていたこともあって、あっという間に島の暮らしを夢見るようになり、やがて古い民家を借りての田舎暮らしがはじまった。
 内地からはるか離れた八丈島ではその昔、たくさんの政治犯や思想犯たちが流刑になって送り込まれてきたという歴史がある。流人たちは島の人たちに様々な技術や学問を教え、各地の文化を伝えたと言われている。
 このページでは、都会を捨てて島に住みついた新住民の目から見た島の暮らしや自然について、その時々に思いつくままを書いてみることにする。自ら選んで島に流れてきた平成の新流人は、島のためになにができ、また島からなにを得られるのだろうか。
 まず第1回は初心を思い出して、島のどこが気に入り、どうして島に住み着く決心をしたかを書いてみよう。


 東京の竹芝桟橋から船に乗り、長い船旅を終えて八丈島にたどり着くと、そこはもう別世界のような「海外」だ。島の玄関、底土港から街の方に向かってしばらく歩くと、道沿いに1枚の看板がたっている。初めてそのコトバを見たときには小さな感動を覚えたものだし、今見てもやっぱり島の住民であるこことがうれしく誇りに感じられる。その看板にかかれているのは、

  「知らない人にもあいさつをしましょう」

 これはおそらく島の子供達に向けたメッセージなのだろう。都会では子供達に、知らない人はなにをしでかすかわからないから、声をかけられても決してついていってはいけませんよ。目を合わせないように、隙を見せないように、一人では外を歩かないように、と教育しているはずだ。昨今の様々な事件を見聞きするとわからないでもないが、おそろしく心淋しい時代になってしまっている。
 しかし幸い、島というのは限られた土地で逃げ場がないということもあるのだろうが、人間同士の信頼関係が失われていないように思える。この看板だけのことではない。たとえば鍵のかからない家がまだたくさんある。道ばたなどに車を駐車する際には、鍵をかけたままにしている人が多い。島から外に車を持ち出すのは難しいかもしれないとは思ったが、「どうして鍵をかけっぱなしにするんですか? 車をとられたりしないんですか?」と島の人に聞いたことがある。するとその人は、不思議そうに、「だって、その車が邪魔だった時に鍵がないと動かしてもらえないし、もし万一何かあった時にはその車を使ってもらえるから」と答えてくれた。
 僕がこの島に住みたいと思うようになったのは、緑豊かな自然やワイルドな海、きれいな空気と水があったせいもあるが、やはり一番大きかったのは人と人とが互いに信頼しあって暮らしているということに惹かれたからだ。きっと田舎にいけばどこでも同じなのかもしれないが、僕の目には、ヤシやハイビスカスの咲き誇る明るい南の島というイメージとともに、ここが特別の約束された土地のように映ったのだった。


八丈島の部屋